朝食に足りないもの [前編]
「ライアンさん、今日も遅刻ですかね……」
アンリは動作する気配のない転移魔法陣の前で立ち止まり、ぽつりと呟いた。
人差し指をあご先に当てて小首を傾げている。
「仕方ないなー」
くるっと振り返り、すでに定位置に座っている面々に視線を向ける。
「到着したら教えてくださいね」
そう言い残すと、漆黒の割烹着に身を包んだ彼女の姿は奥の厨房へすっと消えていった。
ここは、オーナーシェフのアンリが営む《ジャパン・レストラン》
転移魔法陣を何度もくぐり抜けた先の、口外無用の空間にあるこのレストランでは、月に一度、〈異世界日本人の会〉のメンバーたちが集まり、懐かしの日本食を囲んでひとときを過ごす。
今日はその例会の日だった。
にもかかわらず、畳敷きの和室に姿を見せていたのは、三人だけ。
二名分の座椅子は空いたまま、今日のホストとそのゲストを待ちわびていた。
「いつものことだけどさ、ほんと時間どおり来ねえよなー。いいのかよ、あんなんが勇者様で……」
この世界に転生して少年の姿となった魔法使いリンが、肩をすくめて悪態をつく。
「ヒーローというものは、遅れてやってくるのが様式美というものですぞ」
向かいの座椅子に腰かけた僧侶レスターが、湯呑みを傾けながら誇らしげに答えた。中身はお茶などではなく、もちろん焼酎のお湯割りだ。
「ヒーロー? おまえ、特撮オタクとして、あれをヒーローと呼ぶことに抵抗はないのか?」
レスターは、照明の下で妙に存在感を放つ頭をポリポリしながら、何事もなかったように切り返した。
「そういえば、日本にいた頃は5分前行動じゃったが、ずいぶん前にやめたとか申してましたな」
「おっ? あの超適当なライアンが? 全然想像できねーんだけど。転生の影響で性格が変わっちまったってことか?」
「はて、なんでしたかな。確かワシと出会って……感銘を受けたとか……」
「あー、つまりあれか。人生やり直す機会をもらっても、結局昼間から酒をかっくらうおまえを見て馬鹿馬鹿しくなったと」
「失礼な。ワシは日本にいるときと何ら変わらんぞ」
「……だからだよ。普通はさ、転生したことに感激してこれまでの人生を顧み、理想の道を歩もうと誓ってだな……」
「ああ、それでお主はモテモテの人生を目指しとるわけか。まあ、ちっとも成果は出とらんようじゃが……」
「うるせーな! 等身大のフィギュアを抱いて寝てたおまえに言われたきゃねーよ」
「あ、アンリちゃーん! もう一杯もらえんかな。鷹の爪とかあればひとかけ落としてもらえると嬉しいんじゃが」
「……おい、ジジイ。もう一回転生できるかどうか、今すぐ試してやろうか?」
リンが身を乗り出したその時、これまでずっと机に突っ伏していたドルリーがむくっと顔を上げた。
「……みなさん、朝から元気ですわねぇ。ワタシはまだ眠くて眠くて……ふわぁああ……」
ゆるくウェーブがかった金髪は寝癖でボサボサ。机に接していた頬のあたりも少し赤くなっている。とても一国の王女様には見えない。
「あーあ、ワタシも転生するなら、勇者とか、魔法使いとか、僧侶とかが良かったなぁ……なんたって異世界モノのド定番じゃないですかー」
「お姫様だって十分主役級じゃね?」
リンが意外そうに応じる。
「そうかもですけど、でも本当に、なーんにもすることがないのですから。あー、ただの王女じゃなくてせめて、実は最強だったり、隠れスキルがあったり、身体に紋章があったりすれば良かったのになー」
そう口にすると、ドルリーは「ぐあーっ」と声を上げてまた机に突っ伏してしまった。
「おい、リン。姫はなにを言っておるのじゃ?」
「わからん」
「お主、昔はゲーマーだったのじゃろ。少しはわかるのではないのか?」
「いや、ドルリーのあれはガチのアニオタでないとわからんやつだ」
――と、その時、レストラン入口の転移魔法陣が青白く光りはじめた。やがてそこに、ふたつの人影が浮かび上がる。
「やっと来やがった」
「ゲストもご一緒のようですな」
光が収まり、姿を現した栗色の髪の青年――勇者ライアンは、右手をさっと挙げ、いつもの軽い調子で声を発した。
「お待たせ〜! いやあ、ちょっといろいろあってさ!」
そのすぐ脇にライアンの腕にすがるように立つ男がいた。
「……あの、そちらが……本日のゲストの方で、いらっしゃいますの?」
なんとか目を覚ましたらしいドルリーが訊ねる。口調こそ上品だが、ギョッとした表情でライアンとゲストを交互に見つめていた。
「うん、そうだよ」
「そうだよ、じゃねえだろ。大丈夫なのかよ」
それは、ライアンの腕につかまっていなければ今にも倒れそうな、青白い顔の男だった。
