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梅雨と書いてウソと読む

作者: しなき

 よく雨の降る月。毎日のように空から降ってくる水玉に飽き飽きする。いっそこの梅雨がなくなってしまえばと思う。だってこの梅雨は”ウソ”なのだから。


 朝。通勤、登校の人並みに逆らって歩く。制服姿なのだから誰か止めればいいものを、誰も気には留めない。当たり前だ。自分が遅刻したら困るから。例え真逆の方向に進もうと、普通の人だと目に映るようになっているのだ。

「さて、今日はどこでサボろうかな」

 人が少なくなってきた道でそんなことを呟いてみる。うっかりすると補導されてしまうから制服は厄介だ。

「雨降ってるから外だと雨宿りできるところじゃないといけないしな……」

 顎に手を当てながら考えを巡らせる。いっそのこと電車で行ったことのない方に行こうかと思ったが、流石にそれはかなり目立つ。仕方がないから昨日と同じ公園のベンチに座っておこうと決めて、少し歩みを早める。あの公園のベンチは屋根がついていて、しかも人がほとんど来ない。防犯カメラの配置も分かりやすいのでうまく死角に入れば完璧なのだ。

 廃ビル同士の間を数十メートル抜ければ、その公園に着く。路地裏に足を踏み入れた。

「ねえ、君」

 後ろで人の声がした。ここには、私以外、人がいない。サボりがバレたのか。いやそんなはずはない。携帯に連絡はきていないし、そもそも今日は欠席連絡もしている。

 恐る恐る、すぐにでも逃げ出せるように構えて、振り返る。

「なんですか」

 雨合羽を着た何者かが、口角を上げて歯を見せた。

「もしかして、サボり?」

 背中に冷たいものが流れる。

「……だったら?」

 私は少し挑戦的に、威嚇の意味も込めて言葉を発する。すると、その何者かは目元が隠れるほど深く被った、雨合羽のフードをペロッと捲った。

「わたしも」

 その人は私と同じくらいの年、もしくは一つ下くらいの女の子だった。

「そこの公園でしょ?行こ」

 いつの間にか先導し始めたその子に大人しく続く。身長は私の方が15cmくらいは高い。はずなのに、なぜかその背中の存在感は大きく感じられる。なにより不思議なオーラ、ではないけど雰囲気。本当に自分はこの公園に行ってもいいのかと少し不安になる。いや、そもそもサボってはいけないのだけども。

「やっぱりこのベンチいいね。綺麗だし、屋根付き。サボるにはもってこいの場所だなぁ」

 私がボケっとしてる間に目的のベンチに着いて、その子は座った。そして独り言をぺらぺらと喋っている。

「あの。学校は?行かなくていいの」

 なんとかこの訳の分からない状況を脱したくて私は疑問を投げかけた。するとその子はキョトンとした表情を浮かべて、すぐにニヤッと笑った。

「それ君が言うー?君、制服だし?」

「うっ……」

 ごもっとも。この話題は逸らすべきだな。

「じゃあ何歳?名前は?」

「逸らしたな!まあいいけどー。歳は多分君の一つ下。名前は、秘密で。君は?」

「16。名前は教えない」

「聞いたくせに」

 教えなかったのだからお互い様だろうとは思ったが黙っておく。

「ま、座りなよ。ずっと立ってるつもり?」

 ベンチの隣を空け、その子はそこをポンポンと叩く。仕方なく開きっぱなしにしてしまった傘を折りたたんで、その子の隣に腰掛けた。

「雨って嫌なんだよね。ジメジメするからさぁ」

「……」

「なんか暑くない?夏にはどうなることやら」

「……」

「梅雨、あと一ヶ月は続くみたいだよ」

「……」

「あ、でも明日は晴れるみたいに言ってたなぁ」

「……」

「雨は嫌いだけど、この雫の垂れる感じとか良いよね」

「……」

「エモいって言うんだっけ、こういうの」

「……」

 私はそんなに会話が得意じゃない。むしろ苦手だ。それなのにその子はずっと一方的に話していて、正直うるさい。でもなぜか悪い気はしない。この不思議な感覚は何なのだろうか。どうでもいい言葉を右から左に流しながら考える。まあ、こんなこと考えたところで結論なんて出ないけど。

「サボるのって大変だよね」

「……」

「親に見つかりそうでヒヤヒヤする」

「……」

 別に親に見つかったところでなんでもないのに。

「テストとかさ。悪い点数だと怒られるんだよね」

「……」

 それは、親に?なんで?

