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Side陽菜 第9話

 ホテルザマークシティ札幌のロビーは、高い天井から繊細なシャンデリアが吊り下げられ、柔らかな金色の光を大理石の床に反射させていた。磨き上げられた床はまるで鏡のように周囲を映し込み、訪れる者の足音を優雅に吸い込む。

 カウンターの奥では、黒いスーツに身を包んだコンシェルジュが、流れるような手際でゲストを迎えている。

 ロビーの奥に目をやると、深いワインレッドのベルベットが気品を添えるソファがゆったりと配置されており、その片隅で、パンツスーツ姿の陽菜と友梨佳が所在なさげに真田を待っていた。

 昼頃に陽菜の運転する車で札幌に到着し、ホテルにチェックインしてスーツに着替えてから来たのだが、どうやら正解だったようだ。真田の言う「カジュアル」を鵜呑みにして、ジーパンとTシャツで来ていたら、入り口でベルボーイに止められていたかもしれない。

「超まぶしい。サングラスしてても目が痛い」

 友梨佳はアルビノ特有の羞明の症状があるため、屋外では常にサングラスをかけているが、このホテルのロビーでは屋内でもサングラスが必要らしい。

「お待たせして申し訳ありません、主取さん」

 真田が声をかけながら近づいてきた。

「いえ、私たちも早く着きすぎただけですから」

 真田は上質なジャケットにパンツスタイルという出で立ちだった。やはり、真田の言う「カジュアル」と陽菜たちの「カジュアル」とでは、根本的に感覚が違うようだ。

「高辻さんもお越しいただきありがとうございます。このような集まりには興味がないかとばかり思っていました。思い込みは良くないですね」

「ええ、馬に興味のなさそうな方が牧場見学にいらっしゃることもありますから」

 口調は穏やかだが、サングラスの奥で友梨佳の目が細められている。どうやら、この二人は根本的に相性が悪いらしい。話せば分かると言うが、世の中には例外も多い。

 集まりの雰囲気を壊す前に、早めに退散した方が良さそうだ、と陽菜は思った。

「では、こちらへどうぞ」

 エスコートする真田の後ろで、「ああいうところだよね」と友梨佳が陽菜にだけ聞こえる声で囁いた。陽菜は苦笑いを返すしかなかった。

 交流会は、最上階のレストランを貸し切りにして、立食パーティー形式で開かれていた。受付を済ませると、会場ではすでに大勢の男女がドリンクや料理を片手に会話を楽しんでいた。

 参加者は当然ながら陽菜たちよりも年上で、いかにも意識の高そうな人々ばかりだ。場違いな気がして気後れしていると、「皆さんにご紹介します」と真田が入口付近で立ち話をしていたグループに陽菜たちを紹介してくれた。

 渡された名刺には、『代表取締役』や『社長』、『部長』といった肩書が並んでいる。参加者の多くはITベンチャー企業に所属しているようで、牧場とはほとんど接点がない。強いて言えば、事務所のパソコン関係か、馬主候補になるかもしれないというくらいだろうか。

 それでも陽菜は、自分の全く知らない分野の話に知的好奇心を刺激され、熱心に耳を傾けていた。しかし、2、3グループ紹介されたところで、友梨佳は完全に飽きてしまったようだ。

「ちょっとご飯取ってくる」

 友梨佳は陽菜に耳打ちすると、料理が並んでいるテーブルへと向かった。


「髪の毛、すごく綺麗に染まってますね」

 友梨佳が唐揚げやローストビーフなど、茶色系の料理を皿に盛っていると、比較的若めの女性グループに囲まれた。

「肌も白くて羨ましいです。どこのサロンに通っているんですか?」

「あ、いや。これは地毛で、肌も生まれつきなんです……」

「ええ!? ますます羨ましい。もしかしてハーフですか?」

 初対面なのにずけずけと質問してくる女性たちに、友梨佳は思わず後ずさる。

「あの、私は……」

「アルビノですよね!」

 女性グループの間を割って、中年の男性が割り込んできた。背丈は小柄だが、その分腹回りは豊かで、サスペンダーが今にも弾けそうな勢いだ。空調が効いているはずなのに、額には大粒の汗が浮かんでいる。

