一度きりの月夜に
「きれいなお月様」
お兄様の棟を辞して、僕はとことこと回廊を歩く。ごはんを頂いているうちに、すっかり陽が落ちちゃった。庭園にずらりと並ぶ灯篭に真っ赤な灯が点り、庭木の影を揺らしてる。
紺碧のお空にも、金色の月が浮かんでいて、僕はほほ笑んだ。
――なんだか、花蜜饅頭みたい……
両腕に抱えたお土産から、ふんわりと温もりが伝わってくる。花蜜饅頭、すっごく美味しかったから、お土産に包んでもらったんだぁ。梅と、辰さんのぶん。
「えへへ。宿舎の前で待ってたら、きっと辰さんに会えるよね」
文徳さんも、流石に辰も返ってくる頃でしょう、って言ってたもんね。期待に胸を膨らませ、僕の室とは逆方向の家人用の宿舎へと歩んでいく。
外壁が見えてきたところで、ドンドン! と花火の上がるような音が響く。
「あ……烈花だ」
紺碧の空に、ぱっと開いた紅い火を見上げた。続いて、ドン! と今度は青と紫の花が咲く。
――あの色……火と水の呪力がぶつかってる……よね。
と、夜空を染める花をみながら、思う。放たれた術同士がぶつかると、呪力が爆ぜて花火みたいに見えるんだ。火薬の花火より、妖しく烈しい輝きの花を、僕たちは烈花と呼んでいる。
「ううん。誰か、戦ってるのかな?」
じっと目を凝らすと、外壁の上を、飛び回る黒い影がある。
火と水の術者が戦っているようで、烈花の輝きを見る限り……水の術を使っている方が、圧されているみたい。水は玄家の得意属性だから……。
「……っ」
僕は、ぶるりと身を震わせた。
烈花は、僕にとっては見慣れたもののはずなのに、なんだか不安が募る。文徳さんから、玄家が狙われてるって聞いたからかな。
「……行ってみようかな?」
味方の無事だけでも確認したい。壁に向かって駆け出したとき、ドン! と大きい音が鳴る。ハッとして見上げると、じらじら……と音を立てて紅い烈花が散っていく。吹き飛ばされた水の術者が、大きく後退した。
「ああっ!」
思わず悲鳴をあげたとき――壁の向こうから、もう一つの影がひらりと現れ、倒れた術者を庇うように術を放った。
ドンッ!
真っ青の烈花が咲く。
鋭い水砲は、火の術者の放った炎を完全に滅し、術者をも飲み込んだ。渦を巻く水の牢に溺れ、火の術者は動かなくなった。
「わあ……!」
颯爽と味方を助けたその人の、鉄色の長い髪が月の光に輝いている。辰さんの顔は、青く冴えきっていた。
「辰さんっ、かっこいい!」
僕は、その場に飛び跳ねる。胸がきゅーんと痛くなって、顔が真っ赤になっちゃう。
――さっすが辰さん! 強ーい!
僕は高鳴る心臓の命じるまま、駆け出す。いますぐに、辰さんに「おかえりなさい」って言いたかった。
とたとたと足音を立てて庭を走って、壁の近くに出る。――そこには武官の人達が集まっていて、何か話しているみたいだった。その中心に辰さんがいる。カッコいい顔が真剣な表情を浮かべていて、
「ひええ……かっこいい~」
灯篭に隠れて、悶える。お仕事の邪魔しちゃいけないから、遠目からじっと見つめて、辰さんが一人になるのを待った。お仕事をしている辰さんは、すごくかっこいい。
――お仕事中は近づいちゃだめって言われてるけど……お饅頭をわたして、お帰りなさいっていうだけだから。ちょっとだけ。お仕事の邪魔しないから、いいよね?
