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お月見前夜

 中秋の名月の日、漢民族は親戚一同が集まってご馳走を食べる。彼らにとってはハレの日だ。満月の日に一族がそろって食事して一家円満、ということらしい。

 もともと中秋節は休みではなかったのだけど、二年前から法定休日になった。多民族国家を標榜しているはずの中華人民共和国が漢民族の祝日を法定休日にすることの是非は置くとして、漢民族はゆっくり中秋節を楽しめるようになった。しかも、法律上の休日は一日だけなのだけど、前の日曜日と後の土曜日の休みを中秋節の後ろへ移動させて、三連休としている。つまり、今年の場合、九月二十二日だけではなく、二十三日、二十四日も休みだ。もちろん、十九日の日曜日と二十五日の土曜日は出勤しなくてはいけないし、民間企業は必ずしも三連休にするわけではないのだけど、この連休を利用して実家へ帰る人もわりといる。

 中秋節には中国名物の月餅を食べる。ちなみに、中国に月見団子はない。

 中秋節の一か月前くらいから、街のあちこちで月餅を販売している。スーパーへ行くと月餅コーナーが必ずあって、箱詰めの月餅セットが山のように積んであるし、ケーキ屋やスーパーだけでなく、ホテルやレストランでも売っている。スタバへ行った時、

「Do you like moon-cake?」

 などと店員が訊いてくるので、なんのことだろうと思ったら、なんとスタバでもスタバ特製月餅を売っていた。

 もっとも、自分用に月餅を買う人はあまりいない。

 中秋節の二週間くらい前から月餅げっぺいの配り合いがはじまるので、自分が食べるぶんを買う必要はないのだ。日本で言えば、お中元やお歳暮のような感じだろうか。

 たいていの中国企業は得意先にも社員にも月餅を配る。昔留学していた大学では、留学生に月餅を配っていた。あちらこちらで月餅を配るので、あまった月餅のおすそわけをいただくこともある。月餅といってもいろんな種類があって、一般的な餡子入りはもちろん、ハム入りといった変り種まであるのだけど、僕はなかにうずら卵の黄身がまるごと入ったのが好きだ。けっこうおいしい。

 今の勤め先は月餅を配らなかったけど、かわりに商品券をもらった。このほうがいいかもしれない。あんまり月餅ばかり食べ過ぎると飽きてしまうから。

 中国の会社はよく食事会を開く。日本ではあまり歓迎されないかもしれないけど、中国では重要なことだ。社員にご馳走を食べさせることは大事な福利厚生の一つになっている。

 今は中国人の生活水準もかなり上がったけど、地方から出稼ぎで働きにきて、質素な生活を送っている若者も多いから、彼らにとって食事会は楽しみなのだろう。なにより、中国人はみんなで食卓を囲むことを好む。にぎやかなのがいいらしい。中国人は孤独や静けさを好まない。

 中秋節の前夜、同じ部署全員で食事会を開いた。

 五時半近く、オフィスのなかが華やいだ雰囲気になる。

 僕は休み前に仕上げなくてはいけない資料の作成や突然のアクシデントの対応に追われていたのだけど、ふと顔を上げてまわりを見渡せば、みんなだいたい仕事を終えたようで帰り支度をしている。心なしか、いつもよりおめかしをしてきている女の子も多い。ちょっとしたお祭り気分だ。

 定時で仕事をあがり、広州郊外の町へ移動。

 中華レストランへ入ると同じような団体客がおおぜいいた。どのテーブルも賑やかだ。レストラン中に食器の鳴る音や話し声が渦巻いている。

 中国人の同僚たちはワインで乾杯したいといい、レストランに一ダースほどのワインを持ち込んだ。どれも中国国産のワインだ。店に持ちこみ禁止と言われないだろうかと思ったのだけど、店員はなにも言わない。それどころか、ワインを入れるためのガラス製の壷のような容器を頼むと持ってきてくれた。

 ――やっぱりあれをやるのか。

 と思ったら、案の定、壷に入れたワインにスプライトをまぜる。中国人はなぜかワインをスプライトで割って飲む。そのほうが甘くておいしいのだとか。どうしてそんな習慣がはじまったのかわからないけど、ワインをそのままストレートで飲むことはまれだ。僕はそのまま飲んだほうがいいと思うのだけど、それが彼らの流儀らしい。ワインの渋みといったものを消すためにそうしているのだろうか。

 さてさて、全員のワイングラスにワインのスプライト割りが並んだ。

 日本ならここで誰かが音頭をとって乾杯するのだけど、中国では滅多にしない。料理が運ばれてきたら、だれかれとなく「さあ食べよう」と言ってみんな思いおもいに食べ始める。わりあい自由だ。

 料理は唐辛子のたっぷりかかったスパイシーな湖南料理。

 湖南省は広東省の北に接しているため、湖南省からの出稼ぎが多い。街中のいたるところに「湘菜シャンツァイ」と掲げた湖南料理店がいたるところにある。「湘」は湖南省の旧国名、「菜」は料理という意味だ。

