表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冒険者の街で、今日もパンを焼いています 〜小さな魔獣との静かな暮らし〜  作者: 白波 いつき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
58/58

冒険者の街で、今日もパンを焼いています

 家へ戻ると、扉を開けてすぐの所にノラとその父の姿があった。

 夜通し待っていたのだろう、二人とも目の下にうっすらと影が落ち、肩には疲れがにじんでいる。それでも、扉が開いた音に気づいた瞬間、はっと顔を上げた。


「リラさん……!」


 ノラが駆け寄ってくる。気持ちがまだ整っていないのか、言葉が少し揺れていた。

 リラは、ほんの少しだけ口元を緩める。


「大丈夫。オモチも無事だよ」


「きゅ」


 オモチは小さく鳴くと、ひょいとノラの肩へ飛び乗り、その頬へすり寄った。柔らかな毛並みが触れた瞬間、ノラの表情が崩れる。張りつめていたものが、一気にほどけたようだった。


「よかった……ほんとに……」


 安堵の言葉と一緒に、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。隣で見ていた父親も、深く頭を下げる。

 それに、リラも静かに頭を下げた。


「ありがとうございました。私たちを待っていてくれて。でも、二人も疲れただろうから、帰って、ちゃんと休んでくださいね」


 やわらかくそう告げると、ノラは何度も振り返りながら、それでもようやく足を向けた。父親に促されるようにして、ゆっくりと離れていく。


 その背を見送り、リラはそっと扉を閉めた。

 外は、すでに空が白み始めている。夜の冷たさがまだ残る中、遠くの空だけが淡く色を変えていた。


 長い夜が、終わったのだと実感する。


 そのまま玄関へと回り、臨時休業の札を掛ける。張り紙を添えながら、指先に残るわずかな震えが、ようやく静まっていくのを感じていた。


 ――今日は、無理だ。


 そう判断した瞬間、張りつめていた糸がふっと緩む。遅れて、肩の力が抜けた。


 二階へ上がり、浴室へ入る。


 扉を閉めると、外の気配が遠のいた。湯気がやわらかく空間を満たし、ほのかに温かい湿り気が頬に触れる。魔導具に手をかざせば、浴槽に満ちた湯がわずかに揺れた。


 ゆっくりと身を沈める。


 温もりが肌を包み、冷えきっていた体の奥まで染みていく。体の力が、少しずつほどけていくのが分かった。

 しばらく、何も考えずに呼吸を整える。


 静けさの中で、ようやく口を開いた。


「……オモチ」


 肩に乗った小さな体へ、そっと視線を向ける。


「これから、どうする?」


 言葉を選びながら、続ける。


「前はさ、短絡的な犯行だった。でも今回は違う。組織で動いてる。……まだ仲間がいるかもしれない」


 湯の中で、指先がわずかに震える。

 その揺れは、冷えのせいではなかった。


「この街にいたら、また危険があるかも」


 湯の表面に小さな波紋が広がるのを見つめながら、リラは言葉を選ぶように続けた。


「……出る?」


 問いかけは、思っていたよりも静かに落ちた。


 オモチはきょとんとした顔でリラを見上げ、それからゆっくりと手を持ち上げ、リラを指さした。


「え?」


 もう一度、指す。

 今度は少し強く。


 さらに、もう一度。じれたように。


「……私?」


 問い返すと、オモチは大きく頷いた。


「私がどうしたいかってこと?」


「きゅきっ」


 迷いのない肯定。

 その真っ直ぐさに、リラはわずかに息を詰める。


「私は……」


 言葉が、すぐには出てこない。

 湯の中で肩が揺れ、わずかな波紋が広がる。


 これまでは、迷うことなんてなかった。オモチが狙われた時点で、その街を離れる。それが当たり前だった。


 だって、オモチが――オモチだけが、すべてだったから。


 けれど、今は違う。


 この街には、他にも大事なものがある。大切なお店があって、大切な人がいて、初めて「帰る場所」と呼べるものができた。


 ……だから、悩んでいる。