ぎゅ、と包みを抱く。
やがて、彼らが持ち場に戻っていき、辰さんだけになる。黒い外套を羽織った広い背をみつめ、「今だ」って走り出そうとしたとき、「辰!」と大きな声が飛んできた。
僕はぴた、と動きをとめる。
「剛」
「帰還そうそう、ご苦労だったな。俺の部下がすまん」
姿を見せたのは剛さんだった。辰さんは首を振った。
「気にするな。ただ、万一にも、邸内に踏み込まれては困る。外壁には、練度の高いものを配置した方がいいだろう」
「ああ。すぐに配置を見直す」
真剣な二人のやりとりに、出て行くきっかけを失う。剛さんは厳しい人なので、ここにいるのがバレたら怒られちゃうかもしれない。
――諦めて、梅に届けてもらった方がいいのかも。でも……
帰ろうかと後じさったとき、小枝を踏んでしまう。辰さんが、こっちを向いた。
「……羅華様!」
「あっ」
見ひらかれた緑色の瞳と視線が合ったと思うと――彼は大股にこっちに近づいてきた。
「このようなところで、何をしているんです!?」
真剣な顔で叱られて、おろおろしつつ答える。
「ぇっ、あの……辰さんの戦ってるのが、見えたから。あの、お出迎えしたくて……」
「危ないでしょうが!」
ぴしゃりと窘められ、小さくなる。
――わああ、辰さん、すっごく怒ってる……!
今まで、訓練中にどれだけ纏わりついても、怒られなかったから、油断してた。やっぱり、お仕事中はよくなかったんだあ!
お饅頭を抱いて、まごまごしていると、頭上でため息が聞こえる。
「まったく……剛! 私はこの方を送っていく。警備のことはまた」
「……ああ」
辰さんの言葉に、剛さんが低い声で応じる。こっちも怒っていそうで、僕は汗をかいた。
「行きますよ、羅華様」
「は、はい……」
先を歩くよう促され、おどおどと歩きだす。
辰さんと二人、来た道を無言で戻った。
――き、きまずい……
お隣を歩ければ怖くないけど、半歩うしろを怒ってる辰さんがついていくるのは、すっごく落ちつかない。
僕は意を決し、クルリと振り返った。歩みをとめた辰さんに、ぺこっと頭を下げる。
「辰さん、お仕事の邪魔してごめんなさい! もうしませんっ」
両手を合わせて、ぎゅっと目を閉じた。辰さんが怒ってると悲しいから、仲直りしたい。もちろん、ぼくが悪いので、辰さんの気持ち次第なんだけど……!
ひゅるる、と夜風が吹き抜けていって、身震いする。辰さんが「はあ」とため息を吐く。
「羅華様、私がなぜ怒ってるかわかってます?」
「え。お仕事の邪魔を――」
「違います」
辰さんが、軽く握った拳をぽんと僕の額に当てた。優しい叱責に、僕は目を瞬く。
「私たちはね。玄家の方が仕事の邪魔になるなど、僭越なことは言えません。ただ私自身の方針で、あなたに危ない目に遭ってほしくないだけです」
「え……」
真摯な声に、僕はきょとんとする。
辰さんは黙って羽織っていた外套を脱ぎ、僕に着せかけてくれた。ふわりと温かい。
「どうか、御身を大事に。あなたに何かあっては、景岳様、麗瑶様がどれほどお嘆きになるか」
清冽な香りのするそれに包まって、僕は頬を赤らめた。大きな外套をかきあわせ、身を乗り出す。
「辰さんも?」
「――ええ、もちろん」
辰さんはにっこりして頷く。綺麗な笑顔に、僕は舞い上がった。
「嬉しいっ。ありがとう!」
飛びつこうとした僕に、するりと身をかわし、辰さんは微笑む。
「さあ、参りましょうか」
「もーっ。意地悪……!」
頬をふくらませた僕だけど、大きな手を差し出され、ころっとご機嫌になっちゃう。
月の光の下、ゆっくり歩いた。
辰さんの手はあたたかくて。僕はずっとこの手を離したくないなって思ってた。
本当に、思ってたんだよ。




