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資本主義の本質

 

 いつの日か乗り越えられるべき資本主義、などとこんな書き方をすれば、古臭い左翼と思われるかもしれない。

 僕自身はいつの日にか、人類は進歩して強欲な資本主義の壁を打ち破られると信じている。それは人類の「バカの壁」を打ち破ることだ。

 「資本の目的は?」という質問を発してみれば、近代経済学の立場からは「拡大再生産による資本の蓄積」という答えが返ってきて、社会主義の立場からは「搾取による資本の蓄積」という答えが返ってくるだろう。

 どちらも、とりあえず正解だ。立場が違うから、見方が変わってくるだけの話。近代経済学は資本主義の光の面にスポットライトをあて、社会主義は影の部分にスポットをあてる。ただひとつ言えるのは、「金銭=欲望」をなまぬるく正当化している限り、この世のさまざまな矛盾は解決できないということだ。もちろん、こんなえらそうなことを書いている僕自身にしろ、「金銭=欲望」の世の中で、「金銭」に操られながらみみちくもがいている一人であることには変わりないのだけど。

 さて、「資本の目的」からさらに一歩掘り下げて、それでは「資本の本質はなに?」という問いを発してみたい。

 この「本質」に対する回答はさまざまあるだろう。繰り返しになるけど立場が違えば見方も変わる。マルクス流に言えば、「人間の意識がその存在を規定するのではなく、人間の社会的存在が意識を規定する」わけだから。

 僕としては、資本主義の本質は、「共同体の破壊」にあると言いたい。

 共同体とは「絆」そのものに他ならない。一人きりでは生きていかれない人間がお互いに助け合うことが共同体の存在意義であり、また、共同体の構成員を外へ放り出さないことが共同体の絶対条件だ。

 お金はこの真の意味での人の絆を断ち切ってしまう。

 共同体から出た人間は、あるいは出ざるを得なかった人間は、金銭だけの結びつき――いわゆる「キャッシュネクサス」に絡めとられてしまう。そこには真の意味の絆はない。人々は分断され、お互いに助け合うことを忘れてしまう。絆を断ち切ることは、理性とやさしさを持つ人間にやさしさなんて忘れてしまえと言うに等しい。

 今回書いたことは、かなり皮肉シニカルな見方かもしれない。僕自身は日本という共同体から飛び出した人間だ。そして、古代的な強欲資本主義が支配する現代中国で暮らしている。厳しい立場にいて我と我が身をさらしながら暮らしを営んでいると、僕自身もやさしさを忘れて皮肉な見方しかできなくなるのかもしれないけど。


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