 女性グループは男性にドン引きして、そっと距離を取った。友梨佳も逃げようとしたが、背後には料理が置かれたテーブルがあり、逃げ場がない。

「は、はい……」

「やっぱり! いやあ、参加して良かった。初めてお目にかかれました。これは運命というものでしょうか」

(勝手に運命に巻き込まないでほしい)

 愛想笑いを浮かべつつ、カニ歩きでその場を離れようとした時、名刺を差し出された。

「遅れて申し訳ありません。私、株式会社エイチ・ツー光学の布袋田春樹と申します。光学機器のベンチャー企業の代表をしています」

 差し出された名刺を恐る恐る受け取る。『Hoteida Haruki』、それでエイチ・ツーかと、妙なところで納得する。

 名刺まで差し出されて自己紹介された以上、自分も名乗らないわけにはいかない。

「高辻友梨佳です……舞別町の牧場で働いています……」

「おお、なるほど。アルビノの方は、その性質上、どうしても弱視になってしまうと聞きます。牧場勤務で視力が弱いと、苦労する場面も多いでしょう?」

 牧場で働こうがそうでなかろうが、視力が弱ければ苦労するのは当たり前だが、友梨佳は黙って頷いた。

「失礼ですが、視神経に異常は?」

「神経は問題なくて、黄斑形成が不十分だと……」

 布袋田はがしっと友梨佳の手を掴んだ。布袋田の手は汗でじっとりと濡れている。

「ひっ!!」

 友梨佳は思わず小さく悲鳴を上げた。手を振り払おうにも、料理の乗った皿を持っているため、思うように動けない。

「高辻さん!あなたこそ私が求めていた人だ。ぜひ一緒に来ていただけませんか?」

(絶対嫌だ!)

 こんな男にお持ち帰りされるくらいなら、馬に蹴られて死んだ方がマシだ。

 陽菜に助けを求めようと周囲を見回すが、視力が悪いので陽菜がどこにいるか分からない。

 大声で悲鳴を上げれば気づいてくれるかと息を吸い込んだ瞬間、友梨佳の目の前に一つの紙袋が差し出された。


 気がつけば、あれから1時間半が経っていた。異業種交流会での会話は、知的好奇心を刺激する一方で、専門外の話についていくのは容易ではなかった。真田は終始楽しげに話し、時折陽菜に分かりやすく解説を加えてくれた。

(真田さんは、本当にこういう場が好きなんだな)

 そう思いながら手元を見ると、いつの間にか名刺の束を握りしめていた。多くの名刺を手に入れ、興味深い話も聞けたが、残念ながら自分の業務に直結するようなものはなかった。

 遥からは「ま、楽しんでいらっしゃい」と軽く言われ、小田川に至っては「メリットがない」と率直に告げられた。

 きっと、こういうものなのだろう。

(次は、もういいかな……)

 陽菜は内心でそう呟いた。

(友梨佳は大丈夫だろうか?きっと退屈しているに違いない)

 そろそろ引き上げようと友梨佳を探したが、会場のどこにも姿が見当たらない。

(まさか、先に帰った?)

