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Side陽菜 第5話

 新ひだか町にある日高軽種馬農業協同組合北海道市場は、朝から多くの人と馬で活気に満ちていた。毎年7月第3週に開催されるセレクションセールは、当歳と1歳のサラブレッドの選抜市場である。上場できるのは、セレクションセール選考委員会が定める「血統基準」と「実馬検査」を通過した馬のみであり、どの馬も堂々とした体格で、毛並みは美しく輝いている。

 このセールには、高辻牧場から2頭、イルネージュファームから10頭が上場予定だ。上場を控えた牧場関係者は、朝早くから割り当てられた馬房で馬の手入れをしたり、購買検討者に馬を披露したりと、一息つく暇もない。友梨佳も例外ではなく、泰造と共に朝から馬房の前で対応に追われており、陽菜が話しかける余裕はなさそうだ。

 遥には、このセールで二つの重要な任務があった。一つは、イルネージュファームの馬を全頭売却すること。もう一つは、グランベレーザの24を落札することである。グランベレーザの24は、イルネージュファームの近くにあるシャインスターファームが生産した馬で、その血統背景と仔馬の体つき、バランスから、遥が将来有望だと確信している一頭だ。父親の初年度産駒でまだ実績がないため、大手牧場が主催するセレクトセールには上場されなかったが、今回のセールでは注目の的である。

「厳さん、どう? 見た感じは」

 上場馬の展示会場で、牧場スタッフに引かれてゆっくりと歩く、美しい栗毛のグランベレーザの24を眺めながら、遥が尋ねた。

「問題ないでしょう。父親によく似た雰囲気があります。丈夫そうですし、何より賢そうな顔つきが良い」

「顔つきって、そんなに大切なんですか?」

 陽菜が大岩に尋ねた。

「もちろんだ。賢い馬でなければ大成しない。人間と同じだ。一流のアスリートと呼ばれる者は、皆、頭の回転が速い」

「マシュマロはどうですか?」

「ああ、あれも賢そうな顔をしている。ただ、あいつの場合は……」

「主取さん」

 大岩が何か言いかけた時、真田が陽菜に声をかけた。

「あ、真田さん。代表、先日牧場にいらっしゃったトップエッジの真田さんです」

 陽菜が遥に真田を紹介する。

「先日は、せっかくお越しいただいたのに、失礼いたしました」

「いえ、主取さんには牧場を丁寧に案内していただきました」

「今日は馬をお求めに?」

「いえ、父の付き添いです。そもそも、私は馬主資格を持っていませんので」

「そうですか。JRAは難しくても、地方競馬という選択肢もあります。もしご検討されるようでしたら、いつでもご連絡ください。それと、お父様にはお手柔らかにとお伝えください」

 遥は、マシュマロの購入にすでに6000万円を費やしており、グランベレーザの24に使える予算は限られている。マネーゲームになれば勝ち目はない。真田泰人がこの仔馬を高く評価しないことを、ただただ祈るばかりだ。

 真田は、愛想笑いを浮かべた。

「あ、主取さん。よろしければ、セリが始まる前にお昼でもご一緒しませんか?」

「私は構いませんが……」

 陽菜は、ちらりと遥を見る。

「大丈夫よ。せっかくだから行ってらっしゃい」

「それでは、ご一緒させていただきます」

「よかった。では、少し早いですが、11時にレストランの前で」

 そう言うと、真田は展示会場を後にした。

「陽菜、しっかり繋ぎ止めておくのよ」

 遥は、陽菜の肩を強く叩いた。

 異性としてか、それとも顧客候補としてか、陽菜は考えたが、遥の様子から察するに後者だろう。

 昼食くらいゆっくりと取りたかったが、仕方がない。会食も仕事のうちだ。

「はあ……」

 陽菜は小さくため息をつきつつ、展示会場を引かれて歩く仔馬の列を眺めていた。


 陽菜と真田は、セリ会場の2階にあるレストランで落ち合った。それぞれが注文を済ませ、陽菜が代金を支払おうとしたところ、真田がそれを制した。購買者には食事券が配られるらしく、陽菜は遠慮なくそれに甘えることにした。

