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うちで働いてみない? in 広州

 

 以前、勤め先の日系企業で日本人スタッフを募集して面接したことがあった。

 採用の条件は中国語が話せることとある程度の社会経験があること。ごく簡単な条件なのだけど、この人集めはかなり苦労する。パソナやテンプスタッフといった人材派遣会社に仲介を依頼しても履歴書がまわってこない。現地採用の日本人はまず市の中心部に事務所がある会社で面接を受ける。郊外の工業団地に勤めようという人はあまりいない。市の中心で勤めたほうがなにかと便利だし、土地勘もない郊外で働くのは不安だろう。僕も初めて広州へやってきたときは、やはり市の中心に事務所がある会社で働いた。

 勤め先の立地の問題もあるのだけど、そもそも中国で働こうという日本人の数自体が減っている。二〇一三年の内閣府の調査では、中国に親しみを感じる人が二割弱、反対に親しみを感じないとした人が八〇%もいたそうだ。例の島の問題もあるし、日中間でトラブルが続いて関係が冷え込んでいるときに中国へやってくる人が少なくなるのも当然だろう。人材会社に訊いてみるとやはり若い人の応募が減っているのだとか。中国に留学する日本人の数もかなり減ったようだ。

 何か月かかけて数通の履歴書がきたのち、X君の面接を行なうことにした。

 面接の当日、人材会社から電話がかかってきた。

 なんでもX君は面接にくる途中、地下鉄に乗っていたところ大量の鼻血を出してしまいワイシャツが真っ赤になってしまったそうだ。

「すみません。本人は張り切っていたのですけど、どういうわけか鼻血が出てしまって、とても面接できない状態になってしまったんです。面接を延期していただけないでしょうか。本人も落ち込んでいますので」

 人材会社の人は申し分けなさそうにX君をかばう。僕は、面接に行くというだけで興奮して鼻血を流してしまうだなんてもしかしたら変な人なのかもしれないなと若干不安に思いつつ次の面接日を指定した。

 面接してみるとX君はさわやかな青年だった。物腰や話し方からもきちんとした会社できちんとしてきた人なんだなということがわかった。彼は雲南省の昆明で二年間留学していたそうだけど、その時、偽ユースホステルの相部屋に泊まりながら生活していたという。入れ代わり立ち代わり泊まりにやってくる中国人を相手に話をして中国語の会話能力を磨いていたそうだ。根性があるなと僕は思った。僕はバックパッカーをして半年ほどあちらこちらを転々としながらずっとゲストハウスの相部屋に泊まり続けた時期があったけど、見知らぬ人と寝起きをともにし続けるのはかなり疲れる。ましてや相手が中国人となればなおさらだ。それをものともせずに果敢に立ち向かうのはなかなかできることではない。根性がなければ中国人のなかで仕事などとてもできない。

 僕は彼の採用を決めてしまおうと思った。

 彼の希望の待遇を聞き、面接に行ったほかの会社が提示した月給を聞き出したところ、本人の希望待遇も他所の会社の提示額もすこし低いなと感じた。X君は広州へやってきたばかりで事情があまりわかっていないようだし、よその会社は彼の持っているキャパシティがわからずに安い待遇でいいだろうくらいにしか考えていないようだ。X君本人と僕の上司の両方が納得する金額はこれくらいかなと心のなかで弾き出して彼に告げた後、

「どう、うちで働いてみない」

 と持ちかけた。

 X君は案の定、「えっ」と驚いた後、

「ありがとうございます」

 といいながらもとまどった表情をした。面接してその場で採用と言われたのでは誰でもとまどってしまうだろう。ほかにもよそで面接を受けていろんな会社を見てみたいだろうし、考える時間だってほしいだろう。X君はさかんに首を振りながら考えこむ。

 今この場でX君の決心がつかないのは当然だけど、それでも、ぜひ来て欲しいという期待を伝えられたらと思って、この職場はチャレンジしがいのあるところだというようなことを言って口説いた。X君はやはり考えこむ。仕事の内容に興味は持ってもらえたようだ。

 今すぐ決めてもらえるのならそれに越したことはないけど、無理強いはもちろんできないから、

「ゆっくり考えてみて」

 と僕が言おうとしたらX君は、

「わかりました。お世話になります」

 と承知してくれた。採用したいと僕が切り出してから返事をくれるまで五分間くらいだっただろうか。漫画みたいな展開だ。

 面接が終わった頃、ちょうどお昼時になったので、他のスタッフといっしょに蘭州ラーメンを食べに行った。X君はまだびっくりが冷めないようだったので大丈夫かなとすこし心配になったけど、数日後に開いた課の忘年会もきてくれたし、一週間後には出勤し始めてくれた。

 X君とは一年半ほどいっしょに働いていろんな話をした。残念ながらその後別々の職場になってしまったのだけど、今でも交流は続いている。人の縁は不思議なものだ。もし彼がよそで勤めることになったら、いっしょにいろんな経験をすることも、腹を割って話すこともなかっただろう。

 今でもあの面接の時のことを思い出すと愉しくてくすくす笑ってしまう。



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