24歳、中尉、夏。Ⅱ
作戦前夜、すっかり心を許してくれたルルワと話していると、彼女は少し震え出した。
「あ、隊長さん。アタシ、やっぱ怖いみたいッス、ヘヘヘ、震えが止まんないッス」
俺は彼女の手を両手で握り抑える。
「落ち着け、君は大丈夫だ。俺がついてる、明日は俺と片時も離れるな。そうすれば、俺が守る。必ず、命に変えても。」
「少しだけした訓練で強くなってるッスから、アタシも隊長さんを守ってあげるッスよ」
彼女は先程まで震えていたのが嘘かのような笑顔をこちらに見せた。
「そうか。ありがとう、期待している。……ところで、無事に終わったあとの話なんだが……」
「はい?」
「家に来ないか?家族も連れていい、一棟丁度空いているし、俺の所に来ればそう簡単に彼らも手を出せまい」
「誘いは嬉しいッスけど……でも……」
「あまりこんなことは言いたくないが、君が俺の事とかを気遣って言っているのであれば、その言葉は受け入れられない。君はそろそろ自身の気持ちに正直に生きるべきだ。でなければその心はいつか壊れてしまう。だから頼む、来てくれ。」
「へへ……しょーがないッスね!隊長さんがそこまで言うなら行ってあげてもいいっすよ!」
「フフ、ありがとう」
俺は素直な気持ちを相手にぶつけた。
「……も、もう寝るッスよ!明日早いんスから!おやすみなさい!」
「あぁ、おやすみ、ハハ」
彼女は照れくさそうに床に就いた。
「……人たらし」
***
鉛の雨、火薬の臭い。
どこかで見た景色だった。
……まずいな、どうするか。
思ったよりも激しい抵抗に会い、部隊は壊滅してしまった。もはやこの弾幕を抜け、味方と合流することは不可能かもしれない。
ルルワも頑張ってはくれているが、弾薬も底を尽きた。このままではジリ貧だ。せめて崩壊した建物の影を伝って、安全な場所に避難しよう。そう思い、俺らは比較的安全そうな建物に着いた。
「すまないルルワ。怖い思いをさせてしまっているな」
「隊長さんとなら何処でも行きます。アタシ、少し慣れてきたッス」
彼女の太陽はまだ健在らしい。彼女の慣れる事への慣れに少し悲しい思いもしつつも、俺自身、彼女の爽やかさには戦場でも励まされるばかりだった。
「……隊長さん、アタシ少しお腹減ったかもッス」
彼女は会ってから初めて要求をしてくれた気がした。
「あぁ、携帯食料ならあるぞ、全部食べていい」
「隊長さんも食べましょうよ」
「いや、俺は……」
言いかけて振り向くと、ルルワの眼が真っ直ぐと俺の方を向いていた。
「ルルワ……君は……」
彼女は、覚悟をした目をしていた。
もはや、もう何も言うまい。確かにここまでかもしれない。完全に戦力を見誤った。部隊も無駄にした。帰っても故郷に会わせる顔が無い。
そうだな、そうしよう。
「食べようか、一緒に」
「はい!」
彼女は笑った。
「このビスケットも、こうしてみると案外美味いな」
「へへ、そうッスね」
「君と食べるからかな」
「アタシも、隊長さんと食べるならなんでも美味しかったッス」
「そうか……」
「でも、隊長さんの家にお世話になれば持っも美味しいもの出てくるってことッスよね!」
「ッ……、あぁ」
「ヘヘヘ、楽しみだなぁ」
「……」
彼女はここに居てなお、太陽らしい。
「ルルワ」
「はい?」
「俺は――」
俺が言いかけた時、彼女の後ろで人影が動いた気がした。俺がピストルを構えると、その影がこちらに銃を向けて発砲した。
その弾は、彼女を貫いた。
俺がその状況を飲み込めないでいると、奥でその影は叫んだ。
「ベネディウス様!私は裏切り者のベネディア人を始末しました!どうか私を天へ――」
パンパンパァン!
