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AからAに  作者: 入江晶
2/9

(1)出発-2

 出発時刻と指定の座席をもう一度確かめて、私は切符を封筒にしまい、鞄に入れた。十分な、そして長すぎないくらいの余裕がある。全部予定通りだった。学校を出る時間から書き留めておいたメモの通りに。今は切符と同じ封筒の中にある。

 私は振り返った。歩くたくさんの人、その喧噪と私の間を、改札機が区切っている。あんなに背の低い仕切りだというのに、空間そのものを切り取ってしまっているようだった。こちら側はずっと静かで、まるで別世界みたいに思えて。こんなものが、私のルビコン川なんだ!

 正面に見えてくる、こんな時間でも人の多い待合室を通り過ぎて、階段を上がる。橙色の日差しに照らされたそこは、意外なほど人が多かった。金曜日の夕方の新幹線のプラットフォームなんて、私にとっては初めて見る場所なのだから、意外だというのは当たり前なのかもしれない。ほとんどはスーツ姿だった。私の知らない、理解も想像も出来ない理由でここにいる人たち。公的な服という意味では私の制服だって同じだし、まあ、向こうも私の持っている理由を知ることもないだろう。そしてきっと、この先もそれは同じ。

 あまり待つ間もなく、新幹線が到着した。いつも私は、速さよりも長さに驚く。本当のスピード感は、たぶん、外から、しかも通り過ぎるような駅でもないと、見られないからだろう。そしてこれだけのものを決められた場所にきっちりと止めてしまう技術にも、劣らないくらいに驚かされる。

 座席から窓の外を眺めた。まだ止まっている。駅の前の広場と、その向こう側の大きな家電量販店やホテルが並んでいるのが見えた。たくさんの人たちも。

 今なら引き返せる。全部なかったことにしてしまえる。そんな言葉が脳裏をよぎった、というか、現れるたびに、何度も私は押しのけた。確かにそうだし、きっとそれが利口なんだろう。でももう決めたんだから。こうしなきゃいけないんだと、私は言い聞かせるように、頭の中で繰り返した。

 音楽とアナウンスと警告音の後、ドアが閉まって、騒がしさが遠くに追いやられた。私のいる空間が、さっきまでいたところから切り取られた。やがて景色が動き始める。隣には誰もいない。いつもは家族がいるのに。私はこの空間を、目的地を、誰とも共有せずに持っている。同じ場所に向かっている人たちばかりだったとしても――途中までかもしれないけれど――、誰も私と同じものを持っていない。

 息を呑むほど綺麗な夕焼けが見えた。新幹線に乗ると、いつもそうだ。空に浮かぶ雲は紫色に染まり、あるいはその縁は夕日の橙色を映して輝く。それがいくつも折り重なって、流れていく景色、ビル、あるいは住宅地、あるいは広々とした田園の向こうの太陽を見え隠れさせる。遮るものばかりのあの街にいる間には、絶対に見ることができない眺めだった。私には、周りの人たちが同じようにこれを見ているのだとは、とても信じられなかった。だから私は、こうしなければいけなかったんだ。

 線路や車輪、あるいは車体と空気が立てる音以外は何も聞こえない。そんな騒がしい静寂の気持ちよさを感じながら、私は鞄からパソコンを取り出した。その水色と横長すぎない形が気に入っていたし、道具としても必要だったから、こうして連れてきた。

 面倒な登録手続きの末にインターネットにつないで、電子メールを書く。

『名古屋を出ました。予定の時刻通りです。まだ不安もあるけど、夕日が綺麗で慰められます』云々。

 こんなことを言える人は、他にいなかった。そして、ずっと遠くにしか。私は今からそこに、その人のところに行く。理解とか共有とか、そんなもののために。

 メールを送り終えて、私はワープロソフトを立ち上げた。まだ誰も読んでいないものを読んでもらうために、書かなければならなかった。それができる世界に、私は行く。延々と上っていく。つまりこれは、私にとってのアナバシスというわけ。

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