「わたし、運動もできないから余計に怒られてさ」

「……」

 運動できないことで、なぜ怒られる?

「あと――」

「さっきから」

 私は思わず口を開いた。

「なにを言ってるのかよく分からないんだけど」

「分からないってなにが?」

 その子は不思議そうに首を傾げた。

「親に怒られること。なんでそこで親が出てくるの?」

 普通私たちを怒るとしたら教育機。私たちを育ててくれる機械。それが幼いときから、言語やら常識やら、色々教育してくれる。もちろん日常生活のお世話もしてくれて、だけど非人道的なことをすると私たちのことを叱る。そんな機械。

 親がそこに出てくる意味が分からない。

「……ああ、わたしが勝手に教育機のことを"親"って言ってるだけだよ。混乱させちゃった?」

「……別に」

 自分の勘違いであったことが途端に恥ずかしくなって、再び私は黙った。

「ねえ、君は雨好き?」

 唐突にその子は聞いてきた。

「…………好き、ではない」

 無視するのも悪くて、なんとなく答える。実際、雨はそこまで好きではない。けど。

「……雫が垂れるのが好きっていうの、分かる。綺麗で好き」

 私がそう言うと、その子は目を輝かせた。

「ほんと!?やっぱり君とは気が合いそうだなぁ」

 変に自己解釈されてしまった。しかしなぜだろう。なんとなく私もそう思った。

 

 その後、再びその子の他愛もない話を聞いていた。天気の話が多かったような気がする。時々私も話したりして。そんな中でその子はまた不思議なことを口にした。

「空ってじっと見つめたことある?」

「そんなことしたら目が潰れるよ」

 子供のころから『空を見ると目が潰れる』とよく言い聞かされてきた。今なら少し見るくらいなら潰れることはないと分かるが、じっと見つめることにはやはり抵抗がある。実際に試す人なんてほぼいないだろう。