 きのこの炒め物、川魚の兜煮、鶏肉炒め、豚肉炒め、鴨肉炒め、どれもぴりっと辛くて美味だ。このなかでも川魚の兜煮は湖南の名物料理。なんという魚なのかは知らないけど、かなり大きな頭をしている。唐辛子の効いた煮汁がおいしい。この魚の兜を食べた後、皿に麺を入れてスープをからめて食べればもっとおいしい。

 次々と大皿料理が運ばれてくる。だんだんお腹がふくれる。唐辛子が効きすぎて顔中に汗をかいている人もいた。

 ――そろそろ出撃するか。

 僕はビールの入ったグラスを持って、よそのテーブルへ行った。

 宴もたけなわになると中国名物「乾杯」攻撃が始まる。乾杯とは文字通り杯をすことで全部飲まなくてはいけない。この文字通りの乾杯を何杯も重ねることになる。

「中秋節快楽(中秋節を楽しもう)!」

 と言って、そのテーブルの人たち全員といっしょに乾杯。

 ビールを注いでそそくさと次のテーブルへ。なるべく主体的に動いたほうが彼らに溶けこみやすい。外国人だというだけで距離を置かれてしまうので、こんな機会を利用して距離をできるだけ縮めておきたい。同じ人間だということがわかってもらえれば、コミュニケーションもスムーズになるから。

 ただ、激辛料理の唐辛子で胃腸がやたらめったら刺激されているのと、ワインのスプライト割りでいささか悪酔い気味だ。次のテーブルへ出撃しようとしたら、よそのテーブルから続々と乾杯しにやってくる。彼らにあわせてなんとか杯を乾し続けているうちに、胃が膨れてビールが入らなくなった。もともと酒は弱いのだけど、もうだめだ。胃から炭酸があふれてげっぷばかり出る。観念した僕は、あまり乾杯していない静かなテーブルへそそくさと逃げこんだ。もうじゅうぶん乾杯しておいたからいいだろう。一般的に中国人は人前で酔いつぶれた姿を見せない。僕もそうしておいたほうが無難だ。

 ほっと一息ついているうちに食事会はお開きになり、二次会のカラオケへ。五〇人くらい入りそうな大きな部屋だ。

 みんなが曲を選んでいるうちに先に一曲歌っておく。

 中国人は順番を気にせず一人で何曲もいっぺんに入れてしまうから、先に歌っておかないと次にいつ歌えるかわからない。もっとも、一人で何曲も立て続けに歌う人もいるかと思えば、恥ずかしがって曲を入れない人もいるので、テーブルをまわって曲を入れなさいとすすめてまわる。どうしても歌うのが嫌だったらしかたないけど、せっかくきたのだから一曲くらい歌わないともったない。

 カラオケを歌わない人たちは、テーブルでさいころゲームを始める。おわんのなかでサイコロを振って、負けたらコップ一杯のビールを飲み干す遊びだ。以前「なろう」に投稿した『中国夜行列車団体旅行』のなかでそのゲームについて書いたので、興味のあるかたはそちらを参照していただきたい。

 酔っていい気持ちでソファーに坐っていると、

「ディスコへ行きましょう」

 と、同僚の男の子が腰を振ってダンスする。

「カラオケはお開きにして移動するの?」

 僕が訊くと、

「ここの一階にあるんですよ」

 と、男の子は答える。

「一階?」

 この店はディスコとカラオケが併設されているらしい。

 一階へ降りてみると、ほんとうにディスコがあった。しかも、ただで入れる。ステージにはDJがいて、茶髪にへそ出しルックの踊り子が二人踊っていて、フロアにはぎっしり人が入ってかなり盛り上がっている。DJが時折、

「中秋節快楽(中秋節を楽しもう)!」

 と叫び。「イエーイ」と歓声がわきあがる。

 しばらく適当に踊っていたのだけど、ふとステージの脇を見ると、防弾チョッキを着た警備員が五人も控えているのが眼に飛び込んできた。薄暗いフロアを見渡すと、やはり警備員の姿がちらほら見える。物々しい警戒態勢だ。わざわざステージの脇を固めなくてもいいと思うのだけど、それだけ喧嘩や諍いが多いのだろうか。中国人たちは気にするふうもなく、踊り続けている。

 踊りまくる中国人と周囲を固める防弾チョッキの警備員。

 なんだか今の中国を象徴しているようだ。

 中国人は長年続いている高度経済成長に酔いしれているけど、いざなにか起きればすぐに取り押さえようとガードマンが周囲を取り囲んでいるのだ。しかも、わざと目に付くところでいかめしく。

 興醒めしてしまってそれ以上踊る気にもなれず、とぼとぼとカラオケボックスへ戻った。

 どの部屋だか忘れてしまったので、一つひとつ部屋を確かめながら歩いたのだけど、どのボックスも満員だ。ようやく部屋へたどり着くと、部屋には数人しか残っていなかった。半分以上の人たちはもう帰ってしまい、あとの人たちはディスコで踊っている。女の子がへろへろになった声で歌っていた。歌いすぎたのか声がかすれている。

 時計を見るともう午前十二時だ。

「それじゃ、祝日を楽しんで」

 そう言って僕はカラオケボックスを後にした。楽しい宴会だった。二三か月後にまた食事会があるだろう。その時、また楽しもう。




今日は曇り時々雨。お月さんは出てくれそうにありません。残念です。2010年9月22日中秋節に記す。

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