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Side陽菜 第10話

 真田の運転する車がホテルの駐車場に着いたのは、午後2時前だった。真田は後部座席から陽菜の車椅子を降ろし、助手席のドアに寄せた。

「今日は本当にありがとうございました。お昼までご馳走になってしまって……」

 車椅子に移乗しながら、陽菜は真田に心からの感謝を伝えた。

「いえ、こちらこそ楽しかったです。いつでもお声がけください。またご案内しますよ」

 今日は真田の運転する車で大通公園やテレビ塔、時計台、北大キャンパスを見た後、真田

 行きつけのイタリアンレストランで昼食を摂り、最後は藻岩山の展望台まで巡った。

 藻岩山展望台から眺める昼の札幌の街並みは壮観で、はるか石狩湾まで見通せた。夜景と

 なれば光のラインが絨毯のように敷き詰められる光景が拡がるのだろう。

「あの、もしよろしければなのですが」

 真田が運転席のドアを開けながら、少し躊躇いがちに言った。

「私の父に会ってみませんか?馬主としての意見や話を聞くのも、陽菜さんのためになるかと思いまして。私では馬の話は不十分でしょうから」

(外堀を埋めるつもりかしら)

  遥の言葉が陽菜の脳裏をよぎる。

「そうですね……、少し考えさせてください」

  外堀だろうが内堀だろうが、今の陽菜はそれほど気にならなかった。しかし、即答は避け、曖昧な返事をした。

「そうですか。では、また改めてご連絡します」

 真田はそう言って軽く会釈し、車を走らせていった。

 真田の車が交差点を曲がり見えなくなると、陽菜は深くため息をついた。


「陽菜、ごめん!遅くなった!」

 陽菜が運転席に乗り込み、自分の車椅子を後部座席に押し込んだ時、友梨佳が旅行鞄を引きずりながら駆け寄ってきた。

「大丈夫。私も今着いたところだから」

 陽菜は運転席の窓を開けて答えた。

「友梨佳さん、忘れ物です!」

 友梨佳の後ろから、小太りの中年男性が息を切らせながら紙袋を持って追いかけてきた。

「あ、春っち!ありがとう!」

(春っち!?あの人が友梨佳の……?)

 陽菜は完全に戸惑った。

 まさか友梨佳があんな人を……。 失礼ながら、陽菜のタイプとはかけ離れていた。

 それとも、何か特別な事情が?

 友梨佳は旅行鞄を後部座席に置き、紙袋を受け取った。

「皆さんによろしくお伝えください。あ、あなたが主取さんですね。友梨佳さんから話は聞いています。私、布袋田といいます」

 陽菜に気づいた布袋田が、名刺を差し出した。

「……主取です……」

 陽菜は運転席越しに名刺を受け取った。

「じゃあね、春っち! 待ってるね!」

 友梨佳は大きく手を振った。

 ああ、泰造さんに紹介するつもりなんだ。たった一晩で。交際ゼロ日婚と聞いたことはあったが、まさか親友が……。  陽菜は胸に痛みが走るのを感じた。

「じゃあ、車出すよ」

 陽菜は絶望的な気分で車を走らせた。

 運転しながら、陽菜の胸には様々な感情が押し寄せていた。

 あんな人でいいの? どうして何も話してくれなかったの? そして何よりも、親友の幸せを心から喜べない自分が許せなかった。

 布袋田の姿が見えなくなり、友梨佳が陽菜の方を向いた時、陽菜の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「え、陽菜?どうしたの? あ、ごめんね。札幌観光ドタキャンして……」

 陽菜は首を横に振った。

 涙で視界がぼやける。運転に支障が出そうだったので、陽菜は近くのコンビニの駐車場に車を停めた。

「ごめんね。ずっと黙ってて。怒ってる……よね?」

 陽菜は再び首を横に振った。

 涙を流して少し落ち着きを取り戻した。今は友梨佳の幸せを心から祝福しよう。

 まだ痛む胸を抑えながら、陽菜は笑顔を作った。

「ううん、怒ってないよ。良かったね、素敵な人に出会えて」

「え、陽菜分かってたの?」

(そりゃ、分かりますよ……)

