(9-7)
「なんじゃ、これは」と、老人が臓器を取り上げる。「気嚢じゃないか。ドラゴンもいたのか?」
「違うのよ」と、クローレは鉤爪熊の物だと説明した。
「そんな話は聞いたことがないぞ」と、老人が腕組みをしてうなる。「わしもこの仕事を五十年近くやっておるが、空を飛ぶ魔物以外で、気嚢を持つものなど見たことがないな」
「そうかもしれないけど、事実なのよ。私もキージェに聞いたくらいだし」
「ん、おまえさんは魔物に詳しいのか?」
老人に話を振られたキージェは、気を引きたくなくてぶっきらぼうに答えた。
「いや、俺はFランクなんで」
「その歳でFランクっていうのも、何かワケありのようじゃな」
長い間百戦錬磨の冒険者たちを相手にしてきただけのことはある。
裏事情を見透かしたようにキージェをじっと見つめていた老人は、見つめ返すとあえて視線を合わせようとはしなかった。
「ねえ、おじいちゃん、気嚢って何?」
「動物は肺で息をしておるのは知ってるじゃろ」
ミーナは曖昧にうなずく。
「息を吸えば胸が膨らむ感じがする。それが肺でしょ」
「人間もそうじゃが、地上を歩く動物は肺で十分呼吸ができる。だが、空を飛ぶ鳥やドラゴンは常に翼を動かし続けなければならない。そのためにはたくさん空気を吸って息をしないといけないのじゃ」
「肺だけじゃ足りないんだ」と、ミーナも気嚢をつまみ上げる。
「そこで肺の他にも、空気を吸い込むための袋がある。それが気嚢だ。肺とは別の袋にも空気を吸い込んでおいて、息を吐いているときにも新しい空気が肺に入ってくるのだよ」
「吐いてるのに吸ってるって、なんかむせってオエってしちゃいそう」
「それくらい常に空気を吸っていないと空なんぞ飛べんのだ」
「ふうん、鳥も大変だね」
「気嚢のおかげで、空を飛ぶ強力な力を生み出しているというわけじゃな」
「でも、なんでそれが鉤爪熊にあるの?」と、ミーナが口をとがらせながら首をかしげる。「空でも飛びたかったのかな?」
キージェもそれが疑問だったのだが、やはり同じことを思ったらしい。
老人も白髪頭をかきながら黙り込んでしまった。
「あれだけの巨体を動かすにはよっぽど激しく息をしないといけないんだろうね」と、クローレが戦いを思い出すかのように視線を天井に向けながらつぶやいた。「大きいくせに、むしろ、普通の熊より動きが速かったもん。力も並じゃなかったし。ね、キージェ?」
「ん、あ、ああ……」
いきなり話を振られてぼんやりとした返事しかできなかった。
「ヴォルフ・ガルムもね、こいつに噛みちぎられてたのよ」
「そんなことがあるのかい」と、鉤爪を両手で持ち上げた老人はあまりの重さにふらつきながらカウンターに戻した。
「しかも、その死体で私たちをおびき寄せてたんだから、頭もいいってことでしょ」
「ほう、そいつはギルドに報告しておくべきかもしれんのう」と、つぶやきながら老人がキージェをチラリと見た。「理由は分からんが、なんらかの進化が起きたのかもしれんからのう」
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