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第8話 掃除のおばちゃんの報告

 共和国軍ガンデルク基地に、昼の休憩時間を告げるラッパの音が鳴り響く。

 

 

 腹が立つほど簡潔な内容のメモ紙一枚残して基地司令官は姿を消した。

 すぐさま司令官の携帯電話に電話をするが、繋がるどころかバイブレーションの振動音が彼女の机の中から聞こえた。

 続けてドライバーのトーマに連絡をしたが、奴め、こういう時に限って電話に出ない。

 

(──クソっ!)

 

 スノウは心の中で悪態をついた。現段階ではこれ以上打つ手がない。

 少し落ち着こうとため息を吐いて窓の外に目をやると、軍服の隊員たちがそこここの建物から出てきてあるひとつの建物に向かって移動していくのが見える。

 

(もう昼か……)

 

 彼らが向かう先は食堂である。

 この時になって初めて昼休みのラッパが鳴っていたことにスノウは気付いた。

 

 

 執務室を出ると、司令官の食事をワゴンに載せて準備したものの、部屋に運び入れて良いものかどうか迷っている様子のヒメルと鉢合わせた。

 

「副司令官は帰ったのか?」

「はい、さきほど。約束があるとかで、あとは頼むと……」

 

 まったく、面倒なことしか持ってこないおっさんだ。

 

「あの、司令官のお食事は──」

「部屋にはいらっしゃらない。外に出掛けられている様だ。おそらくスエサキも一緒に」

「えっ!──ふたりだけで?」

 

 まるでそれが恐ろしいことでもあるかのように、ヒメルは目を見開いて驚愕した。

 ただの運転手として同行しているだけだということはヒメルもわかっているはずなのだが、彼女の中でトーマ・スエサキという男は相当信用できない男らしい。

 

 

 いつ戻るとも知れない司令官をずっと待っていても仕方がないので、スノウはとりあえず昼食にすることにした。

 

「セイジョウ、食事はもう行ったのか?」

「いえ、まだですが」

「それ、食べていいぞ。司令官は昼は戻らない」

「え、いいんですか?」

 

 ヒメルの顔が綻んだ。ワゴンに用意されているのは下々の隊員とは違う司令官だけの特別メニューだからだ。さっきまで身をわななかせて司令官の心配をしていたのに、毎日準備をするだけで食べることは許されなかった料理が食べられるとなった途端、心配事などどうでも良くなったらしい。食い意地の張った女だ。

 しかし、さすがに上司を差し置いてすぐに食いつくのは気が引けたのか、ヒメルはこちらの顔色を伺うように尋ねた。

 

「でも、ロウ少尉はどうされるのですか?」

「俺はいつもどおり食堂に行くさ」

「わかりました。どうぞお気をつけて」

 

 顔をきりりと引き締めて、ヒメルは仰々しく答えた。おまけに敬礼までして。

 ただ昼飯に行くだけで何にどう気をつけろというのか、という突っ込みどころなのだろうが、スノウは素直に突っ込んでやる気はさらさらないので、無視して副官室を後にした。

 

 

 

 

 いつも出入りに使っている司令部庁舎の裏口に、喫煙場所として設けられた休憩スペースがある。

 ベンチが数個と灰皿、自動販売機があるだけの簡単なものだが、昼の穏やかな時間をそこで過ごそうと何人かの軍人が、階級問わずくつろいでいた。

 スノウがその場所を通り過ぎて食堂に行こうとしていた時、自動販売機の脇に置かれたゴミ箱のまわりを、竹箒と塵取りを手に掃き掃除をしている掃除婦がいた。

 掃除婦は水色の三角巾と作業服を着て曲がった腰にゴム手袋を下げたおばさんで、すれ違いざまに声を掛けられた。

 

「まあ、男前な軍人さん。いつもご苦労さまですね〜」

 

 そう言うと、軽く会釈をしてのろのろと歩き去っていく。

 スノウは少し思案をめぐらせたが、無言のまま向きを変えその掃除婦の後をつけた。

 建物の角を曲がると、人気の無い非常階段の隅っこで掃除婦は待っていた。

 

「今度は掃除のおばちゃんか?」

 

 スノウが問うと、その掃除婦はむすっとした顔をして見せた。

 

「今度こそわからないと思ってたんだけどなあ……」

 

 階段の中程に座ってあぐらをかきながら掃除婦、もといサンダースは呟いた。

 

「こんなに完璧な変装なのに、なんでスノウにはすぐ見破られるのかなあ……」

 

 そうサンダースは首を傾げる。

 他の者が見ればどこからどう見ても普通の掃除婦のおばちゃんなのだろうが、スノウには何となく分かった。気配というか、匂いというか、表現するのが難しい感覚的なものなのだが、確かにサンダースなのだ。

 

「そんなことはいい。それより調べはついたのか?」

 