俺はその影に向けて発砲した。
どうやらそれは倒れたらしい。
「ルルワ!ルルワ!大丈夫か!!」
「へへ、なんて顔してるんスか。隊長さん」
彼女はこちらに微笑んだ。
「すまない、すまない……!俺がいながら、必ず、必ず守ると誓ったのに……。クソ……クソ!!」
「隊長さん、もういいんスよ。覚悟してたんスから」
「だが……!!」
「少し話しましょうよ」
彼女は俺の腕の中で、未だに輝いていた。
「……あぁ、あぁ、そうしよう」
俺らは出会って間もないとは思えない位の熱量で語り合った。彼女はとても楽しそうだった。俺も楽しかった。この時間が永遠に続くかと思った。俺らはそこでは日月だった。だが陽は落ち、やがて陰る。
「へへ、隊長さん、アタシ、そろそろ、限界みたい……ッス」
「あぁ、あぁ、もう無理しなくていい、ゆっくり休め」
「隊長さん、さっき……言いかけた、こと、言ってくれない……んスか?」
「……」
俺は先程言いかけた言葉を、彼女に伝えた。
彼女はその返事を笑いながら、俺に耳打ちした。
彼女はそこで、事切れた。
「あ、あぁ、あぁ!」
「すまない!……すまない!!……すまない!!」
劈くような静寂が、今はただ煩わしかった。
***
「何か……言い残すことはあるか」
「……」
今回の作戦目標の1つ、シャロムが目の前にいる。
あの後どうここまで1人で辿り着いたかはあまり覚えていない。とにかく怒りに身を任せていた。後ろから人を刺し、刺して、刺して、ここまで辿り着いたはずだ。きっと。
「本気で我々が悪魔の民族と思っているのか?」
「……少なくとも俺は思っちゃいない」
銃口を向けながらその問いに答える。
「……悪魔なんてもんは人間の心に住み着く。だから誰も信用出来なくなるのさ。どれだけ強い人間もやがて壊れる。今に分かるさ、ベネディウス様は必ずやお前らを罰するだろう」
「そうだな……。そうあって欲しい」
「……?フハハハハ!そうか!そうだったか!!」
「何がおかしい」
「お前、鏡を見てみろ。……既に悪魔だ。」
「……戯言を」
「フン、早く殺せ。天からお前を見ててやるさ、お前にも平和が訪れることを願っている」
「……はぁ」
俺はその銃口と肩を落とし、もう一度彼に照準を合わせ、即座に頭を2発撃ち抜いた。
「これで、終わりか」
だが終わったのは、シャロムの始末のみ、果たして外で殲滅作戦が終わったのかは分からない。……だが、終わったのだろう、俺がここに侵入した時にしていた外の銃声は、既に鳴り止んだ。
そうして俺は外に出る。真夏の汗をかき消すような、爽やかな太陽の匂いは、硝煙と血の臭いでとうに消えうせていた。
俺は隠しおいたルルワを担ぎ上げ、自陣に戻った。
***
戦乙女聖戦は終わった。生きているベネディア人もスラムで生きるのを余儀無くされるだろう。失ったものは、大きい。
ルルワの墓は、大っぴらには出来ない。だが彼女の家族とも連絡が取れなかった。恐らく、もう。……そのためうちの敷地内でベネディア式に則り、埋葬した。これで、彼女も天から俺も見守っていてくれるだろうか。……大切な人間が墓の下にいってしまうのはこれで最後にしてほしい。いや、最後にせねばならない。
……この決意はブルーノの時もしたものだ。俺は守れなかった。ブルーノも、ルルワも、部隊の皆も。俺は本当に愚かな男だ。……悔やんでも悔やみきれない。全てを背負わなければ、ここまで救えなかった全てを、背負う。
……ルルワ。
そうすると後ろから足音が聞こえた。
「クラウス様、こんな暑い日にずっと屋外におりましたらお身体に障りますよ」
オリヴィアはそう言い、日傘を差してきた。
「……この程度、どうということは無い」
「……そうですか」
オリヴィアはとても心配そうにしている。それもそうだろう。ここ最近は食事もあまり取らず、暇があればここにばかり来ている。傍から見てもこの状況が異常なのは、火を見るより明らかだ。
「……分かった、戻ろう」
「……ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ、ありがとう」
「いえ」
屋敷に戻って自室の前に着いた。
「では、私はこれで」
彼女は気を使って、俺を1人にしようとした。
「ハハ、いいのか、俺を放っておいて」
「……!よいわけ、ありません」
「……入れ」
「失礼します」
俺はオリヴィアを自室に入れ、座るように促した。
「あの忌々しい作戦以降、世間では俺を英雄だと持て囃す。新聞にも一面を飾る始末だ、バカバカしい。正直言って気味が悪い。が、これを使わん手は無い。この名声のまま俺は昇進の道を駆け上がろうと思う」
「クラウス様……。もう……なにか壊れてしまわれたのですね。貴方の大切な何かが」
「……そうか、やはりそう思うか」
「オリヴィア、君は俺が悪魔にみえるか?」
「……私には、見えません。ただ……」
「……ただ?」
「悪魔になろうとしているのが見えます」
「これを君はまだ治せるか?」
「私には……もう、治せません。貴方は……私では……癒せない」
「そうか……。……すまない。君にも悲しい思いをさせてしまった。すまない、もう出ていっていいぞ」
「はい、失礼しました」
彼女は涙声でお辞儀をして、部屋を去った。