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side友梨佳 第22話

 京都競馬場は快晴で、日なたにいれば上着など必要ないほどの暖かさだった。

 友梨佳はひと足早く競馬場入りし、弓が今日のレースで使う鞍と勝負服の準備に取りかかっていた。

 おそらく、バレットとしての仕事も明日が最後になるだろう。

 その思いがあってか、友梨佳はいつも以上に丁寧に、一つひとつの所作に気を込めていた。

 ――と、不意に背後から両胸を鷲掴みにされ、友梨佳は思わず叫んだ。

「きゃああ!!」

「友梨佳、ウソやろ? 北海道帰るなんて。道頓堀、一緒に行ってへんやんか!」

 関西のバレット仲間の伊藤秋穂だった。

「お、おじいちゃんの具合が良くなくて……。てか、なんでバレットの女の子って、あたしのおっぱい揉みたがるの?」

「ほら、バレットって普通ジョッキーの身内がやるやん。せやから小柄な子が多いからさ、友梨佳みたいなおっぱい、憧れんねんで。知らんけど」

 言い終わるが早いか、再び背後から両胸をぐいっと鷲掴みにされた。

「きゃああっ!」

「……あら、本当。見た目以上ね」

 今度は弓だった。

「ちょっ、ユーミンっ!」

「ごめんなさい、つい」

 弓はイタズラっぽく微笑んだ。

「いよいよ明日までね。今までありがとう。茜があなた以外にバレットをつけない理由、わかる気がするわ」

「こっちこそありがとう。おじいちゃんに治療を受けさせてくれて、最後に思い出の場所にも行けた。すごく感謝してたよ」

「……そう。よかった」

「それで、これなんだけど……」

 友梨佳はポケットからお守りを一つ取り出し、差し出した。首から下げられるように紐がついたお守りには、九頭の馬が描かれていた。

「上賀茂神社で買ったの。馬が九頭描いてあって、“うまくいく”だって」

「私に?」

「うん。ユーミンの騎手人生がうまくいくように、って」

 弓はそっとお守りを受け取り、胸の前でぎゅっと握りしめた。

「ありがとう、友梨佳ちゃん……」

 その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「天野さん、そろそろ前検量お願いします」

 係員の声が飛んできた。

「じゃあ、行ってくるわね」

 弓はお守りを首にかけ、アンダーシャツの中にしまい込むと、検量室へと歩いていった。

「なあ、天野騎手、変わったよな」

 秋穂が、ぽつりと呟くように言った。

「変わった?」

「うん。前はめっちゃ近寄りがたい雰囲気やったし、笑ってんの見たことなかったもん」

「そっか……言われてみれば。でも、もともとすごく優しい人だよ」

「友梨佳ってさ、人のええとこ見つけるの、ほんま得意やんな。ウチ、そんなんできる友梨佳、大好きやで。なあ、チューしてええ?」

 そのまま抱きついて顔を寄せてきた。

「ちょっ、やめてってば!」

「お取込み中、申し訳ありません」

 秋穂を引き離そうとしていたところに、小柄なスーツ姿の女性が声をかけてきた。

「高辻友梨佳さんですよね?」

「う、うん。そうだけど……」

 バレットの子を押しのけながら、友梨佳は返事をした。

「私、この1月からシュバルブランに入職しました、大原美月と申します」

 そう言って、女性――美月は名刺を差し出した。

「え!? シュバルブランって……」

「はい。私は青山代表から、関西の競馬場に出走する所属馬および会員のサポート、それに営業を任されております。関東は同期の各務原綾乃が担当しています」

「え、じゃあ陽菜は……?」

「主取先輩は本部でマネジメント業務に就かれました」

「ふーん、マネジメント。競馬場に来られなくて、つまらなくないのかな?」

 その言葉に、美月は目を鋭くし、ぐっと距離を詰めてきた。

「何を言っているんですか! 主取先輩は、どうすれば会員とより感動を共有できるか、いつも真剣に考えていらっしゃいます! それを考え抜いた結果、この体制が最善だと判断されたんです!」

「そ、そうなんだ……」

「主取先輩の仕事への姿勢、本当に尊敬しています。私、先輩の日本ダービーに懸ける想いに心を打たれました。私もリアンデュクールと一緒に、ダービーを勝ちたいんです」

 熱く語る美月の頭に、ぽん、と手を置いた。

(そっか……ダービーは、もう個人的な夢じゃないんだ)

 陽菜や泰造、遥、そして小田川をはじめとする出資者たち――あの人たちと一緒に立つダービーの口取り式。

 満員のスタンドが揺れるほどの歓声のなか、リアンデュクールのゼッケンに触れながら、誰もが泣いて、笑って、言葉にならない想いを分かち合う。

 カメラのフラッシュが何度も光り、青空の下で風にたなびく勝負服と、誇らしげにかけられた優勝レイ――その中心に、仲間たちと並んでいる自分の姿。

 それは、ただの勝利じゃない。

 夢を託した者たちが、想いを一つにしてつかみ取れる、“奇跡”なんだ――。

「ちょっ……やめてください」

 美月が友梨佳の手を振り払おうとしたそのとき、前検量を終えて鞍を抱えた弓が現れた。

「あ、ユーミン!」

 美月のことは一旦置いておいて、友梨佳は駆け寄った。

「ユーミン、あたし、嘘ついてた」

「?」

「嵐山で、ダービーは二の次みたいなこと言ったけど……本当は違う。あたし、みんなと一緒に、ダービーを獲りたい。ユーミン、あたしをダービーに連れてって」

 弓は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにふっと微笑んだ。

「……ええ。わかったわ」

「きっとだよ」

 友梨佳が拳を差し出すと、弓はその拳に自分の拳を合わせる。

 そして、後ろ手にピースサインをしながら、装鞍所へと続く道を歩いていった。

「……え、天野騎手、格好いい……」

 美月は胸の前で手を組み、頬を赤らめながらぽつりと呟いた。


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