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朝食に足りないもの [後編]

 アンリが手慣れた様子で各人のもとへ配膳していく。


「おお!」

「わぁ!」

「これは!」


 感嘆の声が次々と上がり、ジャンパン・レストランは今日一番の盛り上がりを見せていた。


「朝早くからお集まりいただいたのには理由があったのです」


「確かにな……」


「お待たせしました!」


 全員分の配膳を終えると、アンリはいつものように本日の料理名を高らかに告げた。


「本日のお料理<温泉旅館の朝食>になります!」


 御膳には、


 味噌汁と白ご飯

 きゅうりの浅漬と味付け海苔

 焼鮭の切り身と大根おろし


 が整然と並べられていた。


 全員が居住まいを正し、両手を合わせて唱和する。


「いただきます!」


「三角食べって、この場合どこからがいいんだろ?」


 そんなライアンの声は誰の耳にも届くことはなく、全員が瞳を輝かせ食事を口に運んでいた。


「くうぅぅぅぅぅ」


 味噌汁を一口すすったリンが声にならない声を上げる。


「コレ、昆布だしだな。味噌は少し甘めのこうじ味噌。こうじの粒が舌の上に残るのがまたいい!」


 ドルリーが味付け海苔でご飯をくるっと巻いてパクンと食らいつく。もぐもぐと口を動かすその顔は満面の笑みをたたえていた。


「この粗めのおろし具合が最高ですな」


 パリッと皮の焼けた鮭に、醤油を数滴垂らした大根おろしを乗せながら、レスターが感慨深げに呟く。


 ライアンはというと、きゅうりの浅漬を口に入れたところで動きが止まっていた。その瞳はよく見ると少し潤んでいるようにも見えた。



 ***



 全員が幸せそうに箸を動かす中、アンリはひとり静かに目を細めていた。

 やがて頃合いを見て湯呑みにお茶を注ぎ始める。


 ギルバートの湯呑みにお茶を注ぎ終えると、アンリは急須を置き、そっと彼に語りかけた。


「ギルバートさん……今日はわたしをお目当てに来られたんですよね?」


 全員の動きが一斉に止まった。

 視線がアンリとギルバートに集まる。


「え?」

「ほぉ?」

「なになに?」

「どゆことだ?」


 ギルバートはアンリの言葉に目を見開き、続いて決まり悪そうな表情を浮かべた。


「……まずは、皆様を騙すような振る舞いをしましたこと深くお詫び申し上げます」


 机に両手をつき深々と頭を下げるギルバート。


「おっしゃる通り、今日はアンリさんにお目にかかりたくお邪魔させて頂きました」


 ギルバートはアンリの顔を見つめた。


「ライアンさんからお聞きしたアンリさんのご容姿が、行方知れずの少女と酷似しておりまして……」


「!!!」


 テーブルの上の空気が一瞬凍りついたようだった。


「直接この目で確認できればと思った次第です」


 食後の緩やかだった空気は一転、キリッとしたものに変わっていた。


「みなさん、少しお待ちくださいね」


 アンリはそう告げると厨房へと向かった。

 すぐにまた姿を現した彼女の手には一冊の書籍が携えられていた。


 その書籍がなんなのかは誰もが認識していた。


 ギルバートの向かいの席に腰を下ろしたアンリは、「少しお話が長くなってしまうかもですが」と断った後、ゆっくりとした口調で話し始めた。



 ***



「みなさんが食事される姿を見ながら、何から説明しようかと色々考えたのですが……まずはアンダーソンさんのことを、お話ししたいと思います」


 皆、次の言葉を待っていた。


「アンダーソンさんはご存知の通り、魔導書の収集家として世間には知られています。でも実は、とある分野の魔法においても第一人者でした」


 少し間をおいてアンリはこう続けた。


「それはいわゆる”召喚術”と呼ばれるものです」


 レスターは眉をひそめた。


「あまり表立って言える話じゃないな」


 リンが腕を組み直しながら呟く。


「わたしの見た目――皆さんとは明らかに違って……どう見ても日本人ですよね?」


 その言葉に、皆の視線が改めてアンリに注がれる。


「……実はわたしは、この世界に“転生”したのではありません……」


 一瞬の沈黙のあと、アンリはゆっくりと、しかしはっきりと口にした。


「……わたしはアンダーソンさんによって“召喚”された日本人なのです」


 みんな、思わず手を止めた。

 驚きの空気がゆっくりとテーブルに広がる。

 誰もすぐには言葉を返せなかった。


「召喚されたわたしはその日から、彼の邸宅で暮らすことになりました。食事の用意に、掃除、洗濯――家事全般は私の役目でした」


 アンリのまぶたが、ほんの少しだけ伏せられた。


「そんな毎日の中で楽しかったのは、時折任される彼の蔵書の整理でした。そしてある日、わたしは――」


 アンリは手にした一冊をそっと抱きしめた。


「この<忘れ物を取りに戻る魔法>と出会ったんです」


 本の表紙を見つめるその目に、優しい光が宿る。


「忘れ物をしたときに使える、ちょっと便利な魔法──世間の人たちにとって、この魔法はそんなモノだと思います。

 わたしも最初は、そう思っていました。

 でもある日、ふと考えたんです」


 アンリの声が、少し熱を帯びた。


「わたしの場合はどうなるんだろう?

