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24歳、中尉、夏。


「クラウス様、本当に行かれるのですか?」

「あぁ、行かねばならない。俺もこんなバカバカしい作戦には行きたくないが、断れる立場でもない」

 使用人のオリヴィアが心配そうに尋ねた質問に、俺は本心を伝えた。


「ですが、奥様もクラウス様が行きたくないのであれば、行かなくても良いと仰っていましたわ」

「母上のその言葉は自身の立場からの言葉では無い。母親としての台詞に他ならない。この作戦に参加しなかった場合、俺は出世の道を絶たれるだろう。それだけは避けねば」


「……クラウス様は以前から、御出世にとても野心がおありの様ですが、何故ですか?」

「……この国に生まれ、軍人となったのだ。国に忠を尽くし、向上心を持つのは当然のことだ」

「クラウス様は嘘つきです。私の兄が死んだあの日から、貴方は戦争を、この国を、恨んでいます」

「戦争は恨んでいる、だが国を恨んだことは無い。俺の言葉に嘘偽りは無い。特に君には嘘をつく事はしない、ブルーノに誓おう。」


「クラウス様は嘘つきです……。嘘つきですわ……。」

 彼女は遂に歔欷(きょき)し始めてしまった。


「すまない、オリヴィア。俺は必ず無事で帰ってくる。だから心配しないでくれ」

 俺は彼女の両肩を掴み、安心させようとする。


「クラウス様のお身体の、心配は、していません。貴方は、お強いですから。ですが、その心は、いつか壊れてしまいます。お優しいからこそ、貴方の、心は、耐えられないのです」

 彼女は涙を堪えながら話す。


「……だがそれでも、俺は行かねばならない。もし俺の心が壊れたとしたら、壊れたその心を君が救ってくれ、オリヴィア」

「……。」

 彼女はただ頷き、俺を見る。


「では行ってくる。母上、父上にもよろしく伝えてくれ」

「はい、いってらっしゃいませ」

 オリヴィアは鼻を赤くして、俺にお辞儀をした。



 ***



 この作戦は戦いと言えるような代物では無い。例え民衆がこれを聖戦と呼ぼうとも、例えこの戦いの死傷者数が我が軍の方が多くとも、俺はこれを虐殺と呼ぼう。


 敗戦後、ヴルグス帝国の間ではまことしやかに囁かれているつまらぬ噂があった。あの戦争に負けたのは、ベネディア人の手によるものであると言う噂が。彼らがフォルティスと協力し、裏で手を引いていた事で、我がヴルグスは負けたとされているのだ。


 この噂を耳にした時、俺は政府によるスケープゴートを疑った。だが、もはや発端は分からない。軍の中枢も、政治家も本当にこの噂を信じている者が多く存在している。例えその発現元が政府の仕業で、スケープゴートだとしてもそれは後の祭り。もう既に人口に膾炙しているのだから。こういったバカバカしいモノを放っておくといつの間にか真実になっている事は人間の悪い癖みたいなものだ。


 ベネディア人は我が国の少数民族であり、主神であるベネディウスを信仰している民族だ。褐色肌で緋色の目をしており、それは彼らが神に選ばれた民族である象徴のようだ。もっとも最近は混血により薄れている人もいるみたいだが。彼らはしばしば好戦的の様に話されるが、我々は彼らの居住地を奪った身、警戒されるのも当然であると言える。現在彼らは北東にある特別自治区に多く生活している。


 かと言って我々の生活に関わってこない訳ではなく、学校や食料品店でも彼等は見かける。特別区に所属していないベネディア人も少なくは無いのだ。特別区は自然の収容所のように感じる人間がいるという、実際にその側面は強い。生活の保証もされず、ただあるだけって感じだ。帝国というものは元来多種多様な民族が暮らす国、当然不和もある。そのヘイトの集約を彼らに一端担わせている。


 そしてどうやらその目論見は当たったらしい。今日(こんにち)、彼らは悪魔の民族と呼ばれている。嘆かわしい事だが、本当にそう信じているのだ。そもそも、それは彼らが裏でフォルティスと手を組んでいたから悪魔の民族と呼ばれ始めたのだ。なのに現在はその理由付けとして使われている、なぜ彼らは裏切ったのか?もちろん悪魔の手先だからである、と。我が国は既に彼らを解放し、自由民として迎える準備が出来ていたのに、彼らはそれを暴力によって勝ち取ろうとしてきたというのが筋書きだ。


 軍に居た身として語らせてもらうが、そのような話は一切無かったと断言しよう。我々が恵まれているなどという感覚すらも無く、ただただ生きている人間ばかりだろう。それはそれで良い。だが、それを理解していながら自身のその地位を磐石にするために下の者に目を向けさせるなど……。


 怒りしか湧いてこない。こんなことを考える人間が本当にいるのか?果たしてその様な事を考え得る人間は本当に俺と同じ種族なのか?


 だがやるしかあるまい。俺はこの国を変えねばならん。このような事が二度と起こらぬように。必ず変える。必ず。


 我が国の行うベネディア人殲滅作戦、通称『戦乙女(エレクシア)聖戦』は、政府の要求するベネディア人保護法と呼ばれているベネディア人の権利を制限する悪しき法の制定時の騒動を発端とする。その法律の発行にデモが起こり、国はそれに武力による鎮圧を決めた。だがその後覚悟を決めたのはあちらの方だったらしい、特別区の区長であるシャロムから徹底抗戦の意思が政府に伝えられた。政府に動揺はあったものの、直ぐにこの殲滅作戦の実行を命令した。俺はその実行部隊の1つの小隊長として、1個小隊を指揮しなければならない。


