(2)乗り換えて-1
初めてのときには、この一時間四十分が、とてつもなく長く感じられた。何回か経験するうちに、出発から到着までが、とても心地いい時間になった。そんな使い方を見つけられたから。それでも今日は、いつまでも続いているように感じる。やっぱり、どうしても落ち着けなかったからだろう。
筆は、あるいはキーは進まないし、それじゃあと景色に集中しようとしても、どこかで後ろに引っ張るような気持ちが消えてくれない。そもそも、日は早々と沈んでいて、見えるものは退屈でしかなくなってしまっていた。だから、信じられないほど高く、そしてたくさんの建物が並ぶ中、さっきまでよりずいぶんゆっくりと走り抜けるようになると、ずいぶんほっとしていた。たとえ、作り物の光が点々と並ぶその場所に、どこか不安を感じて仕方がなかったとしても。
もうすぐ到着するというアナウンスを聞くと、私はすぐに荷物をまとめて、降りるドアの前に立った。反対側に立っている人がいたけれど、こちらが開くのは間違いない。そう放送されていたのを、聞き逃さなかったから。
もうほとんど普通の電車と変わらないスピードで、賑やかな明かりが敷き詰められた街を走っていく。いくら明かりがあっても、真っ暗なのは同じだけれど。走るための音だけが聞こえる。座っていたときよりも大きく、響くように。
時間がないというのが分かっていたから早々と座席を離れていたのだけれど、たぶん、気持ちのせいでもう座っていられなかったというのも、同じくらい大きな理由だったと思う。二つの原因が入り交じったアマルガムの重みに、耐えられなかったということ。
ドアが開く。まぶしいほどの明かりや空気の感触の違いに気をとられるのは一瞬だけで、私はあらかじめ調べてあった道順を、その場で見つけられた案内表示で確かめながら、早足に歩いた。乗り換えの猶予が、十分もないのだから。
長い階段を降りて、新幹線に乗り込んだときよりもさらに多い人の数に驚く暇もなかった。必死で案内表示を探していたから。たぶん見つかるまではせいぜい数秒間だったのだけれど、私にとっては、入り込んでしまった一つ目の巨人の住む洞窟の出口を大岩で塞がれて閉じ込められたような気分だった。
こんな計画を立てたというか選んだのは、私のわがままのせいだ。無理でもないのだとは、行く先で待っている人に聞いていた。もっとも、慣れていないと思いのほか時間がかかるかもしれないし、もししくじったらなかなかまずいことになるという、親切で現実的な忠告も同じようにあったのだけれど。それでも私は、どうしても、できるだけ早く到着したかったから、この列車を選んだ。いやむしろ、できるだけ早く出発したかったからだろう。そうやって、追い詰めてしまいたかった。
人の少ない方向に歩いて、入り口の数の少ない改札を見つける。そこに切符を三枚も重ねて入れるというのは、分かってはいても、初めてのことだったし、ためらいを押し殺さなければいけなかった。けれどやってみればすんなりと、役目を終えた切符は消えて、私の手元には、必要な二枚だけが残る。
使う人の数のせいか、あるいは鉄道会社が違うからなのか――私には『東海』と『東日本』の区別の必要性が分からないけれど――、改札を抜けた先では、雰囲気がまるで変わっていた。すぐ手前の騒がしさが嘘みたいに思えるほど。振り返った先、あるいは別の改札の向こう側は、あんなにぎっしりと人が詰め込まれているのに。
表示を探して番線を、そしてついでに腕時計で残り時間を確認して、まだ時間の余裕が思ったよりも残っていることにいくらか安心しながらも、急いで階段を上がる。下と同じ印象が、その先のプラットフォームにもあった。つまりは、人が少なくて、きっとそれが理由で広々としているように思えて、なんだかほっとした。同時に、胸の奥がはっきりと痛くなる。
こんなのは初めてだった。浮き足立つというのは、こういうことなのかもしれないと思った。何かに迫られるような感じでもないのに、どこかかふわふわとして、焦るような気持ちになってしまい、しっかりした足場がほしいのに、それを見つけることができない。乗るはずの列車はもう出発を待っていたけれど、人のあまりいないそのプラットフォームはなんだか静かで、なんだか落ち着ける場所のように思えた。空間を満たしている密度が、全然違っていたからだろう。それをはっきりと受け入れられないのは、きっと時間に焦っているからなのだと、私は思った。