 異世界の人間でも、転生者でもない──日本から“転移”してきたわたしがこの魔法を使ったら?

“日本に置いてきたもの”を、忘れ物として指定したら……どうなるんだろうって」


「……試してみられたわけか」


「はい」


「どうなったんだ?」


「……目の前には、もう何年も目にしていない日本の光景が広がっていました」


 アンリの表情が穏やかな、でも少し寂しげなものに変わった。


「頬にまとわりつく湿気、どこからか鳴る自転車のベル、焼き魚の香ばしさ――そしてあちこちから聞こえる日本語……」


 アンリは口元をぎゅっと結び、俯いた。


「もう感情がぐちゃぐちゃになってしまって……その後のことはほとんど覚えていません。ただ、なんでわたしをこの世界に召喚したんだとアンダーソンさんに強く当たった記憶はあります。そしてそのまま、わたしは家を飛び出してしまいました……」


 今日一番の静寂が室内を覆っていた。


「それからわたしは何度も何度も日本とこの世界を行き来して、そのうち心もなんとか落ち着いて。そしてこのお店を始めるに至ったのです」


 アンリは俯き気味だった顔を上げた。


「あれはちょうど、アンダーソンさんが体調を崩されたと人づてに聞いたときでした。何も言わずに飛び出してしまったわたしのせいだ。そう思い、後先考えずバックドアを使って戻ったのです。するとその時ちょうど、邸宅にいた人と出くわしてしまって……」


「……少女の目撃騒ぎってのは、そのときのことか」


 アンリはしばらく沈黙し、身にまとった漆黒の割烹着の裾をそっと握りしめた。

 そして小さく口を開いた。


「アンダーソンさんは……昨日、亡くなられました……」


 突然の告白に、その場にいた誰もが凍り付いたように動きを止めた。


「いや、それは……」


 誰かがかすれた声を漏らしかけるが、その先の言葉は出てこない。

 時間が止まったような沈黙が、部屋を支配する。

 

 そんな静寂を破るように、アンリが口を開いた。


「みなさん、先ほどの朝食、何か足りないものがあったと思いませんか?」


「えっ……?」

「ん……?」

「それは……」


 皆が互いに顔を見合わせている。

 アンリの唐突な問いかけに、誰もその意図を掴みきれずにいた。


 そこへ、良くも悪くも空気の読めないライアンの一言が飛ぶ。


「確かに、まだ腹五分目って感じだな」

「そういうことじゃねーだろ!」


 ――リンのツッコミが、重たい空気を少しだけ押しのけた。


 アンリはうふふと笑うと、「食材です」と声に出した。


「食材?」

「旅館の朝食か……」

「漬物にご飯、焼き魚と味噌汁、味付け海苔……」

「あーもしかして」

「確かに……」

「足りませんな」


 皆が同じ答えに辿り着く。

 そして息を合わせるように一斉に叫んだ。


「卵だ!」



「……アンダーソンさんは卵料理がとにかく大好きでした。昨日最後に、新鮮な日本の卵でなにか作ってくれないかと……」


 その光景を噛みしめるように、アンリは目を伏せた。


「目玉焼きに始まって、ゆで卵、卵巻き、茶碗蒸し、そして最後に卵かけご飯。本当にいろいろ作りました。そのせいで、お店の在庫がなくなってしまうくらいに……」


 その声には、懐かしさと哀しさが、そっと滲んでいた。


「……気づかれましたか?」


 アンリは顔を上げ、ふっと微笑んだ。


「そう、彼もまた――わたしと同じ、日本からの転移者だったのです」



 ***



 本日の異世界日本人の会の例会は、お開きの時間を迎えていた。


 転移魔法陣のそばで見送りをしていたアンリが、帰り支度を始める一同に声をかける。


「今日は少し湿っぽい話が続きましたので、最後にほんの少し、面白いお話をお届けしますね」


 その言葉に全員がふと手を止め、アンリに視線を集めた。


「アンダーソンさんの日本でのお名前ですが……」


「ほお?」


「……下村さんだったそうです」


「ん? 下村?」

「下……」「村……?」

「アンダー……」「ソン!」

「あー!」

「……ダジャレですな」

「なんでアンダーだけ英語で、ソンは日本語なんだよ!」


「きっと名前を呼ばれるたびに、ほくそ笑んでいたのかもしれませんね」


 全員が魔法陣の上に立つと、淡い光とともに転移が始まった。

 その時、リンがふと思いついたように声を上げた。


「ってことは、アンリって名前も……まさか」


「……次回の謎解きのネタができましたね」


 笑顔でそう応じたアンリは深々と頭を下げ、いつものセリフで会を締めくくった。


「それではみなさん、またのご来店を――心よりお待ちしております」



【あとがき】


最後までお読みいただきありがとうございました!


異世界日本人の会 「朝食に足りないもの」はこのお話で終了です。


ここまで読んで「面白い!」と思ってくださった方は、☆をタップして★★★★★にして応援いただけると嬉しいです!


本作は連作短編になっています。ただいま次のお話を執筆中です。


勇者ライアン、僧侶レスター、魔法使いリン、王女ドルリー、そしてアンリのお話の続きを、また読んでみたいと思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】をいただけると幸いです。

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