 陽菜は頷いた。

「私も最初は、え、何この人?って思ったんだけど、話していくうちに、これが『出会い』かってくらいに視界がパーって開けた感じ。そこからはトントン拍子に話が進んで……。 今日は春っちの自宅兼……」

(もう家まで……)

 陽菜はそう思い、友梨佳の言葉を遮って聞いた。

「そうなんだ。向こうから挨拶に来るの?」

「うん。10月の頭くらいに来る予定。あ、遥さんにも伝えなきゃ」

「え、泰造さんが先じゃない?」

「そうなの? みんな一緒でいいんじゃない?」

(絶対ダメでしょ! え、なんなの? ここまで出来ない子だった?)

「そこはちゃんと順序を踏んだ方が、今後のためにも良いと思うよ」

「うーん、陽菜がそう言うなら、そうするけど」

 友梨佳は納得いかない様子で答えた。

「絶対その方がいいから。それで、式はどうするの? 私も招待してね」

「式? そんな大それたことはしないよ。関係する人を集めるだけじゃない。もちろん陽菜は呼ぶけど」

「そっか。少人数で食事会形式なんだね」

「え、食事出すの?」

「え?」

「うん?」

「友梨佳、将来の事は考えてるの? 言ったら失礼だけど彼、友梨佳より結構年上でしょ? 将来の事考えているんじゃない?」

「え……将来? まあ、ちゃんと契約できればいいなとは思ってるけど……」

「契約って、まあ結婚も契約と言えば契約だけど……」

「結婚って誰が?」

「え?」

「え?」

 これは、とんでもない思い違いをしているかもしれない。普段の陽菜なら最初の一言で気付いただろうが、昨夜から精神状態がガタガタだったので気が付かなかった。

「ごめん、友梨佳。この布袋田春樹さんは何者で、どういう関係か聞いても良い?」

 陽菜は思考を整理するため、息を落ち着かせながら意識してゆっくりと話した。

「陽菜知ってたんじゃないの? ベンチャー企業の社長さんで、レーザーコウガクキキ? の開発をしてるんだって。でね、あたしみたいに生まれつき弱視の人向けの視力補正器を作ってるの。すごくない?」

 友梨佳は後部座席の布袋田から渡された紙袋を取ると中に入っている箱を開けて見せた。箱の中にはスポーツ用メガネフレームとモバイルバッテリー程度の大きさのデバイスが入っていて、細いケーブルでつながっている。

 友梨佳はスマートグラスをかけて見せた。レンズはなく、両目のフレームに小さな透明のチップが瞳孔の中心に位置するように付いている。

 友梨佳がデバイスのスイッチを入れると、ピッという小さな電子音が鳴りデバイスに稼働中を示す赤いランプがつく。

「すごい! 陽菜の顔はっきり見える!」

 友梨佳は車の周囲を見渡す。

「コンビニの看板も、信号も、あれが大倉山かな? 山の形も全部くっきり見える!」

 興奮を抑えきれない様子でまくしたてる。

「え、ちょっと貸して」

 陽菜がメガネを借りてかけてコンビニの看板をみる。が、大きな変化はない。

「よくわかんないな」

「陽菜は視力良いもんね。じゃあ。これならどうよ」

 友梨佳がデバイスを操作する。

「わ! ズームした!」

 友梨佳が言うには3倍程度ズームするらしい。驚いたのは全くピンボケすることなく、まるで看板自体が大きくなったかのように自然にズームしたことだった。

「え、これどういうこと?」

「あたしも難しい話はよく分かんないんだけどさ……」

 友梨佳がA4サイズの書類を渡した。どうやら画像をレーザー光に変換し、直接網膜に照射する物らしい。眼球のピント調整機能に依存しないので、視神経さえ正常ならクリアな映像が見られるとのことだった。

 こんな画期的なものがあるとは知らなかった。友梨佳がはしゃぐのも無理はない。生まれて初めてクリアな世界を見られるようになったのだから。

「でね、これにもいろんな種類があって、昨夜は春っちの自宅兼事務所に行って色々試してきたの。すごいよ、カメラに取り付けるのもあるんだよ。で、今日の午前中なら技術の人が札幌にいるからって、視神経とか視力とか瞳孔とレンズの位置調整とかやってきたの。今開発中のスマートグラスのモニターになって欲しいんだって。今かけてるのは試作品で、完成したら牧場に持ってきてくれるって。なんか、レンズにナビみたいなのが表示できるようになるらしいよ」

