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side友梨佳 第6話

 陽菜を乗せたタクシーが美浦トレーニングセンターのゲートをくぐる。

 友梨佳からは五日間も連絡がない。こちらから電話しても繋がらず、LINEの既読もつかない。

 五日前、友梨佳から突然の電話を受けた陽菜は、すぐに遥に相談した。しかし、

「そんなわけないでしょ。心配いらないわよ」

 と取り合ってもらえなかった。

 陽菜自身も「山賊にさらわれた」なんて話を真に受けるつもりはなかったが、五日間も音

 信不通となると、不安が募る。

 もともと来週、美浦にシュバルブラン所有の馬と預託厩舎の取材に行く予定だったが、無

 理を言って訪問を五日早めてもらった。

 厩舎の前に車がとまり、陽菜は車椅子を降ろして乗り換える。

 時刻は正午を回り、厩舎作業が一段落したのか、辺りは静まり返っていた。

 陽菜は事務所へと向かう。

 そのとき――

「友梨佳、こっちに来いよ」

 粗野な笑い声と共に響いた言葉に、陽菜の体が強張った。

(友梨佳がいる……! しかも、嫌がらせを受けている? まさか、本当に……)

 悪い想像が次々と頭をよぎる。

(とにかく助けなきゃ!)

 陽菜は、救出後の逃走経路を即座にシミュレーションする。

 警備室までは約二キロ。走って逃げるには遠すぎる。

 比較的近い場所にある遥の彼氏・前川がいる綿貫厩舎なら、五百メートルほどだ。そこへ駆け込もう。

 事務所から厩舎の出口までの通路を確認し、深呼吸を二度繰り返す。

(いざ――!)

 意を決して扉に手をかけた、その瞬間。

「あれ、君、イルネージュファームの人?」

 背後から突然声をかけられ、陽菜は手を止める。

(――!)

 驚いて振り返ると、作業着姿の若い男性が立っていた。

「来るなら前もって言ってくれないとさ。まあ、いいか。人数が多い方が楽しいしな」

 そう言うなり、男は陽菜の車椅子のハンドルを掴んだ。

 陽菜は咄嗟にホイールを押して抵抗するが、まるで歯が立たない。

(ああ……捕まった……! 友梨佳、ごめん……)

「おーい! イルネージュファームの人が来たぞー!」

 男が事務所の扉を開ける――

 そこに広がっていたのは、陽菜の想像とはまるで違う光景だった。

「でさ、あたし言ってやったのよ。あんたらトレセンのルールを分かっちゃいないんだって!」

 友梨佳が椅子の上で立て膝をつき、得意げに話している。

「あぁ、俺もスカッとしたね。新入りの記者が馬の前を車で横切りやがるんだもんな」

 薄毛で小柄な厩務員・小久保が頷く。

「そうそう、一度ガツンと言わねぇと……」

 そんな会話が飛び交う中、友梨佳が扉の前に立つ陽菜に気づく。

「陽菜!? え、来るの来週じゃなかった?」

「歓迎会のゲストが増えたな」

 大滝が楽しげに言う。

「柳田、ケータリング一人分追加できるか?」

「あ、多分大丈夫っす。電話しときます」

(えっ……? これ、どういう状況……?)