「ああ、魔法陣を山ほどくぐったせいで、転移酔いしてしまったようでね」
「あら、そんなにたくさん移動するんでしたっけ?」
ドルリーの問いにレスターが答える。
「ワシらは普段、転移魔法陣のバックドアを使ってショートカットしとるが、ゲストが一緒のときはここへの行き方がわからんようにかなり回り道しますな」
「でも、参加資格がないとわかったら、リンちゃんが魔法で脳みそバーンってやっちゃうんでしょ? なら、そんなに複雑な経路にしなくてもよろしいのでは?」
「いや、ドルリー……。俺そんなヤバいことしないって……」
リンが慌てた様子で否定する。
「確かに元日本人じゃないとわかった場合は記憶を消させてはもらうけど、軽めの魔法だから稀に思い出すことも無くはなくて。だから念のため……」
「上 → B → B → B → 左 → B ……」
リンの説明は、突如発せられたライアンの呪文のような声に制せられた。
「……B → B → 右 → B → B → B……。なんなんだ、これ?」
暗誦を終えたライアンが面々を見回す。
「ふっ、懐かしいだろ? 異世界村の隠しコマンドな。オレが中学の頃、毎日のようにプレイしてたやつ」
「なんじゃ、そのB級感いっぱいのタイトルは?」
「えっ、知らないのかよ! 一世を風靡した死にゲーたぞ! 騎士アーサーがさらわれた王女を救うため、異世界へと単身乗り込んで……」
「まあ、ステキ!」
「いつもの倍は転移してそうですな……」
その時、ひときわ大きな嗚咽が室内に響き渡った。
「おえーーーーーーーーーーーっ!!!」
ゲストがついに耐えきれず、四つん這いになって身体を震わせている。
「うわぁーーーーーーーーーーっ!!!」
全員がゲストから大きく一歩飛び退く。もちろんライアンもだ。
「おい、ライアン! おまえのゲストだろ。なんで逃げるんだよ!」
「勇者だからって、なんでも出来るわけじゃない!」
「なに胸張ってんだ!」
「リン、おまえの魔法でなんとかしてやってくれ」
「いや俺じゃなくって、ここはレスターの出番だろ」
レスターに視線を送るリン。
「ん? 坊主になにをやれと言うのじゃ」
「治癒とか回復するのが僧侶だろ」
「あー、最近やっとらんでな。転移酔い転移酔い、はて、どうやるんだったかー。あーリン、ちょっと思い出すまで繋いどいてくれぬか?」
「はあ? どうしろって言うんだよ!」
「アレじゃアレ。飛行機とか観光バスにあった紙パックのアレ。アレを出すんじゃ」
「そんな魔法はねえよ」
「いやいや、おぬしならやれる。まず紙袋を生成してその中にビニールを……」
「だから無いって言ってんだよ! なに魔法だよ、それ!」
「では仕方ない。いざとなったら謎の光で覆って……」
「解決策になってないだろ!」
そこへドルリーが、とびっきりの妙案が見つかったかのように、はい!と勢いよく手を挙げて割り込んできた。
「えっと、口から出ないように蓋をしてしまうのはいかがかしら?」
「……それ、窒息して死んじゃうんじゃね?」
「……ぐふっ、げふぉげふぉ。……いやいや皆様、もう大丈夫……」
誰ひとりとして手を差し伸べることのない、元日本人の集まりとは思えぬ、おもてなしのカケラも感じられない状況であったにもかかわらず、ゲストは復活を遂げていた。
「大変お見苦しい姿をお見せしてしまいました……」
「なに、礼には及ばん」
「いやおまえ、なんもしてないだろ……」
「何も出なくてなによりでしたわ」
「心配するとこ違くね?」
「おお、思い出しましたぞ! 酔い止めの治癒魔法が……」
「だから、おせーよ!」
ライアンとゲストが席についたのを見届けたかのように、アンリが再び姿を現した。
「みなさん、お揃いになられたようですね」
「やあ、アンリ。今日もよろしく!」
「はい、ライアンさん。今日も遅刻でしたね。今度遅れたらお食事抜きですよ」
「……それは、魔王討伐より難題だ」
「レストランに来て食事抜きって面白えな。また遅刻してもいいぞ、ライアン!」
「リンくん、そんなこと言ってたら連帯責任にしちゃいますよ」
「それは勘弁……」
「レスターさんも、お酒は一杯までって約束したでしょ」
「あ、いや、つい勢いで……」
「ドルリーちゃん、また寝てたでしょ。口のまわりにヨダレの跡がついてますよ」
「……うげげ」
アンリはひととおりメンバーとやりとりを終えると、最後にゲストの方へと視線を向けた。
「本日のゲストの方ですね。ようこそジャパン・レストランへ。わたしがオーナーシェフを務めておりますアンリです」
挨拶を終えたアンリは、いつもの決まり文句で場を締めくくった。
「それでは本日もジャパン・レストラン開店させていただきます! しばしご歓談いただきながらお待ちください」