37歳、少将、春。
「クラウス将軍、ヴルグスの英雄よ。貴殿の献身には大いに感謝している。だがここ数年の国民の動向に余は不安を覚えておる。様子見ではもう止まらないであろう。これは将軍が直接抑えてねばなるまい、この運動を止めてはくれぬか」
重々しい口調で陛下は言った。
「陛下、この頃の国民の運動は私としても遺憾とする所です。必ずや鎮圧してみせましょう。……そのため、もしものための保険として、私に兵の動員の許可を頂きたい」
「うむ。余としてはそれで良いが、貴殿は良いのか?英雄ともあろうものが、民に銃を使うなどという事があれば……」
「陛下の優しさ、痛み入ります。しかし私は英雄と奉られる為に国に尽くしている訳ではありません。ローレンベルク家の者として陛下に頂いた恩に報いる為にここに居ります故、例え民に弓引くことになろうとも私は問題ありません」
「おぉ、クラウスよ。余は感動した、貴殿と同じ時代に生まれることが出来て嬉しい限りだ」
「こちらこそ御側に置いていただき光栄です」
私は恭しく陛下につらつらと言葉を並べる。相手の気分が良くなるような話し方は簡単だ。……オリヴィアとヴァレリアを倣えばいい。だが、ここまで媚び諂いと皇帝からの信頼を見るとこういう輩も現れる。
「陛下!彼に兵の動員を許可するのは些か行き過ぎた力に思えます。もしそのような危機が訪れれば、その後議会に報告した後、軍全体で対応すべきです」
「うぅむ……」
こうなるとまずい、陛下は優柔不断のきらいがある。しかし、ここで反論をするのは不用意に陛下に不信感を与えてしまうことになる。さて、どうするべきか……。
「陛下、発言してもよろしいでしょうか」
そう考えていると他の人間の声が聞こえ、陛下は発言を許した。
「今回は事が事です。この騒動には様々な組織の支援があるとの噂も耳にしています。ともなると急な過激勢力の攻撃も考えられます。ここは臨機応変に対応可能になるよう、クラウス将軍への兵の貸与を提言いたします」
そう話していたのはかつての上官であるルートヴィヒ少将だった。それを聞くと陛下は意を決したように口を開く。
「うむ。これ以上の議論は不要だ。クラウス将軍にルートヴィヒ将軍。二人がおればこの騒動を鎮圧可能であろう。この件はそなたら二人に任せる事とする」
「有難き幸せに存じます」
「ですが陛下……!」
「そなたが国のために余に提言してくれている事は分かっている。だが余はもう決めた。ここは余に免じて引き下がってくれぬか?」
「……御意にございます」
こうして議会は終わり、私は一つ目の壁を乗り越えた。しかし、兵士をもらえたのはいいが、全くもって計算違いなのは一人では無く、ルートヴィヒ少将もついてきてしまった事だ。多くの人間をこちら側に引き寄せはしたが、彼には声をかけていない。かつて彼には良くしてもらった。巻き込みたくはないのだ。話した結果、彼がこちらに靡くかは分からない。靡かなくとも上に報告はしない、彼はそういう男だろうが、その場合……乗り越えなければならない壁の数は増えてしまう事だろう。それは……避けたい。
「クラウス将軍」
議会からの帰りの途中でルートヴィヒ少将に話しかけられた。
「ルートヴィヒ将軍、先ほどはありがとうございました」
「いや、かつての同輩だ。助けるのは当然だ、だろう?」
「痛み入ります」
「それを止めないか、私達は同位だ。敬語なぞ使わなくともよい。」
「いえ、そういうわけにはいきません。私は将軍に多大なる恩があります。」
「全く義理堅い男だな」
「すみません」
「……ところで、話したいことがあるんだ。時間をもらえないか、場所はそうだな……。お前の部屋がいい」
今後の予定はそこまで急ぐものでもない。ここで断るのも怪しまれる可能性もある。承諾しよう。
「えぇ、将軍のお誘いでしたら喜んで。今回の騒動の治め方もお話したいですし」
「そうか、それは助かる。では行こう」
久々に再開した上官との出会いを少し嬉しく思い、決行日になるまでの最後の交流であると考えると感慨深くなった。そうして職務のための自室に辿り着くと、彼をソファに座るよう促した。
「コーヒーは入れますか?」
「あぁ、頼む。」
「――どうぞ。至急の業務があり、一つ電話をしても良いですか?」
私は彼の前にコーヒーを差し出しながら話す。
「構わん」
「ありがとうございます」
そうして私は電話をする。
「もしもし、私だ。クラウスだ。そっちにゴットハルトはいるか?……頼む。……。ゴットハルト、あぁ、そうだ、その件だ、頼んだぞ」