 その前段階の準備を今日行うように招集がかかったというわけだ。正直な所、憂鬱だ。オリヴィアの言ったことは間違いないだろう。俺は既に心に傷を負っている。芯を強くもって飲み込まれないようにせねばならん。二重思考(ダブルシンク)を徹底せねば。


 ……何事も無く終わることを願おう。



 ***



 言われるがままに準備をしていると上官に声をかけられた。何やらその隣のもう1人、深く軍帽のかぶった奴を俺の部隊に編入してほしいらしい。1人くらい構わないと言うと、彼は意味深な声で頼んだぞ、とだけ言い残し去っていった。


「私の名前はクラウスだ。クラウス・フォン・ローレンベルク。これからは君の隊長になる、よろしく」

 俺が手を差し出すと、その人間は答えた。


「よろしく……お願いしますッス……」

 そいつは手を出さなかったが、直ぐにそれを理解した。


「む。女性か、失礼した。失礼続きで悪いが、何故ここに来たのかを聞いてもいいか?その身体を見ていると、生粋の兵士とは程遠そうだ」

 しかし華奢な彼女は黙ったままだった。


「黙っていても分からない。答えてくれるとありがたいんだが……」

 俺はそう言いつつ、何気なく彼女の顔を覗き込んだ。そして理解した。彼女の沈黙も、上官のあの態度も。


「ベネディア人か……?」

 彼女はサッと顔を逸らすばかりだった。


 どうやら俺は厄介事を押し付けられたらしい。

「少し着いてきてくれ、話をしよう」

 そう言い、俺は個室に案内し、彼女を座らせた。


「何やらワケありのようだ。良ければ聞かせてくれ」

 俺は何ものも傷つけない綿のような態度を心掛ける。


「答えなかったらどうなるんスか」

「フフ、こんな華奢な女性を参加させる訳にはいかない。俺が任されたんだ、君の任を解するから何処かに避難するといい」

「それは駄目ッス!」

 彼女はその目をこちらに向け必死に訴えた。


「やっと目が合ったね。……理由を聞かせてくれるかい?」

「……じゃないとアタシが生きていけなくなるッス」

「と言うと……?」

「アタシは母方が混血のベネディア人なんス。でもそこそこお金は持ってる家に生まれたんス。だからお偉いさんはこっちにも利用価値があると思って恩赦してくれてたんスけど、本当にアタシらに忠誠心があるならこの作戦に参加しろって言われて……」

「そうすれば、生かしてやるって事か。悪くて資産の差し押さえ……。死ねば体のいい厄介払いか。だがお偉いさんがそれを守る保証は?」


「わざわざこんな悪趣味な事をするんスから、何かしらの意志を見ようとしてるのは明らかだと思うッス。金が欲しいだけなら最初から殺されてると思うスから」

「なるほどな……。しかし……」

 俺は少し悩んで、言葉を選んで話す。


「しかし、こんなにも華奢で無垢な人間を連れて行くなど考えられん。本当に戦地に赴かなければならんのか?後方支援や物資の供給を手伝うのではダメだと?」

「はい。前線に行けと言われたッス」

「クソ……、ゴミ共が……」

 俺は本心がそのまま口に出た事に自分でも驚いた。


「……すまない。淑女の前で口が悪かった、許してくれ」

「隊長さん、変わってるッスね」

「え?」

「ここに来るまでにも散々な罵詈雑言を浴びせられてきたッス。以前からもあったんスけど、戦後は特に顕著ッス。でも隊長さんはそんな素振り一切無いッスね。なんでッスか?」


 とても純粋な質問に俺は少し呆気にとられた。やはりただの1人の少女だ。こんな娘を同行させるなど、どうかしている。


「……。人や、その人となりを測る上でその人種やその生まれを考えた事は一度もない。俺が見る以上 、君は純粋で綺麗なただの女の子だ。そこまで虐げられてきたのによく気丈に振舞ってる。同じ人間として、君を誇りに思うよ。辛かっただろう」

「はい……はい……、すみま、せん……」

 彼女は泣き出してしまった。俺よりも一回りも小さなこの身体で、彼女は俺なんかよりも多くのものを背負ってきた。俺には想像を絶する程多くのものを、背負い、そして捨ててきた。俺は……そんなベネディア人にすら、彼女一人にすら手を差し伸べる事が出来ない。ただ無力なだけの……。自分への怒りでどうにかなりそうだ。


 俺は彼女の隣に座り、彼女を慰めた。ただ1人の少女を。

「もう……大丈夫ッス。ごめんなさい……」

「いや、いいんだ。ここで何時間も話を聞いていたい所だが、あまり時間が許してくれない。一つだけ聞きたい事がある。君は……同胞を殺す事になる。それは、その覚悟は出来ているのか?」

 残酷な質問だ。だがこれを乗り越えていないと次には進めない。戦場とはそういうものだ。自分が生きたいが為に、多くの人間を殺さねばならない。


「とっくの昔に、これから起こる全てを腹に決めたッス!」

「……俺なんかより、よっぽど強いな」

「へへ……隊長さんも強くなれますよ。アタシが教えてあげるッスよ」

「おや、それは是非ともご鞭撻願いたいね」

「ごべんた……?」

「ハハハ、これからの道中、楽しくなりそうだ」


「あ!からかってるッスね!それだけは分かるッスよ!」

「そんな事より、そろそろ準備しなければならん。手伝ってくれるかい?」

「はい!お手伝いします!」


 それは、今まで忘れていた、純粋で無垢で、清流の様な底抜けの元気さだった。太陽の麓のような可憐な少女だった。


  「……ところで、すっかり聞くのを忘れていた。君の名前は?」


 彼女は振り返って答える


「ルルワ!」


 言い終わったあとの彼女の笑顔は、どこか夏の汗の臭いを忘れさせるような。爽やかな笑顔だった。



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