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side友梨佳 第29話

 弓が検量室前に戻ってくると、真っ先に駆け寄ってきたのは三枝だった。少年のように顔をくしゃくしゃにして喜んでいる。彼にとって、これが厩務員人生で初めての重賞勝利だった。

 弓は1着の枠場にリアンデュクールをとめ、その背中から静かに降り立った。 

 着地した瞬間、ふらりと後ろによろめく。 

 その体を支えたのは、駆け寄ってきた友梨佳だった。

「友梨佳ちゃん……」

 弓が小さくつぶやくと、友梨佳は震える声で答えた。

「ありがとう、ユーミン……これで、本当に……ダービーが見えてきた。おじいちゃんの……あたし達の夢が……」

 その目に、涙が溜まっていた。

 弥生賞を勝ち、賞金を大きく加算できたことで、たとえ皐月賞で惨敗してもダービー出走はほぼ確実になった。

「……なんとか、ダービーに連れて行く約束は果たせたみたいね」

 弓は微笑んでそう言うと、友梨佳の肩を軽く叩いた。

「……本当に、ありがとう……」

 友梨佳は、子どものように両手で何度も涙を拭いながら、何度も頷いた。

「あなた達の目標はダービーで勝つことでしょう? 泣くのは、そのあとにとっておきなさい」

 そう言い残し、弓は静かに検量室へと歩いていった。

 記者たちが彼女を囲もうとするのを、桐島が懸命に押しとどめていた。

 そのとき、茜の騎乗するホーリーグレイスが戻ってきた。

 ゴーグルをかけたまま、茜は無言で馬から降りると、検量室に入っていく弓の背中を見つめていた。

「……結局、全部、天野さんの計算通りだった。あの人に追いつくには……あとどれくらいかかるんだろう……」

 ぽつりと、呟くように茜が言った。

「茜っち……」

 友梨佳が声をかけようとしたその瞬間、ふたりの背後から肩にガバっと手が回された。

「ありがとう! 君たちのおかげだよ!」

 ホーリーグレイスの馬主、後藤だった。

「あ、茜っちはともかく、あたしは何もしてないけど……?」

「何を言っているんだい。あの日、君がコンサイニングの問題を見抜いて、影山厩舎を紹介してくれなかったら、今日のこの結果はなかったんだ」

 後藤は破顔しながら友梨佳の肩を何度も叩いたかと思うと、今度は茜の手を両手でしっかり握った。

「桜木さん。本当に見事な騎乗でした。ホーリーグレイスの力を、余すことなく引き出してくれた。おかげで、俺の馬が初めてクラシックに出走できます。こんなに嬉しいことはありません」

 後藤の熱い言葉に、茜の頬にようやく柔らかな笑みが浮かんだ。

「よかったね、茜っち」

「うん……天野さんに負けたのは悔しいけど、ダービー獲って、追い抜いてやるわ」

 そう言って、茜は肩を軽く回しながら検量室へと入っていった。

「み、みなさーん! 関係者の邪魔にならないように、一列でお願いします!」

 か細い声で、綾乃がリアンデュクールの口取り式に参加する出資者たちをウイナーズサークルに誘導していた。

 皆一様に興奮と歓喜に包まれていたが、ただ一人、小田川だけは落ち着いていて、その様子に慣れているようだった。

「あれ、翔さんも来てたんだ?」

 友梨佳が小田川を見つけ、声をかけた。

「そりゃ来るわよ。重賞の口取り式なんて、そう何度もあることじゃないもの。それより、あの子……なんとかならないの?」

 小田川は綾乃の方を見て、少し困ったように言った。

 綾乃はおどおどしながら参加者の点呼を取っていた。

「人間関係のバランスを取るのが絶妙なのよ。良いバランサーになってくれているわ。それにああ見えて、肝は据わってるの。関西に行かせてる美月と、いいコンビになると思うわ」

 後ろから遥が答えた。

「あなたって、ほんとコンビを育てるのが好きね。……まあ、遥が言うなら間違いないんでしょう」

 小田川は、どこか懐かしそうな目で友梨佳を見つめた。

「あ、あのっ! 小田川翔さんですよね!? 俺、桐島・マーク・タカシと言います! 天野弓のマネージャーやってます! ずっと、小田川さんの大ファンで……コスメ、全部持ってます!」

 桐島が緊張に震えながら声をかけると、小田川はふっと微笑みながら彼を見た。

「あら、そう。ありがとう」

 小田川はじっと桐島の顔を見つめる。

「ベースメイクは完璧。アイラインも丁寧ね……。 ずいぶん緊張感のある日々を過ごしてきたんでしょう? よく頑張ってきたわね」

 その言葉に、桐島の目からぽろりと涙がこぼれた。

「……そういう人、嫌いじゃないわ。何かあったら連絡しなさい」

 そう言って、小田川は名刺を差し出した。

「あ、ありがとうございます!」

 桐島は深く頭を下げ、両手で名刺を受け取った。

「そんなの渡さなくても、翔さんのLINE教えてあげるよ」

 友梨佳がさらりと言った。

「ゆ、友梨佳!? お前っ……」

 桐島が驚いたように声を上げる。

「だって、昔からの付き合いだもん。翔さん、いいでしょ?」

「……ったく、あんたは……。 まあ、天野騎手のマネージャーなら身元はしっかりしてるだろうし、今回は特別よ」

「よかったね、マーくん」

「あ、ありがとうございますっ!」

 桐島は顔をくしゃくしゃにして、何度も頭を下げた。

 小田川は苦笑いしながら遥を見る。遥は肩をすくめて笑って返した。

「お、小田川さーん……いませんかー!?  小田川さーん!」

 綾乃の必死の声がウイナーズサークルから聞こえてきた。

 小田川はため息をつく。

「はいはい、ここにいるわよ」

 そう言って、綾乃のもとへ向かって歩き出した。

 小田川を見送っていると、友梨佳のスマホに陽菜からのLINEの着信があった。

 LINEを開くと、泰造の家で、泰造を中心に陽菜や大岩をはじめとしたイルネージュファームの面々が写る写真が送られていた。

 今まで見たことないくらい嬉しそうな笑顔の泰造の顔に友梨佳の顔もほころんだ。

 そのとき、スタンドから大きな歓声が上がった。

 友梨佳が振り返ると、深紅の優勝レイをかけ、紅白の引綱をつけたリアンデュクールが、弓を背に三枝に曳かれて姿を現した。

「さ、私たちも行きましょう」

 遥に促され、友梨佳は静かに頷いてターフへと足を踏み入れた。

 友梨佳の左胸につけられた『生産牧場』と書かれた赤いリボンが、ターフを駆け抜ける弥生の風にそっと揺れていた。


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