 陽菜の理解が追いつかない。

「監禁されてるんじゃ……?」

 山賊に囚われ、慰み者にされているとすら思っていたのに、友梨佳はまるで女頭領のよう

 に皆を従えている。

「あぁ、ごめんごめん。あたしの勘違いだった」

「勘違い?」

「みんな、薄汚れてて傷だらけだし、言葉遣いも荒いからヤバい場所に来たかと思ったけど、話を聞いたらさ――」

「友梨佳が来た日、馬が三頭、いっぺんに放馬しちまってな。みんなで必死に取り押さえてたんだよ」

 大滝が苦笑する。

「何も知らねぇ馬主がクラクション鳴らしやがってよ。俺らは泥まみれになるし、調教師テキは蹴られて杖生活だ」

「そういうことだったの……」

 陽菜は安堵の息をつく。

「じゃあ、五日前の電話は……?」

「ああ、竜さんが電気毛布持ってきてくれたんだよ。四月はまだ寒いからって」

「超紳士だよな! まあ、いきなりドア開けたのはちょっとアレだけどな」

「いや、それについては悪かった。つい、癖で……」

 大滝が申し訳なさそうに頭を掻く。

「何もなかったんだね」

「うん。みんないい人だよ」

「なんだ、よかった……」

 陽菜は心底ホッとした。しかし、次第に怒りがこみ上げてくる。

「それならそうと、なんで連絡くれなかったの!?」

「だって、スマホが壊れちゃったし……」

「五日間もあったんだから、修理でも買い替えでもできたでしょ!?  何なら事務所の固定電話でも!」

「別に何事もなかったし、後から連絡すればいいかなって……」

 友梨佳は気まずそうに肩をすくめる。

「私がどれだけ心配したと思ってるのよ! そんなにここがいいなら、ずっといれば!?」

 陽菜は感情のままに事務所を飛び出す。

「ちょ、陽菜!」

 慌てて友梨佳が追いかけようとするが、大滝が渋い顔で制止する。

「待て。お前、何に対して謝るのか分かってるか?」

「……電話しなかったこと?」

 大滝はため息をつき、やれやれと首を振る。

「お前は女心ってやつを分かっちゃいねえ。あの子はな、本気でお前を心配して、仕事まで調整してここまで来たんだぞ」

 友梨佳は60過ぎの大滝に女心を教えられた。

「それなのに、お前はあの子の気持ちを考えてなかった。それが悲しくて怒ってるんだよ」

「……あたしだって陽菜のこと考えてるよ」

「なら、言葉にしろ。伝わらなきゃ意味がねえ」

「……!」

「まだ近くにいるはずだ。早く行け」

「……うん!」

 友梨佳は扉を飛び出していった。

 友梨佳が事務所を出ると、陽菜はまだ厩舎のそばにいた。

「陽菜、ごめん……連絡しなくて。陽菜なら分かってくれるだろうって、甘えてた」

 友梨佳の声には、後悔が滲んでいた。

「……そんなの、分かるわけないじゃん」

 陽菜は振り向かずに答える。その声は静かだったが、滲んだ感情が伝わってくる。

「そうだよね……陽菜はあたしのこと心配して、仕事の都合までつけて来てくれたのに、あたしは自分のことしか考えてなかった。本当にごめん」

 友梨佳は陽菜の背中を見つめながら、素直に謝った。

「……私たち、付き合ってるんだよね?」

 陽菜の声が少し震えた。

「私は毎日でも友梨佳と連絡を取りたいのに、友梨佳はそう思ってないの?」

「そんなことないよ。あたしだって毎晩陽菜のこと考えてた。今日はどんなことをして、どんなことがあったのかなって……」

「じゃあ、なんで連絡しないの?」

「……だから、それはごめん……」

 二人の間に、沈黙が落ちる。

 怒りが少しずつ冷めるにつれて、陽菜は自分の感情を持て余していた。友梨佳の必死な顔が、なんだか可愛らしく思えてくる。

(私って、こんなに面倒くさい女だったっけ?)

 自嘲気味に思う。そして、ふと気づく。自分だって、厩舎に電話をかけようと思えばできたのにしなかった。

「……本当に悪いと思ってる?」

 陽菜はようやく振り返り、友梨佳の目を真っ直ぐ見つめながら問いかける。

「思ってる」

「本当に私のこと、考えてくれてた?」

「考えてた」

「……私も、友梨佳のこと考えてた」

 陽菜はそっと友梨佳の手を取る。

「私も連絡しなくてごめん。友梨佳に甘えてたのかも……」

「許してくれるの?」

 友梨佳の声が少し不安げになる。

 陽菜は少し考え、口を開いた。

「……お腹すいた。お昼ご馳走して」

 それを聞いた途端、友梨佳の顔がぱっと明るくなる。

「わかった! いいよ! 厩務員食堂に行こう!」

 無邪気な笑顔で言う友梨佳に、陽菜は思わず見惚れてしまう。

(ずるいなぁ、この笑顔)

 そう思いながら、陽菜は友梨佳の手をぎゅっと握り返した。


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