「大丈夫!ほら、わたしは全然元気だし」

 その子はほら、と目を指す。私は半信半疑ながらも屋根から顔を覗かせて、恐る恐る空を見た。

「……黒い雲があるだけだけど?というか雨でよく見えない」

「あ、そっか。じゃあ明日見よう!晴れるって天気予告で言ってたし」

「明日も来るかなんて分からないよ?」

「?来るでしょ?」

 なんで、そんな、当たり前のことのように言うのだろう?”サボる”なんて普通じゃないのに。

「じゃあ明日もここね」

 そう言うとその子は雨合羽を着直して、顔が隠れるくらい深くフードを被って立ち上がった。

「またね」

 その子は立ち去っていた。いつの間にか夕方になってしまったようで、黒い雲の隙間からオレンジの光が除いている。

「私も、帰ろうかな」

 立ち上がって、歩き出す。家に帰るその足が心做しか重くなっているのは私の気の所為だろうか。


***


『それでは今日の天気予告です。今日は一日を通して晴れるでしょう。中央では昼頃に少し曇り空となってしまいますが、雨が降ることはありません』

 朝起きて、なんとなくテレビをつけた。普段そんなことはしないので、教育機が珍しそうにこちらを見つめる。

「珍しいですね。なにかあったのですか?」

「いや、なんとなく。たまにはいいかなって」

 天気予告を見ながら一枚のトーストに齧りつく。一気に平らげてしまってから、牛乳で流し込み手を合わせた。

「ご馳走さまでした」

 顔を洗って歯を磨いて、ちゃちゃっと諸々の準備を済ませてからスマホを手に取る。そして再び欠席連絡を入れた。

「いってきます」

 学校に行く格好で、学校に向かう足取りで。

「いってらっしゃいませ」

 サボることなんて幾度もやっていることなのに、なんとなく楽しみにしている自分がいた。


「やっほー!……やっぱり今日も制服なんだ」

「悪い?」

「呼び止められたりしない?」

「特にないかな」

 へぇーと、その子は意外そうにしていた。私も最初は周りの目が気になったが、そんなに周りは自分のことを見ていないと分かって少し安堵した気がする。

「じゃ空見よ!」

「はいはい」

 私は人生で初めて空を見るために空を見上げた。

「真っ白」

 なんの変哲もない真っ白な空。所々に灰色の雲が浮かんでいて、多分”良い天気”というものなんだと思う。

「よくよーく見てよ。なんか線が入ってるの、分かる?」

「えぇ、線って……?」

 困惑していると、その子にもっとよく見ろと催促されたので私はもっともっと注意深く、集中して空を見た。

「あ。なんか光った」

 一瞬、きらりと線のように空を分けるなにかが見えた。本当に一瞬だけど。

「見えた!?うれしー!!今まで誰もこのこと信じてくれなかったんだよ」

「まあ信じる人なんて私くらいしかいないでしょうね」

 その子は本当にうれしそうに飛び跳ねた。つられて私も笑ってしまう。

「ふふ、変なの」

「えー笑わないでよー!」

 笑いとはしゃいだ声が誰もいない公園に響いた。

「それで?あれ、なに?」

 わざわざ見せようとしたのだから何か意味があるのだろうと、私はその子に聞いてみた。すると少し迷ったような顔をして、だけどすぐに口元を緩めて空を見上げた。

「あれね。ちょっと長くなるんだけど」

 その子は絶対誰にも内緒だと前置きして話し始めた。

 曰く、今見えている空はウソの空で、本当の空を隠すようにプレートのようなもので覆っているらしい。何個ものプレートを繋ぎ合わせて作っている空だから、よくよく目を凝らしてみるとその繋ぎ目が見えるんだとか。そして、そのことを知っている人間は極々僅かで、なぜかその人たちはこのことを隠蔽していると。

「そんな作り話みたいな」

 私は半笑いでその子を見つめた。しかし表情は真剣そのもので嘘を言っているようには思えない。

「ほんと、ウソみたいでしょ」

 わたしも未だに信じられないと言ってその子は笑った。

「ねえ、今度本物の空を見よう!約束!」

 急にそう言うとその子は自身の小指を差し出してきた。仕方がないなと思い、私も小指を差し出す。

「指切りげんまん!よし、いつにする?」

「いやちょっと待って、どうやって?」

 そんな隠蔽されている本当の空を見る、なんて出来ないはず。常識的に考えて。

「中央タワーに行く。あとの手順はわたしが考えてあるから安心してよ」

「中央タワーに?一般人は入れないよ」

「知ってるし!」

 中央タワーとは、町の中央に位置する、ものすごく高いタワーのこと。たしか413mあるはず。

「忍び込むの!」

「やっぱり私は遠慮しておきます」

「なっ!?」

 忍び込むなんて言語道断。なにを言ってるんだこの子は。いや。

「ナナシだけで行ってきなよ」

「?ナナシって?」

 初めて出てきた単語にその子は頭を傾げる。

「名前、教えてくれなかったから」

「ひ、ひどい……」

 そういう君も教えてくれなかったくせに、とナナシは頬を膨らませた。

「最初に聞いたのは私だった」

「ちぇっ!まあ、いいけどさー。で、いつ行く?明日?」

「明日は無理。両親と食事」

「じゃあ来週の月曜日」

「流石に来週は学校行くから」

「えー」

 そう、三日もサボってしまったのだから流石に行かなければならない。これ以上休んだら、教育機にバレてしまいかねない。

「なら再来週か」

「行くって言ってない」

 そう言っても、もうナナシの耳には届かない(絶対右から左に流している)ようで、作戦の概要について一人で話し始めた。仕方ないからどんな作戦なのかだけ、私は聞いてあげたのだ。


***


「おはようございます。本日はご両親との外食でございますね」

「あーうん、そうだね」

 教育機は今日も私の朝食を作り、私に話しかけてきた。しかも気を利かせてなのか、いつもより量が少ない気がする。

「どこに行かれるのですか?」

「フランス料理の専門店だって」

「粗相のないように」

「分かってるよ」

 食べ終わってから、出かける支度を済ませて迎えに来る両親を待つ。その間、何となく窓から外を見た。昨日の晴れとは打って変わって土砂降り。梅雨らしからぬ強く叩きつけるような雨だった。