電話を終えた私は彼と対になるよう前のソファに腰かける。
「すみませんでした。それで、話とは?」
「あぁ。……お前、今噂されている物語は本当なのか?」
「……ベネディアの件ですか?それならばおおむね事実です。事実無根と陛下にはお伝えしましたが、実際には……当たらずとも遠からずと言った所です。尾ひれはついていますがね」
「なぜもっと早くに対応に当たらなかったのだ?確かに取るに足らぬ噂と断じて、放っておくことは出来るがそれは上策とは言い難い。それくらい、お前なら判断がつくはずだ」
彼は当然の疑問を私に投げかける。……まずいな。出来ることならば、この事実は彼に伝えたくは無い。かと言ってここで彼を始末したくもない。だが、この後の予定を考えると、仲間に引き入れるか、殺すか。それしかない。
「……将軍は口が堅い方ですか?」
「なにぶん、あまり面白いタイプの人間では無いからな、喋る相手もおらん。妻にもよく言われる」
「……そうですか。……。私は……この国を乗っ取ろうと考えています」
「お前、何を言っているんだ?」
「……」
「……どうやら本気のようだな」
「えぇ」
「そうか、余計な事に首を突っ込んだらしいな。忘れてくれ」
彼はもう用はないかのように立ち上がろうとした。
「待ってください、今度は私が質問する番です。お座りください、将軍」
「……」
ルートヴィヒはそこに座り直した。
「単刀直入に言いましょう。将軍、この計画に手を貸して頂きたい」
「……陛下を裏切れというのか」
「えぇ、その通りです。陛下にはご退位いただこうと考えています」
「命は取らないか……。しかし、私も陛下にこの身を捧げた者の1人だ。なんの理由も無く、加担したくは無い。だが勿論お前の誘いを無下にしたくも無い。この件は聞かなかったことにしよう、帰らせては貰えないか?」
そういう彼の目は純粋で、一切の淀みが無かった。
「……本当にこの国を変える事に力を貸して頂けないのですか?……理由は山ほどある筈です。ベネディア人の虐殺も、無駄だった戦争も、全てこの国の舵取りに問題があったからです。一緒に変えませんか?今ここで変えなければ、またこの国の為に多くの命が犠牲になる。今であれば、大きな争いを産まずに国家転覆が出来ます。どうか、お願いします」
「私も人の子だ。今の恩恵を受けている人間が困窮するのは見たくない。それに私にも家族がいる、危険に晒す訳にはいかない。すまないな」
「……そうですか」
すると、トントンと戸を叩く音が聞こえる。
「入れ」
「失礼します」
そう言いながら入ってきたのはゴットハルト大佐だった。
「クラウス将軍、お疲れさまです。外にハインリヒも待たせてあります。……これはルートヴィヒ将軍、大変失礼いたしました。」
彼はルートヴィヒに敬礼をする。
「……クラウス、お前……。」
「……」
どうやらルートヴィヒはここにゴットハルトが来た理由が分かったようだ。
「……将軍、ここからはお願いではありません。貴方の自身の選択になります。私達に力を貸していただけるのでしょうか。それとも……」
ゴットハルトが彼の座っているソファの後ろに立った。
「ここで死にますか」
「……。」
緊迫した空気がこの部屋を包む。彼は聡い男だ。この空気を打破する方法を数々思いついていることだろう。だが……。
「分かった分かった、降参だ。さっきも言ったが私には家族がいる。ここで死にたくは無い」
そう言いながら両手を頭の上に挙げた。だがどう言おうと結果は同じだ。ゴットハルトは用意していた注射器を彼に打つ。
「動かないようにお願いします。お怪我をする可能性がありますので」
途端に彼の意識は朦朧とする。
「クラ……ウス、お……前は……随分前に……、覚悟を……」
「……将軍もお疲れでしょう。少しお眠り下さい」
ぐでんとソファに俯いた彼を、そのままゴットハルトがソファに横たわらせる。
「クラウス将軍、本当に良かったのですか?」
「あぁ、心苦しいが、どう転んでも助かるように、彼には関与させない事が1番良い選択だろう」
「……そうですか。そういえば陛下から許可はいただけましたか?」
「あぁ、無事もらった。これで誰にも怪しまれず作戦に取り掛かれる。明朝、決行しよう」
「承知しました。ではここは他の者に任せて、我々も準備に取り掛かりますか?」
「そうしよう」
そうして私達3人は他の部下にここの部屋を任せ、この部屋を後にした。