軌跡の曲芸師
ハリベル:盲人。ジャグリングが特技
イリヤ:語り手。ハリベルと同期のサーカス学校の生徒
架空の世界、フィンア大陸は大きく東と西で政治思想が分かれていた。
しかし、この物語は、経済でも戦争でも政治でもない……サーカスに身を捧げた人々の物語だ。
「経済でも戦争でも政治でもない」と言ったが、訂正する必要があるかもしれない。実際に銃撃しあわなくても「冷たい戦争」がスポーツで代理的に起きたり、コミュニティがあれば派閥が、思想の種類が生まれるように、サーカスという環境における人々の芸術と思想を描くのだから、経済も、戦争も、政治も……そして心から湧き出る"なにか"を、語らずに済むわけがない。
* *
「ハリベルくん。君、目が見えないなんて昨日は気づかなかったぞ。それでボールを6個も投げれるなんて、すごいじゃないか」私は素直な気持ちで、同じサーカス学校に入学したハリベルという"盲目のジャグラー"に話しかけたが、彼は首を横に振るばかりだった。
「ねえイリア」ハリベルは私が投げた空中に漂うボールを、見えているかのように掴んで、引ったくった。続けて言った。「僕はね、目が見えなくても図形を想像できる。幾何学は1番好きな学問だ。最近は高次元、4次元多胞体や5次元以降のことも考えている。君たち"晴眼者"は空中に描かれるボールの軌道を、意識して追わないと空中に描かれることに気づかないというじゃないか。はじめから無数の軌跡はここにある」
ハリベルは幾つものボールを空中に投げはじめた。わざとタオルで両目を隠してみせた。全く見えていないはずなのに……ボールは建造物のように、街に設置された噴水のように規則正しく放物線を描き続けた。端正に動く彼の腕には、人体の原初的な機能美がある。きっと、建築に感じる美と人間の身体表現の美しさは、世の中の人々が思っているより違いはないのだろう。
「その幾何学的美しさのために入学したのだろう?」私は自分の発言を反省すべきだ。いや、内容に対してじゃない。タイミングだ。
ハリベルはせっかく作り上げたジャグリングの噴水を、私の言葉を聞いてしまったがために動揺して壊した。
「違う!」ハリベルは持っていたボールを私に投げつけた。「僕は数学者になりたかったんだ。ジャグリングはたしかに素晴らしいさ! でもね、『考え事をする時に歩行すると考えのまとまる人』がいるように、僕は計算の片隅に投げていたんだ。これを人に見せる訳でも、道化師になりたい訳でもない!」
ハリベルが意思に反してサーカス学校にいることには理由があった。
私たちの住む国はドラーズという連邦国家だ。……連邦国家。政治家は社会主義とやらを進めたいらしい。イマイチ私にはピンとこないが、国の指導で「才能を見出されたら」その教育機関に"勧誘"された。表向勧誘と表現しているが、どれほどの自由意志が一般市民に持てるだろう。
ましてや盲目で、普通なら生活していくことが手一杯な中、奨学金の提示とともにサーカス学校に誘致されたら。
「……浅はかな発言だった、ごめん」私は入学頃までちょうど思春期が続いていた。だから、声に出して謝ることができたのは久々だった。
「……まあいい。サーカス学校のカリキュラムの間で数学も続けるさ。それに、実際幾何学的感性はジャグリングで磨かれるからな」ハリベルは1度止めたボールを投げはじめた。私に1個投げつけたので、今はさっきとは違う軌道を描いている。「僕が1番懸念しているのはね、イリア。他の人間の行うジャグリングも、サーカスの芸も、別に面白くないってことだ。さっき僕は『君たちは意識しないと空中の軌跡をみいだせない』と言ったが、あれは嫉妬の裏返しさ。僕は常に"想像で"補わないと君たちの描く『個別の』軌道は分からない。その美しさを得られない……こんなことなら、数学研究そのものでなくても、音楽学校に入った方が何倍もマシだよ。なまじ僕が"投げる"才能があったばかりに」
私は彼のような悩みを持っていなかった。"晴眼者"だから他人の演技を観られることはもちろんのこと、ジャグリングを専攻できることも素直にありがたかった。
そんな私がサーカスに憧れるようになったのは、実は直接サーカスの公演を見た事がきっかけではない。もちろん、後には実際に公演をみて熱狂したのだが、初めて興味を持ったのは、西側諸国出身の詩人だった。彼は詩人なのに自らを「道化師」と名乗った。彼は詩の中で如何に自分が孤独で虚しい道化なのかを唄った。その詩に、唄声に感動したのだ。
「……ハリベル、君も『道化師を映す月よ』の詩と歌唱を聞いた事はあるだろう?」私はまたもハリベルがジャグリング中に話しかけてしまったが、今度は"今"が最も最適なタイミングだ。「私が君とのサーカス学校の……人々の演目への"姿勢"を、文章で書いていくよ。日記だ。いいだろう? 新生活に日記を始めてみたいと思っていたんだ。ねえハリベル、点字を教えてよ。君が読みたくなる文章を書いてみたい」




