(8-2)
羽虫にまとわりつかれ顔をしかめながらもクローレがヴォルフ・ガルムの残骸を調べている。
ここだけが賑やかで、森の静寂が不気味だ。
遠くの木々の葉が風にそよぐ微かな音すら途絶えている。
キージェはストームブレイドの柄に手をかけ、目を細めてクローレの隣に並んでしゃがみ込んだ。
巨大な爪痕にえぐられた胴体には肋骨すらなく、その破片は小枝を折ったかのように周囲に散乱している。
頭部には鋼鉄をも砕くと言われるヴォルフ・ガルムの牙がきれいに残っている。
口に敵の血や毛はついていない。
それすらも使うこともなく、まったくなすすべもなくやられたらしい。
キージェは吐き気をこらえながらつぶやいた。
「鋼を砕くと言われる武器も無力だったってことか」
「背中を殴られて、地面に転がって、一方的にかじりつかれた感じだね」と、死体を観察するクローレは冷静だ。「でも、ヴォルフ・ガルムを上から襲うってことは、相当大きな怪物だよね」
「だが、ドラゴンではないな。樹冠に覆われたこの森の中に降り立つことはできないし、むしろ動きを封じられて不利だろう」
「でも、それ以外にそんな大きな魔物なんて聞いたことないよね」
クローレは額に浮いた汗を拭ってから爪痕を指さした。
「これ五本爪だ」
その声には、冒険者としての経験がにじみ出ていた。
「大抵の魔物は三本か四本……ってことは鉤爪熊だよ。私、ダンジョンで一度倒したことがある。でも……」
クローレの表情が曇り、言葉が途切れる。
ヴォルフ・ガルムに刻まれた爪痕の幅は、キージェの腕よりも太く、裏まで貫通し、縫いつけようとしたかのごとく地面にまで達している。
「この大きさ、おかしいよ」と、クローレが声を震わせた。「ダンジョンで見た鉤爪熊の爪痕は、せいぜい人間の指くらいで、突進さえかわせば私でも太刀打ちできた。でも、こんな……これは桁違いだよ」
次の瞬間、青ざめた顔を上げたクローレがいきなりキージェの手をつかんで立ち上がった。
「キージェ、これは罠!」
「あ!?」
「逃げなきゃ!」
キージェは訳も分からず、足をもつれさせつつ手を引かれるままに駆け出した。
ミュリアが低く唸り、金色の瞳を鋭く光らせながら二人についてくる。
そのときだった。
背後から大地を震わせ腹に響く足音がドスドスと迫り、木々を揺らす巨体の影が二人を覆った。
バキバキと折れた枝が矢のように降ってくる。
「あいつ、わざと死体を放置して、他の動物をおびき寄せてたの!」
「くそっ、そういうことか」
クローレが息を切らしながら叫ぶ。
「狩られてるのは私たちの方!」
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