 その迷いこそが、きっと答えなのだと、どこかで分かっていた。


「……ここに、居たい」


 小さく落とした声が、湯気の中に溶けていく。


 次の瞬間だった。

 オモチが勢いよく跳び上がり、そのまま頭の上に飛び乗る。


「ごぼぼっ」


 思わず湯を飲み、リラはむせた。


「なにするの?!」


「きゅきっ!!」


 抗議の言葉を遮るように、オモチが顔へと抱きついてくる。腕でしがみつきながら、忙しなくあちこちを指し示した。


 外を指し、家を指し、そしてリラを指す。

 そして、そのまま、ぎゅっと抱きついた。


「……オモチも、ここが好きってこと?」


「きゅぃ!」


 迷いのない、即答だった。


 その勢いに、リラは少しだけ目を細める。


「でも、また狙われるかもよ……?」


 問いかける声は、わずかに揺れていた。


「きゅきゅっ」


 けれど、オモチはまったく気にした様子もなく、小さな拳を突き出してみせる。ぎゅっと構えたその姿は、どこか誇らしげで、まるで「任せろ」と言っているようだった。


 思わず、笑みがこぼれる。


「……強いね」


「きゅ」


 得意げに胸を張るその様子に、胸の奥がやわらかくほどけていく。

 リラはそっと息を吐き、言葉を重ねた。


「私ね、この街が好きなの」


「きゅい」


 短く返る声。


「ここにいてもいいかな?」


 問いかけは、確認のようでもあり、願いのようでもあった。


「きゅぅぅぅ」


 オモチは頬をふくらませ、満面の笑みを浮かべる。そのまま、ぐいっと顔を寄せてくる。


「オモチ。大好きよ」


「きゅ」


 鼻先を合わせる。


 自然と、笑みがこぼれた。


 気づけば、頬を伝うものがあった。湯気のせいか、それとも――自分でも分からないまま、ただその温かさだけが残った。



 風呂から上がると、ようやく二人とも空腹に気づいた。体は軽くなっているのに、腹の奥だけがぽっかりと空いている。


 外はすでに朝の光に満ちていた。夜の気配は消え、窓の向こうにはやわらかな明るさが広がっている。


 玄関の向こうから、かすかなざわめきが聞こえた。臨時休業に申し訳なさを覚えながら、それでも何か口にしようと一階へ降りる。


 そのとき――


 裏口が、強く叩かれた。


 静まり返っていた店の中に、その音だけがやけに大きく響く。まだ朝の気配が残る時間で、外の光はやわらかく差し込んでいるのに、空気はどこか張りつめていた。


 トヨだろうかと考えながら扉を開ける。だが、そこに立っていたのはユリウスだった。


 息が白くかすかに揺れる。ここまで走ってきたのだろう、上着はわずかに乱れ、肩で息をしている。普段の落ち着いた佇まいは影を潜め、その代わりに焦りがそのまま表情に浮かんでいた。


 朝の光が横から差し込み、少しだけ影を落とす。その中で、ユリウスの視線だけがまっすぐにリラへ向けられていた。


「ごめん」


 短くそう言って、息を整える。


「さっきのことが気になって。……もしかして、この街を出るのかと思って」


 まっすぐな言葉だった。迷いも、飾りもない。


 リラとオモチは、思わず顔を見合わせる。そのわずかな間を、ユリウスは見逃さなかった。

 空気が、静かに張りつめる。


「もし、出るなら」


 ユリウスは一歩だけ踏み込む。石畳の冷えた空気が、足元から伝わるようだった。


「俺も一緒に行っていいかな。……二人と、これからも一緒にいたい」


 その言葉は、驚くほど真っ直ぐで、朝の光の中で、時間が一瞬止まったように感じる。

 もう一度、リラとオモチは顔を見合わせる。


 短い沈黙。


 それから――ふっと、同時に笑った。

 迷いがほどけるような、やわらかな笑みだった。


 リラはそのまま一歩踏み出す。朝の光の中へ、迷いなく。


 そして、ユリウスの胸へ、そっと身を預けた。


「大好きです、ユリウスさん」


 まっすぐに、迷いなく。


「きゅい」


 オモチも肩の上で小さく鳴き、二人にすり寄る。


 その瞬間、張りつめていた空気がほどけ、ゆっくりと日常へと戻っていく。遠くで人の気配が動き始め、朝の匂いが街に広がっていく。変わらない一日が、また始まろうとしていた。


