Side陽菜 第18話
「ねえ、ここのディナービュッフェって、結構高いんじゃない?」
友梨佳が料理を皿に載せながら、陽菜に問いかけた。
今日は珍しくドレスアップし、長い髪をアップにまとめている。そのせいか、隣で料理を取る客たちの視線が、彼女に向けられているのを陽菜は感じていた。
アルテミスリゾートホテルのディナービュッフェは、その豪華さで有名だ。テレビでも何度も紹介され、芸能人も多く訪れる。料金も高額で、予約はなかなか取れない。
今回は、陽菜が業務提携先のコネを活かし、遥を通じて富樫に頼み込んで、年始の特別メニュー期間の予約を取った。
「確かに安くはないけど……友梨佳にはお礼がしたかったし。それに去年は忙しくて、誕生日もクリスマスもお祝いできなかったから。その分だと思えば、高くないよ」
陽菜は膝の上に乗せた皿に、料理を盛りつけながら言う。
「それとも、ここじゃ嫌だった?」
「まさか! 一度来てみたかったんだ。へへ、カニを死ぬほど食べてやる」
友梨佳は、毛ガニが山のように積まれたテーブルを、舐めるように見つめる。
「でも、友梨佳ってマグロが好きじゃなかった?」
「それはそれ。せっかくだし、普段食べられないものを食べたいじゃん」
二人は話しながら、自分たちの席へ向かう。
すれ違う人たちの視線は、自然と友梨佳に集まる。
「ねえ、今の見た?」
「すごい美人……外人さんかな?」
そんなひそひそ話が聞こえてくる。
「ヤバいよね。両手に料理、山盛りにしてるし」
(ですよね。でも、もっとヤバいんですよ)
陽菜は心の中で苦笑しながら、自分の席につくと、膝の上に乗せていた皿を友梨佳に手渡した。
陽菜の席には、すでに自分で取った料理の皿が置かれている。
友梨佳は、自分の前に三つの皿を並べて満足そうに笑う。
「まあ、とりあえずこんなもんかな」
そこへウェイターがやってきて、二人のグラスにスパークリングワインを注ぐ。
友梨佳の皿をちらりと見て、苦笑しているように見えたのは、気のせいではないだろう。
「陽菜とこうしてお酒飲むのって、久しぶりだね」
「うん。いつも車移動だったし、仕事も忙しかったしね。……車がなくなって、唯一よかったことかも」
グラスを合わせ、乾杯したあと、二人は料理を楽しみながら話し始めた。
先月の事故で、陽菜の車は全損してしまった。
幸い車両保険に入っていたため、新しい車は購入できたが、特注の福祉車両のため、納車には四カ月ほどかかる。
陽菜のアパートからイルネージュファームまでは、車なしでは通勤が難しい。独身寮はあるが、バリアフリーではない。
友梨佳の祖母は車椅子生活だったため、泰造の家はバリアフリー仕様になっており、イルネージュファームにも近い。泰造も友梨佳も「うちに来ればいい」と言ってくれたが、さすがに気を遣わせてしまうし、自分も気を遣ってしまいそうで遠慮していた。
今は、高校時代に世話になった叔父夫婦の家からバス通勤しているが、冬の北海道で、しかも雪の中を車椅子で移動するのは正直つらい。友梨佳たちの申し出を断ったことを、少し後悔していた。
でも、今日はその話をしに来たわけじゃない。
陽菜はワイングラスをテーブルに置くと、背筋を伸ばし、真剣な表情で友梨佳を見つめた。
「……どうしたの?」
ローストビーフを頬張っていた友梨佳が、陽菜の様子に気づいて問いかける。
陽菜は、一度息を整えてから口を開いた。
「友梨佳、この前……私が事故を起こしたとき、助けに来てくれて、本当にありがとう。そして……危ない目にあわせてしまって、ごめんなさい」
「危ない目?」
友梨佳は、ワインでローストビーフを流し込みながら首をかしげた。
「遥さんが、病院に来たとき怒ったの。『あなたは自分だけじゃなく、友梨佳まで巻き込んだ。もし、あなたが助かって、友梨佳に何かあったら、あなたは自分を許せるの?』って……。それを聞いたら、怖くなって震えが止まらなくなっちゃった……」
「遥さん、そんなに怖かったんだ?」
「うん、それもあるけど……」
陽菜は苦笑しながら、首を振る。
「それよりも、私のせいで友梨佳がいなくなったらって考えたら……本当に怖くなった。私、なんてことしちゃったんだろうって……」
目に涙がにじむ。
「友梨佳のいない世界なんて……生きてても、意味がないもん……本当に、ごめんなさい……」
声を押し殺しながら、陽菜は嗚咽した。
友梨佳は、少し困ったように視線を落とすと、小さく息をついた。