「いらっしゃいましたよ」

「うん、行ってきます」

「いってらっしゃいませ」

 玄関で靴を履いて、傘をさして外に出る。

「久しぶりだな」

 ポツリとそんなことを呟いて。ふと、思ったことがある。教育機は昔、敬語なんて使っていなかったはずだ。いつから、敬語になったんだっけ。


「学校はどうだ?」

「楽しいです、とても」

「なにか必要なものはないかしら?あったら遠慮なく言ってくださいね」

「ありがとうございます」

 父と母と堅苦しい会話をする。普通の人は親と食事なんてすることは滅多にないそうだけど、私の両親は変わり者らしく、月に一度こうやって外食する。私からすると親というのは、自分を産んでくれて生活するためにお金を無償で払ってくれる、たまにこうやって会いに来る不思議な人達だ。でも親からすると子供のために働いて、たまに顔を見ることが幸せらしい。こればかりは親になってみないと分からないだろうな。

「ん~!このフォンダン・オ・ショコラはとても美味しいわね」

「ああ、この店にして正解だったな」

「ええ、頬が自然と緩んでしまいます」

 両親が美味しいと言うのだからきっと美味しいのだろう。正直美味しいかどうかなんてよく分からないけど、取り敢えず繕っておいた。きっと両親にとって私は、出来の良い娘、のはずだから。


***


「あれ、今日は学校行くって言ってなかった?」

 気が付くと私はいつものベンチに座っていた。スマホを確認すると、既に欠席連絡を入れてある。

「なんでだろう、来ちゃった」

 私は何かを隠すように笑った。

 無意識にここまで来たとはいえ、大体の見当はついている。多分、ここの居心地が良くなってしまったんだ。たった二日、一緒に話しただけ。だけど、気兼ねなく話せる相手なんて今までいなかったから。名門校に入るために、成績を良くしようと頑張っていたから。

「どうしたの?なにかあった?」

 ナナシは優しく声をかけて、隣に座った。強制するわけじゃない、聞いてほしければ聞くよ、とそう言うかのように。

「いや、なんでもない。ただ――」

「ただ?」

「ナナシとここで話すのは、なんだか楽しいんだ」

 ここはナナシの優しさに甘えさせてもらおう。なんせ、これは私のわがままだから。

 ナナシはそっか、と私の言葉を嚙みしめるようにしてから、わたしも、とニカっと笑った。


「ナナシはどこの高校?」

 私はふと、ナナシの通う高校について尋ねてみた。

「中央の第5高校」

 ナナシが私のプライベートな質問に対して答えてくれたのは初めてで、私は少し驚いた。それにしても、中央の高校に通う優等生がなぜこんなに毎日サボっているのかは少々疑問だ。……私が言えたことではないけど。

 中学生から大学生、社会人に至るまで、私たちは人間としてランク付けされる。優秀な人材、施設は中央に集められ、グレードが下がるにつれて段々と地方になっていく。中学、高校は中央にそれぞれ7つの学校があり、それぞれ第1中学校、第1高校、というような名前になっている。もちろんその中にもグレードがあり、一番が第1中学校、第1高校となっていて、段々下がっていく。つまり、中央の学校に通う時点で優等生なのだ。

「ちなみに君は?」

「中央の第3高校」

「ふーん」

 ナナシは聞いてきたのに興味なさそうに返事をした。まったく、そういう自由奔放なところは流石に抑え気味であってほしいものだ。

「ねえ、君はおかしいと思わない?この世界。みんなが同じ方に向かって歩く朝、夜。成績によって徹底的に分けられる仕事、学校が」

 またまた唐突に不思議なことをナナシが言うので、私は首を傾げる。

「なにがおかしいの?そんなの普通のことでしょ?優秀な人が中央に集められて、優秀じゃなくなるにつれて中央から離れていく。だから朝、みんなが行く方向は同じだし。学校も同じこと」