 テーブルにはまだたくさんの料理が残っている。食いしん坊の友梨佳が、美味しい料理を残して先に帰るとは考えにくい。何かよほどのことがあったのだろうか。そう思い、電話をかけるが応答はない。

『どこにいるの?』

 LINEを送った時、真田が陽菜のそばにやってきた。

「この後、もしお時間があれば下のバーで一杯いかがですか?」

「あの、友梨……連れが……」

 そう言いながら周囲を見回すと、先ほど友梨佳を取り囲んでいた女性たちが通りかかった。

「ねえ、見た?さっきの金髪の娘、お持ち帰りされてたわよ」

「見た!意外とああいうタイプが好みなんだ」

「もしかして、あの男の人、超セレブだったりして」

「まさか!」

 女性たちは甲高い笑い声を上げながら通り過ぎていった。

(え、金髪って友梨佳のこと?お持ち帰りって、まさか……)

 陽菜は胸が締め付けられるのを感じた。

「主取さん?」

「あ、はい。行きます」

 もしかしたら、友梨佳がホテルに戻ってくるかもしれない。

『会場下のバーにいます』

 陽菜はLINEを送ったが、既読はつかなかった。

 異業種交流会の会場から一つ上の階にあるバーからは、札幌の夜景が一望できた。

 バーカウンターでは若いバーテンダーがカクテルを作り、その後ろには陽菜が見たこともないような珍しい酒のボトルが美しく並べられていた。

 店内にはジャズが静かに流れ、シックで落ち着いた大人の雰囲気を醸し出している。

「ほう。出資が集まらない、と」

「はい。いろいろ試したり、相談したりしているのですが、なかなかうまくいかなくて」

 テーブルの向かい側に座る真田に、陽菜はスマートフォンの画面を見せながら相談を持ちかけた。

 マシュマロの出資は、ようやく集まり始めたものの、まだ10口にも満たない。小田川に言われた言葉の意味も、まだ理解できていなかった。

「少し失礼します」

 そう言って、真田は陽菜のスマートフォンを受け取り、募集馬のページを閲覧した。

 しばらく見た後、スマートフォンを陽菜に返した。

「何か、気づいたことはありましたか?」

「そうですね……」

 真田は腕を組み、少し天井を見上げた。

「この一口馬主は、法律上、金融ファンドに該当しますよね。通常、金融ファンドに投資する人は、投資額に見合った、あるいはそれ以上のリターンを期待します。そのためには、客観的なデータが必要になるのは当然ですよね?」

 陽菜は黙って小さく頷いた。

「見たところ、出資に必要な情報は記載されていると思います。しかし、私の父もそうですが、競走馬を購入する人たちは、通常の投資とは異なる判断基準で行動することが多いのです」

「価値観、ですか?」

「大まかに言えばそうですが……馬を見るポイントが人それぞれということです。お尻が大きい方がいい、肩の張り具合がいい、馬格が大きい方がいい、小さい方がいい、などですね」

「真田さんのお父様は、馬のどこを見ているのですか?」

 真田泰人は、日本を代表する馬主だ。その人が馬選びのポイントとする箇所を知っておくことは、重要な情報になるかもしれないと思った。

「父は、馬の目を見ると言っていますね。目を見て、賢そうかどうか判断すると。父に言わせると、賢い馬でないと走らないそうです」

 同じことを、7月のセリで大岩も言っていた。馬選びの重要なポイントなのだろう。

「目つきや顔立ちも載せた方がいいのかな……。でも、賢そうかどうかは主観ですよね。どうやって情報として載せれば……」

 ホームページのことを考えながら、陽菜は思わず呟いた。そして、ハッとして顔を上げた。

「あ、すみません。仕事のことを考えてしまって……」

「いえ。仕事に真摯に取り組む姿は、とても素敵だと思いますよ」

 真田は全く気にしていない様子だった。

「私、一つのことを考えると周りが見えなくなる癖があるみたいで……。ブリンカーという、馬の目の外側につけて視界を遮り、前方しか見えなくする道具があるんですけど、それをつけた馬みたいになるそうです」

