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『悲しみよ こんにちは』 ~永遠の少女小説

父親といっしょにパリから南仏の別荘へバカンスへきた十七歳の少女セシルのひと夏のできごとを描いた小説。一九五九年発表。サガンのデビュー作。


※ネタバレを含みます。ご注意ください。


 

《ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。》


 いかにもフランス小説っぽい書き出しから始まるこの小説はもう古典の部類に入るのだろう。なにしろ、半世紀以上前に発表された作品だ。

 それでも今読み返しても、とてもみずみずしい感じがする。フレッシュだ。

 この小説の魅力は、なんといっても、楽しいことが大好きで楽天家の十七歳の少女セシルの気持ちがうまく描かれていることだと思う。

 少女らしい人の好さや素直さ、できごとを全身で受けとめる若さ、自由へのあこがれ、恋のときめき、打算と葛藤、それから意地悪さ――猫の目のようにくるくる変わる少女の心理を丁寧にすくい取り、セシルというキャラクターをくっきりと際立たせている。セシルが味わう気持ちは、高校生なら誰もが感じることではないだろうか。それが読み手の共感を誘う。

 例えば、ヒロインのこんな心理描写がある。


《幸福が、なんの気がかりもない晴ればれした気持ちが、体じゅうに広がっていくのをわたしは感じていた》


 少女らしい無邪気さだ。怖いもの知らずだからこそ、こんなふうに感じることができる。


 避暑地といえば、やはり恋の話が不可欠だ。彼氏を作ったセシルは恋人のシリルとデートを重ねるようになる。


《シリルは息を整え、くちづけは正確に、的をしぼったものになり、わたしにはもう潮騒は聞こえず、耳のなかで、自分自身の血が駆けめぐるのを感じるだけになる。》


《わたしは大学に入り、そして卒業するための勉強に打ちこむよりも、太陽の下で男の子とキスする才能に恵まれている》


 「キスする才能に恵まれている」なんて自分で感じるとは! それほどとろけるようにキスしているのだろう。恋することに自信ができてきた、といったところだろうか。素敵な描写だなと素直に思う。


《わたしがもっともな言いわけを見つけて、自分に向かってそれらをつぶやき、わたしは誠実なのだと結論づけても、とたんにもうひとりの〈わたし〉が現れ、その理屈をきっぱり否定する》


 これも若々しい正義感と欲望の葛藤だなと思う。

 年齢を重ねて世ずれしてしまうと、「しかたない」とか「世の中、こんなものだ」といって、自分で自分を丸めこんでしまうのだけど、まだそこまで割り切るようになはなっていない。セシルはよくも悪くもわりと純粋な女の子だ。たぶん、そこが読者を惹きつけるのだと思う。


《パパを守ってあげなくっちゃ。あの人は大きな子どもなんだもの……大きな子ども……》


 こんなふうに親を突き放してみられるようになるのは大人の階段を昇っている証拠だ。たぶん、誰でもこんなふうに思ったことがあったはず。


 毎日、明るく楽しく過ごしたいと考えているセシルだけど、悲しみを潜り抜けなければ大人になれないものなのかもしれない。ほんの軽い気持ちでめぐらした策略のために、大きな悲しみを背負うことになる。

『悲しみよ こんにちは』は永遠の少女小説だ。

 

引用の訳文はすべて河野万里子氏の訳によりました。新潮文庫版の翻訳です。

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