side友梨佳 第11話
『ロイヤルストライドが先頭に並ぶ。4コーナーをまわって直線。ロイヤルストライドがここで抜けた。後続を大きく突き放す。7馬身……8馬身。もう手綱は持ったまま。ロイヤルストライド圧勝でゴール。まさに王の歩み。世代の頂点へ、その一歩を踏み出しました』
友梨佳は陽菜のベッドで足を伸ばし、タブレットをタップして別の動画を流す。
『10番リアンデュクールが上がってきて、先頭に並ぶ! 4コーナーをカーブして直線——おっと、ここでリアンデュクールが逸走! なんと外ラチまで大きくコースを外れた! これはレースに復帰できるのか!? ここで先頭は……』
友梨佳はため息をつきつつ、タブレットを操作して動画を巻き戻す。
『……3、4コーナーの中間。リアンデュクールがここで外に持ち出し、先頭を追う。』
動画を止め、じっと画面を見つめる。
「リアタイでは気づかなかったけど……ここでちょっとかかり気味だったんだね。前の馬を追うのに夢中になって、茜っちの手前を変える合図に気づけなかったのかも」
そう呟きながら、何度も動画を巻き戻す。
「いっそ逃がしてみる……いや、でも出遅れ癖があるから無理か。かといって、馬群から離したら前を追ってかかりそうだし……」
ぶつぶつと独り言をこぼしていると、突然タブレットをパッと取り上げられた。
「——陽菜!?」
隣を見ると、いつの間にか陽菜がベッドに並んで足を伸ばしていた。
「もう、全然気づかないんだもん。仕事熱心なのはいいけど、それって桜木さんや影山先生の仕事でしょ?」
そう言いながら、陽菜はタブレットをベッドサイドのテーブルに置いた。
今日のレースがすべて終わった後、友梨佳は陽菜と落ち合い、横浜の陽菜の実家に泊まりに来ていた。陽菜の両親は旅行中で、今晩は二人きりだった。
この家に来るのは二度目だが、泊まるのは初めて。部屋の中は陽菜が高校生の頃のままで、介護用の柵付きベッドもそのまま置かれている。
褥瘡予防の体圧分散マットレスは、体が包み込まれるような心地よさがあった。
「大丈夫だよ。ふたりともプロだから、きっちり修正してくる。次はきっと勝てるよ」
陽菜の言葉に、友梨佳は小さく頷く。
「……うん、そうだね」
陽菜がそっと肩にもたれかかってきた。
「ねえ、友梨佳。すごく変わったね」
「え!? そんなことないよ……?」
驚く友梨佳に、陽菜はくすっと微笑む。
「いい意味でだよ。知らない土地で、新しい仕事を始めて……なんていうか、人としての幅が広がった気がする」
友梨佳は少し照れたように視線を逸らした。
「最近ね、仕事が楽しいんだ。今までやったことないことを覚えて、ちゃんと成果を出せば人から信頼されて……それが次の仕事につながる。牧場の仕事も好きだけど、こんな風に感じたことはなかったな」
「きっと、それって牧場を経営する側に回ったら必要なことなんじゃないかな? いい仕事をして、人の信頼を得る。それをおじいちゃんは、友梨佳に身につけてほしかったんだと思うよ」
「そっか……。やっぱり敵わないな、おじいちゃんには……って、なんで陽菜まで『おじいちゃん』って呼ぶの?」
「だって、私にとってもおじいちゃんだもん。ヘルパーさんが来ない日は、私が行って家事を手伝ってるし」
「ええ!? 言ってよ!! ……あー、だから電話するたびに『まだ帰ってこなくていい』って言うのか。そりゃあ陽菜が遊びに来てくれたら楽しいよね」
「ごめんね、黙ってて……怒った?」
「ううん。むしろ感謝してる。陽菜がいてくれるなら安心。私、もう少しだけここで仕事したいから」
「山賊の慰み者にされるとか言ってたのに?」
