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いまは願うだけで

 それから、僕は王太子様の衣づくりに専念する日々になった。


「――四呪の力よ、わが身を巡れ」


 針先に光を灯し、せっせと衣に刺繍をする。

 王太子様の霊衣つくりには、婚礼衣装とは、また違う意気込みが必要だったんだ。

 っていうのは、玄家の霊洞で浄められた布に四呪を施すのはちょっぴり難しいの。僕の流し込む呪力に、布に満ちた霊力が反発してきて……。

 

 ――でも、僕は玄家の羅華。玄武の水の霊力は、僕にとって近しいものだから、大丈夫。

 

 すう、と息を吐いて、精神を集中する。

 針先を押し返してくるような、強い霊水の力をも編み込んで、刺繍を施していく。一足す一は二。自分の力に、自然界の呪力を取り込むと、より強力な力を編むことができるんだ。

 針を刺すごとに、布自体の輝きが増していく。


「うーん。青龍さんの顔、難しいなぁ……」


 今回の刺繍の大きな意匠は、四神なんだ。王族のおしるしが「麒麟」でね、お若い麒麟である王太子様をお守りできますように、って思いを込めての図案なんだって。

 真っ白い絹布に白銀の糸で四神を縫いこんでいけば、白に白で刺繍って言うお洒落な衣が出来る予定なんだよ!


「よいしょっ……位置はこれでいいかなあ?」


 王太子様が衣を纏われて、ちょうど東西南北となるように四神を配置しないといけない。入念に、下絵がずれていないか確かめなきゃ――。縫いかけの衣を衣架けにかけて、くるくると周囲を回ったり、しゃがんだりしながら、位置を確認していると……かたり、と背後で扉の開く音がする。


「!」


 僕は、どきりとして振り返った。


「羅華様? すこし、休憩なさってくださいな」


 お盆を持った梅が、立っていた。僕の勢いに、驚いたみたいに目を丸くしてる。僕は誤魔化すように、笑った。


「……ありがとう、梅っ。ちょうどお腹空いてたの」


 明るく言って、立ち上がる。

 

 『羅華様』


 心の中で、思い描いていた人と違ったって落胆に、気づかないふりをして。甘いお菓子を並べられた卓につくと、梅がお茶を入れてくれる。


「さあ、羅華様。花蜜を入れたあたたかいお茶ですわ」

「わーいっ、美味しそう」


 茶器を手に包んで、甘い湯気にはしゃぐ。僕の大好きなお茶だ。並べられたお菓子も……桃衣っていう寒天のお菓子と、花蜜のおまんじゅう……。


「……ごく、ごくっ!」


 お茶と一緒に、こみあげた涙を飲み下す。


「る、羅華様。そんな勢いで飲んで、大丈夫ですの?」

「う、うん。喉渇いてて……おかわり貰っていい?」


 エヘヘと笑って茶器を差し出すと、梅はほっとしたように笑んで、温かいお茶を注いでくれた。僕は、花蜜のお饅頭をじっと見つめ、こみあげるものを堪えてた。

 

 ――辰さん。

 

 お見舞いに来てくれた日を最後に、辰さんとは会えていなかった。

 任務が忙しいから、って、梅づてに文を受け取って。だから、会えない理由は解ってるのに……どうしても、不安になっちゃうんだ。

 僕のこと、嫌いになったの? って。

 だから、ちっとも会いに来てくれないの?

 わがまま言って、会わなかったから。辰さんに、愛想をつかされたんじゃないかなあって――。


「……っ」


 辰さんのこと、こんな風に思った事なかったのに。こんな薄情ものみたいに、彼のことを思ってしまうことも悲しい。

 すん、と鼻を啜りかけ、桃寒天にもしゃりと齧りつく。白い砂糖の衣がくしゃりと解け、なかから甘酸っぱい蜜が零れだす。

 口がきゅってなる、切ない味。

 まるで、今の僕みたい。王太子様の衣に取り組んでいる時は、忘れた振りできるけど……本当は、ずっと辰さんのことで胸が痛いの。

 

 ――辰さん……会いたいよぉ。

 

 僕は窓の外を見る。良く晴れた青空は雲ひとつなくて、どこか寂しい。

 ……こんなことなら、「会いたくない」なんて、断らなければよかった。

 あの優しい緑の目を、じっと見上げたい。「羅華様」って呼んでほしい。

 そうしたら、怖い思いが和らぐはずなのに。

 


 *


 

