白米食わせろ
僕は、物心がつく前からのタイガースファンだ。
大阪の男の子はだいたいそうなのだけど、まわりがみんな阪神タイガースを応援しているものだから、気がつけばいつのまにか阪神ファンになっている。幼い頃から洗脳されているようなものなので、物心がついた後で他のチームを応援することなどできない。どんなに弱くても愛しいタイガースを捨てられるわけがない。ここまでくると一種の宗教かもしれない。
一九八五年に阪神タイガースが日本一になった時は、ほんとうに興奮した。
あの時の打線はこれでもかとばかりに打ちまくった。真弓さん、バースさん、掛布さん、岡田さんがみんな三十本以上のホームランを放ったし、中心選手ばかりでなく、ほかの選手も打ちまくっていたから、相手チームに五点取られてもぜんぜん心配しなかった。むしろ、この点差どうやってひっくり返すのかを楽しみにしていたくらいだった。実際、ツーランホームラン、スリーランホームランとホームランを連発して、そのままイケイケで逆転してしまうこともしばしばあった。
八五年の日本シリーズの相手は広岡監督が率いる西武ライオンズだった。
戦前の予想は圧倒的に西武が有利。なにせ、当時のライオンズはプロ野球界のお手本のチームだった。野球博士の広岡監督が鍛え上げたチームだけあって、チーム編成、練習方法、選手の管理法、選手の起用法、フィールドでの戦術などなど、あらゆる面でプロ野球界をリードする鏡のようなチームだった。
いっぽう、阪神は打線の勢いで勝ったチームだ。打線は水物とよくいう。打つか打たないかは、試合をしてみなければわからない。その点、いいピッチャーをそろえたチームは計算が立つ。いくらチーム全体で二百本以上のホームランを放った阪神打線といえども西武の優秀な投手陣にはかなわないだろうと、おおかたの評論家たちは言っていた。阪神OB以外の評論家はみんな西武日本一を予想していたと思う。
僕はこの日本シリーズで絶対勝ってほしかった。贔屓のチームに勝って欲しいというだけではない。僕は、西武の広岡監督に個人的な恨みを抱いていたからだ。
広岡監督は、選手の身体を鍛えるためには選手に玄米を食べさせるべきだという固い信念の持ち主だった。それを知った僕の母親が感動してしまい、あろうことか、子供の身体を鍛えるためには玄米を食べさせるのがいいと家の食卓から白米を追放してしまったのだ。
炊飯器で炊くのは、七分づき米(完全に精米するのではなく、三割だけ玄米の成分を残したもの)、玄米、麦飯、強化米ばかりで、白米はいっさいなくなった。誕生日の赤飯でさえも、わけのわからない米で炊く。僕と愚弟は繰り返し白米を食べさせるように要求したが、母親はいっさい耳を貸さなかった。昔はみんな玄米を食べていた。だから、昔の人は体が強かった。文句を言わずに食べなさいと。
麦飯は僕も好きだった。炊き立てはおいしい。七分づき米も慣れてしまえばそこそこおいしい。だけど、強化米だけは許せなかった。なんでもビタミンなどの栄養素を米に添加したのだそうだけど、妙な匂いがして食べられたしろものではない。炊きたてならまだなんとか我慢できるけど、一晩経てば電子ジャーのなかで黄色く変色し、とても米とは思えない味になる。食欲をそぐ味だ。かなり古い米を使っているのではないだろうかと思うくらい、とにかくまずい。いくら身体によいといっても、食欲がわかなければ意味がないではないか。
西武の選手たちも、広岡監督の玄米原理主義にはうんざりしていたようだ。
昔、日本ハムの監督をしていた大沢親分がどこかで書いていたのだけど、日本ハム対西武のカードになるたび、ライオンズの主力選手が大沢親分のところへやってきて、「白米を食べさせてください」と懇願するので、しかたがないから日本ハムの食堂で彼らにこっそり白米を食べさせてあげたのだそうだ。嬉しそうに白米をがっつく西武の選手たちの姿を見て、「戦後の食糧難の時代でもあるまいし。高い年俸をもらっている野球選手なのにねえ」となかばあきれ、なかば同情したとか。
八五年の日本シリーズはもつれにもつれたけれど、シリーズ第六戦で長崎選手が満塁ホームランを放ち、タイガースが日本一に輝いた。あの戦いは阪神流放任野球と西武流管理野球の勝負だったのだけど、玄米原理主義では日本一になれないことを阪神タイガースがみごとに証明したのだ。母親に余計な智恵を吹き込んだ広岡監督に「ざまあみさらせ」と言ってやりたかった。
その後、我が家の食卓にはいつのまにか白米が戻ってきた。たまに麦を適当にまぜたご飯が出ることはあるけど、七分づきやにっくき強化米はなくなった。
理由は、食べ盛りの子供をふたり抱えているので、安い米を買わないことには家計が苦しいからだとか。安い米でもなんでも、銀メシを食べることができて僕も愚弟も大喜びだった。米はやっぱり白米がいい。