Side友梨佳 第41話
深紅の優勝レイを肩にかけられたリアンデュクールを中心に、シュバルブランのスタッフや厩舎関係者、およそ三十名がコースいっぱいに広がっていた。誰もが誇らしげに胸を張り、シャッター音の中で笑顔を弾けさせている。まるで一枚の絵のように、美しく、温かい光景だった。
ウイナーズサークルの前には、表彰式用の舞台が設置されている。金色のトロフィーが陽光を受けてきらめき、栄光の瞬間を待っていた。
「ありがとうございまーす!」
カメラマンの声に合わせて、皆が笑いながら少しずつ散っていく。
その中、友梨佳が人混みをかき分けるようにして、ちょうどリアンデュクールから降りたところの茜に、真っ直ぐ向かっていく。
「茜っち!」
「……え?」
振り返った茜に、友梨佳が勢いよく飛びついた。驚いた茜はそのまま友梨佳ごと仰向けに倒れ込む。
「ありがとう……ほんとに、ありがとう、茜っち!」
「ちょ、分かったから……どいて……!」
「勝たせてくれて……無事に、リアンを戻してくれて……本当に、本当にありがとう!」
友梨佳がさらに力を込めて茜を抱きしめる。
「痛いから! 離れなさいって!」
茜は力ずくで友梨佳を引き離す。
「えー、なんで?」
「そういうのは、陽菜さんとやりなさい」
その一言に、陽菜がびくりと肩を揺らし、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「お礼を言うのは……私の方よ。こんな夢みたいな舞台に立たせてもらえて……今回はみんなに勝たせてもらったけど、次は私が、皆を勝たせられるように頑張る」
その言葉に、友梨佳も茜も、ふっと微笑む。
瞳の奥に宿るのは、まっすぐな、曇りのない光だった。
「表彰式を行います。関係者の方は、こちらへお願いいたします」
係員の男性が丁寧に案内の声をかけてくる。
「陽菜、ちょっと」
遥が静かに歩み寄り、自分の胸につけていた赤いリボンを外し、陽菜の胸元へそっとつけ替える。
「代表!? それって――」
陽菜が驚いたように遥を見つめる。
「あなたが行きなさい。これは……あなたたちの物語だから」
遥の目は、深い慈しみに満ちていた。
「……でも……」
戸惑う陽菜に、係員が申し訳なさそうに声をかける。
「恐れ入ります、時間が押しておりますので……」
「……じゃ、じゃあ、行ってきます!」
陽菜が決意の声を発すると同時に、車椅子のハンドリムを押し出す。
すぐ隣で待っていた友梨佳が嬉しそうに言う。
「やった、一緒だ!」
そう言いながら車椅子のグリップを握り、彼女を押して歩く。
その笑顔は、誰よりも眩しく、まるで春の陽光のようだった。
「遥、いいの?」
小田川がそっと近づき、遥に問いかける。
「ええ。これはあの子への餞。きっとこの瞬間が、これからの道を照らしてくれる」
「……?」
「友梨佳と二人で牧場をやるって。もう舞別町と包括連携協定を結ぶ準備まで進んでるの。ほんと、組織を動かすのが上手な子よ」
「そう……寂しくなるわね」
「そうは言っても、お隣りだもの。行き来はこれからもあるわ。それに――すぐ、また賑やかになるわ」
遥の言葉に、小田川がふと視線を落とす。
遥の左手の薬指には、銀の指輪が、やわらかく光っていた。
「そうだ、ちょっと聞きたいんだけど」
表彰台に上がった茜が振り返って友梨佳と陽菜に尋ねた。
「栗毛の四白流星の馬を知ってる?」
急な問いかけにきょとんとする二人。
「……ヤエノムテキとか?」
友梨佳が知っている馬を考えながら答えた。
「そうじゃなくて、今日出走した中で。ゴール前で確かにその馬に抜かされたはずなんだけど……」
茜は不思議そうに見つめる二人の視線に気づいてハッとする。
「ごめん。やっぱり何でもない。私の勘違いだわ、きっと」
茜は手をパタパタとさせ、笑いながら歩いて行った。
「ねえ、兄さん。この馬券、いくらになるの?」
香織がリアンデュクールの馬券をひらひらと振りながら、隣に立つ桐島に尋ねる。
「単勝と複勝がそれぞれ千円。合計で一万五千四百円ってとこかな」
「すごい! ……で、兄さんは?」
「俺か?」
桐島は苦笑いしながら、上着のポケットから馬券の束を取り出す。
「単勝馬券、リアンデュクール以外、全部」
「えーっ!? なにそれ、ひどい! 兄さん、競馬向いてないよ!」
「はは……そうだな。もうやめるよ、金輪際」
肩をすくめる兄の姿に、香織は呆れたように溜め息をつく。
「しょうがないなぁ。じゃあ、兄さんの再就職祝いも兼ねて、私がご馳走してあげよう!」
「お、それはありがたいな」
「その代わり、小田川さんの事務所に勤め始めたら、新作コスメのサンプルとかもらってきてよ?」
「無茶言うな。入ったばかりで、そんなの頼めるわけないだろ」
「お願い! 聞くだけでもいいから!」
「だから無理だって……ほら、馬券換金しに行くぞ」
そう言って、桐島はスタンドの階段を登り始めた。香織は慌ててその背中を追いかけた。
その頃、ターフでは音楽隊による「威風堂々」が厳かに奏でられていた。
表彰式が始まる。舞台袖に立つ司会者が、高らかに名前を読み上げる。
『優勝馬主、株式会社シュバルブラン様――優勝生産者、舞別町・有限会社高辻牧場様』
その声に合わせて、陽菜と友梨佳がゆっくりと前へ進み出た。
陽菜の背筋は凛と伸び、友梨佳は隣で微笑む。
風を受けて並び立つ二人の姿は、2人の姿は、風を受けて凛として美しかった。
拍手が広がり、歓喜の波がターフを包み込む。
「陽菜、さっきの茜っちの話しなんだけど、一頭心当たりがあるのを思い出した」
陽菜は友梨佳の目をじっと見つめながら考えると、すぐにその一頭にたどり着いた。
『スローガレット』
2人は声をあわせた。
「……そっか、リアンと一緒に走ってたんだね」
陽菜がつぶやくと、友梨佳は「うん、ほんとうに」と言ってターフを見る。
リアンデュクールはまだ、ゴール前のターフの上で静かに立っていた。
眩しいほどの陽射しの中、たてがみを風になびかせながら――その瞳は、どこか誇らしげに、表彰台を見つめていた。