 夕刻になると、文徳さんが訪ねてきた。


「羅華様、いかがでしょう? 進捗のほどは……!」


 綺麗な礼をした文徳さんが、期待のこもった笑みを浮かべていた。

 僕は、にこっと笑い返して、そっと衣架けから衣を外す。


「いま、こんな感じです。ちょっとずつ、形になってきましたよ」

「おおお……何と素晴らしい! 目にするだけで、寿命が延びるようです」

「文徳さんったら」


 文徳さんは両手を合わせて、衣に何度も礼をした。芝居がかった賛辞は、ちょっと照れくさいけれど、嬉しい。


「こちらは、あとどれくらいで完成でしょう?」

「うんと……おおまかには、あと二日くらいでしょうか。後は、細かいところに調整を入れて……」


 こんなに大きい霊符を完成させるのは、初めてだから。最後に、職人さん達に確認もして貰いたい。そう伝えると、文徳さんは胸を叩いて、頷いてくれた。


「では、この文徳が、職人たちにアポイントを取りましょう。完成間近になりましたら、お伝えください」

「ありがとう、文徳さん」


 ペコ、と頭を下げる。


「まったく……張殿。毎日、毎日せっつきにいらっしゃって。羅華様にもご都合ってものがあるのですよ」

「せ、せっつく!? これは激励というのだっ」


 呆れ顔で言う梅に、文徳さんがぎょっとしてのけぞった。

 

 ――ふふ、いつもながら賑やかだなあ。

 

 ぽんぽんと言い合う二人は、ここ最近の名物だ。

 辰さんと会えない代わりに、文徳さんがよくご機嫌伺いにきてくれるようになったんだよ。彼の持って来てくれた手土産のおかげで、僕の部屋のお菓子棚はとっても潤ってるんだ。


「まあまあ、梅。僕は大丈夫だよ。文徳さん、今日のお菓子も美味しいですー」

「ほらッ、羅華様はこう仰ってるではないか」


 半泣きの文徳さんに、手土産のお礼を言うと、彼はぱっと笑顔になる。梅は「やれやれ」とこめかみをもみながらも、お茶のおかわりを入れてくれた。優しいねえやに笑いかけると、優しい笑みが返ってくる。


「そうだ、羅華様。いつもどおり、若君や辰の様子を、お聞きになりますか?」


 

 上品な所作で茶器を持ち上げ、文徳さんが思い出したように言う。僕はハッとして、居住まいを正した。――文徳さんが、訪ねてきてくれるもう一つの理由。それは、僕に任務のことを教えてくれるためなんだ。


「お願いします。あの……みんな、無事でしょうか?」


 恐々と聞く僕の肩を、たおやかな手が支えてくれる。両手を握り、固唾を飲んでいると、文徳さんは莞爾とした。


「ご安心召され。若君や辰――手練れの者たちも、怪我を負ったものなどおりませぬ」

「ほんとうっ?」

「ええ。羅華様は、なにも心配などなさいますな! 玄家の精鋭たちが後れを取ることなどありえませぬ。それどころか、敵将をばっさばっさ討ち取っている次第ですし、敵の首魁もじきに絡めとりましょうぞ。そこで、羅華様の衣をまとった殿下が祈祷を行えば……まさに、一件落着!」


 文徳さんは扇を振り、芝居がかった口調で説明してくれる。僕は、梅と顔を見合わせて、ほうと息を吐いた。


「よかった……」

「ようございましたね、羅華様」


 優しい声に、うんと頷く。辰さんと会えないから、無事かどうかもわからなくて……。文徳さんに尋ねて、ホッとするのくり返しなんだ。安堵に胸を撫でていると、文徳さんが声を潤ませる。


「羅華様にかように案じていただけるとは。辰は幸せ者でございます」

「そんな……」


 明るい声に、喉が詰まる。

 

 ――ほんとかな……?

 

 曖昧に笑っていると、文徳さんは拗ねてると思ったんだと思う。眉を曇らせて、早口に呟いた。


「まったく、辰のやつはいけない。羅華様を不安にさせるなど……この前など、久しぶりに休みだったというのに、会いに来ずどうするのだ」

「え……?」


 文徳さんが小声で言ったことに、僕は息を飲む。


 ――辰さん、お休みだったの?

 

 いつも、お休みの日は会いに来てくれるのに、ちっとも知らなかった。真っ白になっていると、梅が「文徳殿!」と声を上げる。


「あなたという方は、ちょっといらっしゃい!」

「ちょ、何をする? わああ……」


 梅に腕を取られた文徳さんが、引っ張られていく。声が徐々に遠ざかっていくのを聞きながら、僕はぼうっとしていた。


「辰さん……」


 梅が戻ってきて、また作業を始めてからも、呆然としている。


「……だめだ」


 僕は針を置いて、桃色の巾着をとりだした。――あの日、辰さんが持って来てくれたお見舞いの袋。今は、霊符を入れて守り袋にしてるそれを、胸に抱く。


「僕……どうしよう……?」


 考えてみても、わかんない。何を言ったらいいかも……実際に、顔を見たら怖くなっちゃうかもしれない。

 会いたくない。でも、会いたい――。

 僕は、夕日の沈む空を見つめた。彼方に高い塀が見えて、結界旗が黒い影になってはためいているのが見える。


「……無事でいて、下さい」


 今は、それしか願えない。夕陽がしみて、涙がこぼれ出る。袖でぎゅっと拭うと、僕は針を握った。


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