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お金が悪か? 人が悪か?

「お金は悪じゃない!」

 先日、ある人がそう声高に叫ぶのを聞いた。

 彼は金儲けするのは悪いことではないと言いたかったらしい。

 たしかに、お金自体は悪ではない。お金はただの道具だ。紙にインクで一万円などと刷ったり、金属片に十円などと刻み、「とりあえずそれを○○円と仮定して使いましょう」ということに過ぎない。いくら高級な紙や高度な印刷技術を使っていても一万円札そのものに一万円の価値があるわけではない。一万円札はただの紙切れにすぎない。

 そんな道具を善か悪かなどと決め付けること自体が滑稽というものだろう。

 お金に善悪はない。

 善悪は人にある。人の心にある。

 悪い稼ぎ方をすれば、その人が悪いことをしたということだ。

 いい稼ぎ方をすれば、その人がいいことをしたということだ。

 使い方もまたしかり。

 たとえば、包丁で人を刺してしまったとしても、包丁自体が悪いわけではないのと同じだ。悪いのは他人を傷つけた人間だ。

 いちばん怖いのは、「お金は悪ではない」と言いながら、悪い金儲けをしてしまうことではないだろうか。この論理でいくと、お金は悪いものではないから、それを稼いでいる私も悪くない、つまり自分に責任はないということになる。だけど、果たしてほんとうにそうだろうか。そんな言い逃れのような発言は、自分の心と真摯に向かい合った結果だろうか。

 さっきお金に善悪はないと書いたばかりだけれど、ただ、お金には不思議な魔力がある。人の心を狂わせる魔性を秘めている。いちばん身近な凶器かもしれない。だから、心してかかりたい。思えば、漱石の小説にはお金にまつわるどろどろした話がわりと出てくる。漱石は、お金を通じて人の心のダークサイドを描きたかったのかもしれない。

 誤解のないように断っておきたいけど、金儲けを否定しているわけではない。今の世の中の仕組みでは、まさか切符売場やスーパーやレストランで物々交換するわけにもいかないから、お金がないと生活できない。それに、なにをするにしても先立つ物が必要だ。僕だってすこしばかりの経済的な余裕はほしい。もっとも、そう思ってしまうことが僕自身の限界だし、もっと大きく言えば、お金を使った経済の仕組みしか思いつかないのが今の人類の限界なのだろうけど。

 大切なことなので、繰り返し強調しておきたい。

 お金に善悪はない。

 善悪は人にある。お金を稼いだり使ったりする人の心にある。

 自分の心を問わずに、お金やほかのものに責任を押しつけてしまうのはいけないことだ。




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