 これは社会に浸透した一般論。努力して、努力して、それが報われる。それの何がおかしいのか。

「親が子に関わらないことも?」

「なんにもおかしくないじゃん。親が子供に干渉するなんて非常識もいいとこだ。子供は教育機が育てるし、親は子供が成長するまで食事とか環境とかを用意する存在だよ?」

「……そうだよね。フツウのことだ」

「急にどうしたの」

「いや、なんでもないよ。ちょっと、ね」

 ナナシは目の前に落ち続ける雨粒をじっと見つめた。今日の雨は静かで、綺麗だなと私も眺めて思った。


***


 久しぶりに教室の扉を開ける。

「おはようございます」

 一瞬、教室内がざわついて、次の瞬間には数人のクラスメイトが近寄ってくる。

「おはようございます!何日も学校をお休みされていましたが、大丈夫ですか?」

「ご無理はなさらないでくださいね」

「何かあったら遠慮せず僕たちを頼ってください」

 クラスメイトのニコニコとした表面上の心配の言葉に、ありがとうございますとだけ返し、私は席に着いた。

 クラスメイトの言葉は全て表面上そうしているだけ。優等生であろうとしているだけ。善意じゃない。ニコニコとしてどんなに小さな争いですら避けて、将来中央で働くためにこの学校に在学する。中央の第3高校までは、中央タワーへの就職権利を得ることができる。しかもその権利は大学を飛び級して中央タワーに就職することが可能。だからなにがなんでも成績を良くするんだ。私もそう。

 だけど、ニコニコするのはこんなに気持ち悪いことだったっけ。

「あれ……」

 口元を抑えて、私は俯いた。こんなに、大変だったっけ?

 窓の外を見る。相変わらずウソの空からは雨粒が落ちていた。あの空の向こう――本物の空から降る雨は、差し込む光は、きっと綺麗なんだろうな。


 五日間、学校に行った。放課後には必ずあの公園に寄って帰った。


 五日間をどうやって過ごしたか、上手く思い出せない。でも、笑えていたとは思う。たった四日休んだだけでこれは良くない。やっぱりサボり癖がついてしまった。苦しいのもきっとその所為だろう。今日はもう遅いし、早く家に帰って休もうと考えていると

「君、今日は遅かったね。昨日、『遅くなる』って言ってたから来ないと思ってた」

 目の前にはいつもの公園と、ナナシが立っていた。家に向かっていたはずなのに、ボーっとしすぎてしまったようだ。早くかえ――

「本物の空を見たい」

 口をついて出たその言葉に、ナナシも私も目を丸くする。

 これからは、毎日学校に行かなければいけないのに、なんで、私はこんなことを言っている?

 ナナシは目を輝かせて笑った。

「やったぁぁぁ!!!!じゃあ来週の月曜日、いつもの時間に公園で!待ってる!!」

 ナナシは飛び跳ねながら去っていった。

 私も、帰ろう。月曜日のことはまた月曜日に考えればいい。そうやって自分に言い聞かせた。


***


「よく来てくれました!さぁ行くよ、本物の空を見に!」

 天気は生憎の雨だった。まあ、梅雨だから仕方がないけれど。そして、私は学校をサボった。

「本当にその作戦で大丈夫?ガバガバじゃん」

「大丈夫!警備もガバガバだから」

 作戦は、最早作戦と呼べるものでもないものだった。

 まずはナナシが警備の人を引き付けて、私が中央タワーに侵入。ナナシも後から追って入るらしい。そして、私は指令室のような場所で赤い『触るな』と書かれたボタンを押して、近くのエレベーターでなるべく高い階まで昇る。そこからは階段を使い、中央タワーの頂点で本物の空を見るという作戦。

「私の負担が明らかに大きいよね」

「いやいや、囮も大変だって!」

「ほら早く行って。これ以上雨で濡れたくない」

「人使い荒いよー」

 文句を言いつつもナナシは中央タワーの入り口へ歩いていった。堂々と入ろうとしたところで警備員に止まられる。しばらくしたところで応援の警備員が次々と出てきて、それを見計らい、私は裏口から侵入した。正面が仰々しいだけで、裏口は案外楽に入り込めるようだ。