「一口馬主ですか。そういった仕組みもあるんですね」

「ええ。一人で一頭の馬を持つのは経済的にリスクが高いので、大勢で一頭の馬に出資することでリスクを分散できるんです」

 食事をしながら、二人は陽菜が携わっているクラブ法人について話した。

「共有とは違うんですか?」

「共有馬主の制度もありますが、共有者は全員馬主資格が必要です。一口馬主はクラブ法人が馬主となって広く出資を募る形態で、法律上は金融ファンドに位置付けられます。数万円から出資できて、賞金の配当を受けたり口取り式に参加できたりと、結構人気があるんですよ」

「なるほど。法人としては、利益を上乗せして募集金額を設定すれば損はないし、イルネージュファームで生産した馬なら利益率はさらに高くなる。昨今の競馬ブームなら、満口にするのも難しい話ではない。良いところに目を付けましたね」

「ええ。代表の手腕です」

 真田は頭の回転が速く、陽菜が一を話せば十を理解してくれるので、説明が楽だった。

「真田さんは馬に興味は?」

「いやあ、セリにまで来ておいて何ですが、実はあまりよく分からなくて」

 真田ははにかみながら頭を掻いた。そういう可愛らしい仕草もするんだと陽菜は思った。同時に、友梨佳の人を見る目の確かさを実感した。

「それでは、牧場には?」

「実は、父が引退したら牧場をやりたいと話していまして。今すぐ牧場を開業しようとは考えていないのですが、最近の牧場のトレンドを情報収集していたんです。アルテミスリゾートさんとは公私共にお世話になっており、そこでイルネージュファームさんのことをお聞きして訪問した次第です」

「なるほど。そういうことだったんですね」

 それなら本人が来ればいいのにとも思ったが、本業が忙しいのかもしれない。あまり突っ込んだ話をしても仕方がないので、陽菜は相槌を打つことにした。

 それにしても、わざわざ情報収集したりセリに付き添ったりと、仲の良い親子だ。

「それでは、これを機に一口馬主から始められてはいかがでしょう」

 陽菜はカバンからシュバルブランのパンフレットを取り出し、真田に渡した。

「ははは。実に優秀な営業だ」

 真田はパンフレットをめくりながら、スノーキャロルの24のページに目を留めた。

「これがスノーキャロルの25ですね。真っ白で綺麗な馬体をしていますね。父が欲しがったのも分かる気がします」

 遥がマシュマロを買った数日後に、真田泰人から連絡があったと友梨佳が前に話していた。泰造の言い値で買うと言ったらしいが、泰造は頑として断ったとのことだ。

 遥は、泰人がイルネージュファームにマシュマロの購入交渉に来るかもしれないと考えていたが、結局来なかった。他の馬に目を付けたのかもしれない。

「牧場スタッフからの評判も良いんですよ」

「一口100万円ですか。まあ、検討させてもらいます」

「ぜひお願いします」

 そう言って二人は笑い合った。

「あ、ところで主取さんは異業種交流会に関心はありませんか?」

 ひとしきり笑った後、真田が唐突に聞いてきた。

「異業種交流会……ですか?」

「ええ。実は9月最初の土曜日17時から札幌で異業種交流パーティーがあるんです。パーティーといっても立食の食事会のようなもので、みんなカジュアルな格好で参加しています。今後の仕事のために人脈を広げてみてはと思ったのですが……」

 異業種交流会への誘いとは思ってもみなかった。興味がないわけではないが、札幌だと宿泊になるかもしれないし、牧場のこともあるので遥に聞いてみないと分からない。

「真田さんは東京から参加されるんですか?」

「いえ。今は札幌支社に出向しているので、しばらくは札幌に滞在しているんです」

「そうなんですね……。興味はありますが、上長に聞いてみないと」

 ちょうどその時、セリが開始されるアナウンスが放送され、レストランにいた客たちがぞろぞろと移動を始めた。

「あ、私ももう行かないと」

「では、分かったらご連絡ください」

 二人は取り急ぎ連絡先を交換し、レストランを後にした。


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