 嬉しそうにまくしたてる友梨佳を見て熱いものがこみ上げていた。今度は純粋にうれしいからだ。

「よかったね、友梨佳。本当に良かった……」

 陽菜は涙をこらえることができなかった。昨夜から泣いてばかりで、きっと目の下はコンシーラーで隠せないくらい赤くなっているはずだ。

「それにしても、昨夜はずいぶんと遅かったじゃない?」

「ホントはすぐ帰るつもりだったんだけどさ。春っちの奥さんからご飯食べて行けって言われちゃって。奥さんの料理が超美味しくて長居しちゃった」

 友梨佳が気恥ずかしそうに言った。

 かわいそうに、布袋田家の食料は食い尽くされたに違いない。もう自宅にお呼ばれされることはないだろうなと陽菜は思った。

「そうなんだ、良かった……」

 陽菜は自分でも気づかずに本音が漏れた。

「てっきり布袋田さんと結婚するのかと思った」

「えー、何でよ! あり得ないから!」

「だって友梨佳何も言ってくれないんだもん」

 友梨佳はハッとして珍しく神妙な面持ちになった。

「それについてはホントにゴメン。札幌観光もドタキャンしちゃったし。物がはっきり見えるようになるって分かって、あたしはしゃいじゃって……」

「ううん。私だって、もう一度歩けるようになるって分かったら同じことしちゃうかもしれないし」

「ありがと。……それで、陽菜の方はどうだったの? 真田さんと札幌周ったんでしょ?」

 友梨佳がためらいがちに聞いてくる。

「市内の観光地周って、イタリアンをごちそうになった。それだけだよ。いろんな話を聞けるのは良いんだけど、真田さんって頭が良いからこっちも話の内容について行くのに必死で、しかも正解を出さなきゃいけない感じがしてなんていうか……」

「学校の先生みたいだね」

「それだ。ゼミの教官の面接を受けてるみたい。あ、でもいい人だからね」

「それ、フォローになってるの?」

 ふたりは顔を見合わせて大笑いした。札幌に来てちょっとしか経っていないのに久しぶりに心から笑った気がした。

「さて、帰ろうか」

 陽菜がギアをドライブに入れた。

「ねえ、陽菜。このまま小樽に行こうよ」

「小樽?」

「せっかくの旅行だったのにどこにも行けなかったし。一泊延泊して帰るくらいいいじゃん。それとも明日は忙しい?」

「そんなことはないけど、遥さんに何て言えば……」

「授業とかサボったことないの? じゃあ、見てて」

 友梨佳はスマホを取り出すと、泰造に電話をかけた。

「もしもし、おじいちゃん? あのね、いま陽菜と小樽にいるんだけど、車が故障しちゃって。修理工場に持ってたんだけど明日までかかるんだって。うん。一泊して明日帰るから。うん、わかった。はーい」

 友梨佳は通話を切ると、「ほら、簡単でしょ。陽菜によろしくだって」といたずらっぽく笑った。

 陽菜は生まれて初めてサボりの連絡をするために緊張しながらスマホを持ち、友梨佳がしたように電話をかけた。

 あっさりとOKが出た。

「ゆっくり帰っておいでだって」

 陽菜は拍子抜けした様子で言った。

「でしょ? 陽菜が真面目過ぎるんだって。ほら、このホテルどう? 小樽運河の近くにバリアフリールームのあるホテルがあるよ」

 陽菜にスマホを見せる。異存があろうはずがない。そうと決まったら急にテンションが上がってくる。

「私、小樽初めて」

「あたしも小学生以来かも」

 陽菜は再びギアをドライブに入れる。車をUターンさせ、札樽自動車道を目指す。

 陽菜はバックミラーに移る藻岩山をチラッと見る。藻岩山は涙でぼやける事なく、くっきりと見えていた。


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