「あたしね、あのとき陽菜と言い争いになったとき……もっと他に言い方があったんじゃないかって、ずっと後悔してたんだ。真田さんに助けてもらえ、なんて突き放すようなこと言っちゃって……」
友梨佳は、そっとグラスを置くと、陽菜の肩に手を添えた。
「だから……あたしも、ごめんね」
「ううん。私が悪いの。そのときだって、友梨佳に酷いこと言っちゃったもん」
「違う。陽菜が本心で言ってないって、あたし分かってた。それでもあんなこと言っちゃったの。だから、あたしも悪い」
「私が悪いって言ってるの! 素直に『分かった』って言えばいいじゃない!」
「あたしも謝ってるんだから、『二人とも悪かった』で良くない?!」
「お客様、何かお困りごとがございましたでしょうか? 私どもでお手伝いできることがあれば、お知らせください」
落ち着いた声が割り込んだ。
ふたりがハッとして顔を上げると、そこには穏やかな表情のウェイターが立っていた。視線を巡らせれば、周囲の客が一斉にこちらを見ている。
「すみません。もう、大丈夫です……」
陽菜が申し訳なさそうに答えると、ウェイターは「かしこまりました。何かございましたら、いつでもお声がけください」と笑顔を残し、静かに立ち去った。
陽菜と友梨佳は顔を見合わせ、思わずクスクスと笑いあった。
(このまま時間が止まればいいのに……)
ふと窓の外を見る。淡い光をまとった小雪が、静かに舞い降りていた。レストランの中庭には、煌めくイルミネーションの灯り。雪片ひとつひとつがその光を受け、静かに夜の空気へと溶けていく。
「友梨佳、中庭に行かない?」
「いいけど、しばれるよ」
「ちょっとだけだから」
陽菜は車椅子を動かし、少し渋る友梨佳の手を取った。
外へ出ると、雪はまるで無数の星のように舞い降りていた。積もった雪には、陽菜の車輪の跡と友梨佳の足跡だけが刻まれる。静寂の中、陽菜の車輪と友梨佳の足音だけが響いていた。
「見て。雪が綺麗……」
陽菜が嬉しそうに車椅子を走らせる。
「陽菜、危ないよ!」
その言葉の直後、車椅子の前輪が段差にはまり、陽菜の体が前につんのめる。
ぱっと、友梨佳の手が陽菜を掴んだ。
「ほら、言ったっしょ」
「ありがとう……でも、やっぱり寒いね」
陽菜は微笑みながら友梨佳を見上げた。
イルミネーションの光を受けた彼女の白い肌と白銀の髪。その美しさに、陽菜は息を呑む。
心臓がそっと握られたように苦しくなる。喉が詰まり、手のひらがじんわりと汗ばむ。
陽菜は、友梨佳の手を両手で包み込んだ。
心臓の鼓動を感じながら、ゆっくりと口を開く。
「私ね、ずっと気がつかなかった。……ううん、本当は気づいてた。でも、気づかないふりをしてた」
「え?」
「自分の気持ちに。本当はずっと、友梨佳が特別だったのに」
友梨佳の目が大きく見開かれる。
陽菜は、しっかりと彼女の手を握りしめた。
「言葉にした瞬間、すべてが変わってしまいそうで怖かった。でも……もう誤魔化せない」
「陽菜……?」
「私、友梨佳が好き」
友達としてじゃない。
ただ大切だと思うだけじゃない。
もっと深くて、もっと熱くて、もっとどうしようもない気持ち。
「恋をしてる。ずっと前から、あなたに」
友梨佳の目に、じわりと涙が滲む。
「……本当に?」
「うん。本当に」
「……嘘じゃない?」
「嘘なわけないよ」
陽菜は微笑みながら、そっと友梨佳の頬に触れた。
「私と、ずっと一緒にいてほしい」
友梨佳は、数秒間何も言えなかった。
静かに降る雪。瞳の奥に揺れる感情。
唇が震え、涙が溢れそうになった、そのとき。
「……遅いよ」
「え?」
「もう、何度も諦めようと思ってた。女の子が女の子を好きになるなんて、普通じゃないって思ってたし。陽菜も真田さんみたいな人と付き合ったほうが幸せになれるって。だから、あたしは遠くから見ていられればそれでいいって……」
友梨佳は、涙を浮かべながら笑った。
「私だって、ずっと陽菜が好きだったよ。初めて会ったときから、ずっと」
次の瞬間。
友梨佳は陽菜の背中に腕をまわし、ぎゅっと抱きしめた。
「諦めなくてよかった」
陽菜もそっと、彼女の背中に手を添える。
「……これからも、一緒にいてくれる?」
「当たり前でしょ」
そっと目を閉じる。友梨佳の体温が心に染みる。
長い間すれ違っていた気持ちが、ようやく繋がった。
舞い落ちる雪が、そっと二人を包み込んでいく。