 それからなるべく静かに、ばれないように、私は指令室に向かう。指令室は10階。階段を使ったから、少し息が上がってしまった。

「なあ、聞いたか?」

 指令室の入り口で息を整えていたところで、声が響いた。私は慌ててきた道を戻り、階段付近に身を潜める。

「ああ、ヒビが塞がってないんだろ?中央で曇りを多くしてるのもそれが原因だって聞いた」

「早く塞がないとな。自然修復が追いついてないって、相当な問題だろ」

 私はなるほどと納得した。最近やけに中央は曇りだって天気予告で聞くなと思ったら、そういうことだったんだ。

 二人の男が立ち去ったところで、私も指令室に侵入した。ほとんど人の姿は見られず、ボタンを探すのが楽だ。

「あった」

 赤い、『触るな』と書かれたボタン。ガラスで覆われてはいるが、そのガラスも簡単に開くことが出来たので、ささっとボタンを押す。

 押してから指令室を出て、エレベーターに乗り込んだ。その瞬間。

ヴーヴー

 サイレン音が鳴り響いた。

「な、なに!?」

 視界が赤い光に包まれる。しかしエレベーターは止まらずに上がっていく。しかし、自分の所為ではないと思えるほど私も馬鹿じゃない。嫌な汗が背中を伝い、『まずい』と思い始める。でも、本物の空を見れるんだと思うとなんだか嬉しくなってしまって。頭が混乱していく。

 エレベーターが止まった。ドアが開いたタイミングで私は走り出す。

「侵入者ー!侵入者だ!!捕らえろ!」

「今はそんなことしてる場合じゃないだろ!誰かあの穴を塞ぎに行け!」

「だからその穴をあけたのがこいつじゃないのかって話だよ!」

「どうでもいい!!どうにかしろ!」

 侵入者である私を見逃してしまうほどに動揺しているのは一体なぜなのか。取り敢えず目の前の人たちを躱すことが出来たので、ほっとして階段を駆け上がる。

 あと、少しで本物の空を見れる。

 後ろから追ってくる人たちに見向きもせず、ただ純粋に階段を上がっていく。光が射す扉が見える。私はその扉を勢いよく開けて、外に出た。

「うわあ」

 数歩歩くと、差し込む光の中に入れた。周りは雨が降っているのに、そこだけ晴れている。黄金の光に照らされている。

 とんでもなく高い場所にいるのに、恐怖はあまり感じていない。とにかく、”綺麗”だった。

「うっ眩し」

 空を見上げると、ひび割れた空の隙間から黄色く光るものが覗いている。それを直視すると、目がチカチカした。これが多分『目が潰れる』っていうことなんだろうな。

 真っ白なものが見えたから、手を伸ばしてみる。掴めそうで掴めない。確か、これが本物の雲なんだってナナシが言っていた気がする。

「囲め!拘束しろ!」

 雨に当たりながら、装備を固めた人たちが私のことを取り囲んだ。

「青いなぁ」

 真っ青な空。白くない、青い。その事実に私は興奮する。

「ぁ」

 私の周りに、赤い花が咲いた。空ばかり見ていた私は慣れない赤という色に目を細める。

「ナナシ、見て、あの空!本当に青いんだね」

「うん、すごいでしょ」

「感動した」

「うんうん、喜んでもらえたみたいで嬉しいよ」

 未だ感動して空を見上げる私にナナシは近づいた。

「君が――じゃなかったら、連れて行くのになぁ」

 ナナシは下を見下ろす。辺り一面、真っ赤に咲き誇る美しい花。いや、美しいというのはわたしの感想だなとナナシは思う。

「ねえ、君、結局名前なんていうの?」

「え、今聞く?」

「折角だし」

「私は――」


 タワーの頂に一輪の赤い花が咲き誇る。


「じゃあね。ごめんね、ウソついて。梅雨、明けたよ」


 ナナシは青い空を眩しそうに見上げた。

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― 新着の感想 ―
真っ白な空を「ウソの空」だと言う少女ナナシとの不思議な邂逅と、謎めいたその存在感にとても引き込まれました。 教育機が子供を育て、ランク付けされた人々が機械的に日常を送るという社会構造も非常に印象的です…
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