 陽菜は顔の横に手をかざし、視野が狭くなっている様子を表現した。

「今度、競馬でブリンカーをつけた馬を見かけたら、主取さんのことだと思って応援しますよ」

 二人は顔を見合わせ、くすくすと笑い合った。

 ふと、陽菜は窓の外に広がる札幌の夜景に目を向けた。

「綺麗ですね、札幌。実は私、あまり来たことがなくて」 

「とても良いところですよ。都会過ぎず、田舎過ぎず。おしゃれで洗練されているのに、どこか親しみやすい雰囲気があって。市の中心部はビルに囲まれていても、車を数十分走らせれば豊かな自然が広がっています。『札幌転勤族は二度泣く』とはよく言ったものです」 「暮らしやすそうで羨ましいです」

「明日は何時まで札幌に?」

「14時には出発する予定です」

「よろしければ、それまで札幌を案内しますよ」

「せっかくですが、明日は友人と観光する予定で……」

 そこにLINEの着信が入った。失礼しますと言ってスマホを見ると、友梨佳からだった。 『遅くなりそうだから、先にホテルに戻ってて。あと、明日の予定もキャンセルさせて。本当にごめん』

(やっぱり、男の人と一緒なのかな……。心配しているのに)

 パーティー会場で感じた胸の締め付けが再び陽菜を襲った。それも、さっきよりも強く。 「真田さん。やっぱり明日、ご一緒させてください」

 陽菜は胸の苦しみを振り払うように言った。

 真田にタクシーでホテルまで送ってもらったときには、22時を回っていた。

 バリアフリールームは一般的なツインルームよりも広く、真っ暗だと寒々しく感じる。 ベッドを見たが、友梨佳はまだ帰っていなかった。 スマホを確認したが、友梨佳からの連絡はない。

(楽しんでいるのかな……。まさか、朝帰りってことはないよね……)

   陽菜はバッグとジャケットをベッドに放り投げた。

  アルコールが入っているせいか、ひどく疲れた。とても友梨佳を待っていられそうにない。明日は10時に真田とロビーで待ち合わせをしている。

(先にお風呂に入って寝てしまおう)

 陽菜は着替えを取り、バスルームの引き戸をスライドさせた。


 陽菜が人の気配で目を覚ましたときには、サンシェードから朝の陽ざしが差し込んでいた。

「友梨佳……?」

  陽菜が起き上がると、友梨佳がベッドに腰掛け、旅行カバンに荷物を詰めていた。友梨佳はすでに着替えていた。

「ごめん。起こしちゃった?」

「大丈夫。昨夜は何時に帰ってきたの?」

「0時過ぎだったかな」

 陽菜が風呂から出てベッドに入ったのが23時半過ぎだったから、その30分後くらいに帰ってきたことになる。全く気が付かなかった。

「ごめんね、陽菜。もう行かないと」

「え、もう!?」

  陽菜は一気に目が覚めた。

「うん。後でちゃんと説明するから。お昼、一緒に食べられる?」

「……今日は真田さんに札幌を案内してもらうから……」

  友梨佳の表情が、一瞬暗くなったように見えた。

「……そうなんだ。分かった。じゃあ、駐車場で。私の荷物はフロントに預けておくね」 友梨佳が部屋の扉に手をかけた。

「友梨佳」

  陽菜が呼び止める。

(昨夜は誰と会っていたの? どういう関係? 今日はどこに行くの?)

  陽菜は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 友梨佳の口から決定的な言葉を聞きたくなかった。

「……ううん。気を付けてね」

「分かった。陽菜もね」

  友梨佳は微笑むと、ブラウンのサングラスをかけて部屋を出て行った。

(女友達同士なら、こういうとき、恋バナで盛り上がるはずだよね。私はどうしてできないんだろう……)

 時刻は8時半を回っていた。

 テレビをつけると、朝の情報番組が流れた。今日の札幌は一日中晴天で、暑くなるらしい。

 部屋の窓から見える藻岩山が、だんだんとぼやけてくる。

 陽菜の膝の上に冷たい涙が一滴こぼれ落ちたが、麻痺している陽菜の膝はそれを感じ取ることができなかった。


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