「それはもう言わないで!」
陽菜はくすくすと笑った。
「でも、本当に成長したよ。バレット姿もかっこよかったし……惚れ直しちゃった」
「……陽菜」
二人はそっと口づけを交わす。
見つめ合い、微笑み合う。
——ふと、友梨佳は何かを思い出したように口を開いた。
「ねえ陽菜、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「天野さんがね、熱中症で倒れた馬を見て『そんなに苦しいなら、私を振り落とせばよかったのに』って呟いてたの。これって、どういう意味だと思う?」
「そのまま解釈すれば、『無理してゴールまで走らないで、私を振り落としてでも止まればよかったのに』ってことじゃない?」
「うん、普通はそう思うよね」
友梨佳は腕を組み、天井を見上げた。
「だったらさ、馬を止めて競走中止にすればよかったじゃん? でもVTRを見たら、最後まで追ってたんだよ。もう馬はフラフラで、まともに走れる状態じゃなかったのに。しかも、馬群のど真ん中で。あんな状態で何かあったら……」
「馬の異変に気づかなかったとか?」
「天野さんほどの騎手が? ありえないよ」
言葉に詰まり、友梨佳はゆっくりと息を吐く。
「それにね……天野さんに見つめられた時、なんか変だった」
「見つめられたの!?」
「うん。すごく深いものに絡め取られたみたいで、動けなくなって⋯⋯」
その瞬間、陽菜は友梨佳の顔を両手で優しく挟み、自分のほうへ向けた。
「……ねえ、友梨佳。私ね、あなたと付き合うようになってから、新しい自分に気づいたの」
「……え?」
次の瞬間、陽菜はリモコンで部屋の明かりを消し——そのまま、友梨佳に馬乗りになった。
「私、思ってた以上にやきもち焼きみたい」
「陽菜……」
友梨佳が言い終わる前に、陽菜はそっと唇を重ねた——。
優しく触れ合うだけだった口づけは、次第に深く、熱を帯びたものへと変わっていった。友梨佳も、陽菜の肩に手を回し、ゆっくりと応えるように唇を開いた。
陽菜の舌がするりと入り込み、友梨佳の舌を絡め取る。
熱を帯びた舌と舌が絡み合い、ぬるりとした湿った音が室内に微かに響く。
「……ふ……っ、ん……」
友梨佳の指先が無意識にシーツを握る。体の芯がじんわりと熱くなっていくのを感じた。
陽菜は唇を離し、潤んだ瞳で友梨佳を見つめた。
「だからね。友梨佳は私のだって分かるように念のため印を付けておくの……」
再び唇を重ねながら、陽菜の指がゆっくりと友梨佳の頬をなぞる。そのまま首筋へと移動し、指先が優しく触れるたびに、友梨佳の肌が小さく震えた。
「……陽菜……」
名前を呼ぶ声が、どこか甘く揺れる。
陽菜はそのまま友梨佳の首筋に唇を落とした。ちゅっと小さな音を立てながら、何度も優しく吸い、舌先でゆっくりと撫でるように這わせる。
「……ん……っ……」
友梨佳の唇から、かすかな吐息が漏れた。
陽菜の手がそっと友梨佳の肩に添えられ、軽く押される。力を込められたわけでもないのに、友梨佳の背は自然とベッドへと倒れ込んだ。
上から覗き込む陽菜の瞳は、優しさと熱を帯びたものが混ざり合い、どこか切なげにも見えた。
「……ねぇ、友梨佳……もう、いい?」
囁くような声が耳元に触れ、くすぐったさとともに、体の奥から熱がこみ上げてくる。
「……うん……」
微かに頷くと、陽菜はそっと微笑んで————ゆっくりと、友梨佳の体を抱きしめた。
やわらかな温もりが、互いの境界を溶かしていく。
絡み合う指先。重なる吐息。
夜の静けさの中で、二人の時間は静かに、けれど確かに深く溶けていった——。