 けれど、その中で。


 確かに、何かが変わった。


 選んだ場所に、選んだ人とともにいるということ。

 それが、静かに積み重なっていく。




 やがて季節が巡り、冷たい風はやわらぎ、街の空気も少しずつ色を変えていく。

 冬の名残がほどけるように消えていき、日差しはやわらかくなり、木々の先に小さな芽がのぞく頃――


 フォルネアに春が来た。


 夜のあいだに湿った葉と土が息を吐き、石畳をやわらかく包むように広がっていく。

 その匂いの中で、リラは今日も窯の前に立っていた。


 ぱち、ぱち、と薪がはぜる音が、朝の静かな店内にやわらかく響く。窯の前に立つリラの頬は、火の熱でほんのりと温まっていた。


 手に残った粉を払うと、まとめていた赤茶の髪がさらりと肩に落ちる。

 軽く指で整えながら、焼き加減を確かめるために窯の扉を開けた。


 その瞬間、香ばしい匂いがふわりと広がる。焼きたてのパンの香りが、空気に溶けるように店の隅々へと行き渡っていく。


 そのまま窓の方へ向かい、販売の準備をしようと手をかけたとき――

 軽い重みが、肩に乗った。


「おかえり。配達してきたの?」


「きゅきゅい」


 振り返らずとも分かる声に、自然と笑みがこぼれる。オモチは得意げに胸を張り、小さな手に丸めた粘糸を握っていた。


 秋に訪れたヴェロスの群れは、そのままこの地に残った。安全を確かめたのか、それともこの土地が気に入ったのかは分からない。


 けれど今では、オモチが時折森へ出向き、粘糸と引き換えに豆パンやビスケットを届けるようになっている。

 どうやらすっかり気に入られているらしく、戻ってくるたびに満足げな顔をしていた。


 友達が増えたことが、嬉しくてたまらないのだろう。


 窓を開けると、外にはいつもの顔ぶれが並んでいた。朝の光の中、どこか気の抜けた笑顔が並ぶ。


「よう、リラ」


「おはようー」


「おはようございます。今日はコエル・トプスが手に入ったので、チキンたっぷりサンドもありますよ」


「じゃあそれ!」


「俺もー」


 いつも通りのやり取り。焼きたてのパンを手渡しながら、短い会話が行き交う。笑い声と、紙袋の擦れる音と、パンの香ばしい匂いが、朝の空気にゆっくりと溶けていく。


 そのとき、背後から足音が近づく。

 気づけば、腰にそっと手が添えられていた。


「俺も行ってくるね。今日は早く帰れると思う」


「はい、行ってらっしゃい。気を付けて」


 振り返らなくても分かる声に、自然と返す。何気ないやり取り。けれど、その距離はもう迷いのないものだった。


 ふと横目に入る、銀色の髪。少しだけ伸びたそれが、朝日に触れてやわらかく揺らめく。その光景を、リラは何気なく、けれど確かに目に焼きつけた。


 窓の向こうでは、人の流れがゆっくりと動き始めている。開き始めた店の扉、交わされる挨拶、どこかで鳴る小さな笑い声。朝の光は少しずつ強さを増し、街は静かに、今日という一日へと移り変わっていく。


 リラとオモチは、この街に来て店を出した。

 その選択が正しかったのかどうかなんて、きっとこれからも分からない。


 でも。


 今日もパンが焼けて、


 誰かがそれを手に取って、


 無事に一日が終わる。


 そして、大切な人に「おかえり」と言える。

 それだけで、十分だと思えた。


 窓の向こうから、風がふわりと入り込む。焼きたてのパンの香りを乗せて、街の奥へと流れていく。

 その先にも、きっと誰かの日常がある。


 リラは小さく息をつき、もう一度窯へと向き直った。


 隣で、オモチが「きゅ」と鳴く。


 それに頷くように、そっと微笑んだ。


 ――ここで、生きていく。


 その選択を、今日も重ねていく。


 フォルネアの朝は、明日もきっと、パンの匂いから始まる。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。


リラとオモチ、それからフォルネアの街の日々を、最後まで見届けていただけて嬉しいです。


またいつか、番外編なども書けたらいいなと思っています。


もしよろしければ、

好きだったキャラクターや、お気に入りの場面など、感想で教えていただけるととても嬉しいです。


本当にありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
完結してるのわかってて読み始めたのですが読み終わるのがもったいなく時間をかけて読ませていただきました オモチちゃん&リラちゃんが可愛くて オモチちゃんのビジュアルが昔のアニメにでてたアメデオ(白い小さ…
完結おめでとうございます これから読めなくなるのはちょっと寂しいです。是非番外編をお願いします。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