 苛立たし気に急かすスノウ。しかしサンダースはまったく気にせず返答を勿体ぶった。

 

「調べたよちゃんと。苦労したぜ~。なあ、俺がどうやって鉄壁の情報部に潜入したか気にならないか?」

「気にならない」

 

 本人は是非とも聞いてほしいから言っているのだろうが、スノウにとっては正直どうでもいい。

 

「まあそう言うなよ。なんと、峰不二子よろしく美人諜報員に変装したんだ!」

 

 本気で言っているのだろうかこの男は。


「何でもいいから、わかった事をさっさと教えろ!」

「ちっ、つまんない奴だなあ……。俺達のことを情報部が掴んでるかってことだろ? 答えはノーだな」

「……それは、本当だろうな?」

 

 ふざけてるのか本気なのか分からない男の答えを聞いても、そうですか、とすぐには納得できない。

 スノウは訝しげにサンダースを睨んだ。

 

「なんで疑うんだよ! 俺は情報部に直に潜り込んできたんだぜ? 奴等は俺達の事なんか気付いちゃいなかった。というよりは、奴等がせっせと嗅ぎまわってるのは俺達じゃない。元陸軍部長官のユリス・ハインロットだ。情報部はこいつの動向を徹底的にマークしてるみたいだな」

 

 サンダースは自分が入手してきた情報を得意気に告げた。しかしスノウは、疑いの眼差しをやめない。

 

「軍人には守秘義務がある。辞めた後もその義務が無くなることはない。陸軍部長官にまでなった男だ、動向を監視するのは当然だろう」

「監視とかそーゆー感じじゃなかったぜ?」

「何がどう違うんだ?」

「なんつーか、要注意人物として見てるって言うか、敵視してるって言うか……」

「敵視?」

 

 どういうことだ。ユリス・ハインロットは退役したとは言え身内のはず。しかも現職の評議会議員だ。共和国軍にしてみれば、議会内で軍の発言力を強めてくれる存在として願ってもない人物ではないのか。

 

「あ、それと。お前、言ってただろ? 基地司令官になんで若い女の子がなるのか調べろって。一応調べてはみたけど、不審な点は特に無かったぞ」

「無い?」

「ああ。その女の子って、なんか特別な士官を育てる機関の出身らしい。その機関の存在自体あんまり知られてないみたいで、何をしている所なのか詳しい情報は得られなかったんだけど、そこの出身ってだけで相当優秀みたいだな。情報部の中でもかなり特別待遇だったらしい。つまりお前の言うオトリの可能性はないぞ」

「まあ俺達の存在が気付かれていない時点でその可能性は消えているけどな」

 

 サンダースはキョトンとした顔で目をしばたたかせたが、数秒遅れて納得したように「それもそうだな」と呟いた。たがどうにかしてスノウを驚かせたいのか、自分が見聞きしてきた事の中から何かネタは無いかと記憶を探っている様子で唸り声を上げる。

 

「う~ん、あ、そうだ。これは直接関係は無いかもしれないけど……」

「何だ?」

「お嬢様について調べててわかったんだけど、ハインロットの実の子供じゃなくて養子なんだ」

「養子? ……本当の親は?」

「共軍の研究施設で働いてる科学者夫婦ってことまでしかわからなかった。ハインロットの養子になったのは十歳ぐらい。その時まではその科学者夫婦と暮らしてたってことになるな」

 

 なるほど。彼女が父親の話題にあれほど嫌悪感を示すのも、彼女が実子ではなく養子であることが影響しているのかもしれない。

 

「そう言われてみれば、ツルギという名前も変わっていると思っていたんだ。養子ということなら少し納得もする。これは日本語だ。その科学者夫婦は日本と縁があるのか?」

「ニホン?」

 

 そう言ってサンダースは小鳥の様に首を傾げる。

 やめろ。そんなことをしても全く可愛くない。 

 スノウは小さなため息を吐き出してから『日本』に関する説明を始めた。

 

「共和国に最後に併合された地域だ。それまでは日本という独立国だった。この基地の辺りも領土だったはずだ」

「あっああ、日本ね」

 

 いかにもそれぐらい知ってるぞというそぶりで、サンダースは相づちを打った。

 

「だったら科学者夫婦は日本人なんじゃないか?」

 

 ツルギ・ハインロットの実の両親は日本人?

 そんな訳がない。

 あの少女の髪も瞳も、日本人の特徴など何も残してはいない。ゴルダ村にも日本人の仲間が一人いるが、髪と瞳は黒だ。顔立ちも全体に平面的で、目は細い。何故その違和感にサンダースは気付かないのか。

 

(──そうか、こいつは司令官の顔を知らないのか)

 

「サンダース。お前、ユリス・ハインロットの顔を見たことはあるか?」

「え? ああ、写真なら情報部で──」

「髪と瞳の色は?」

 

 スノウが何故そんなことを聞くのかわからないサンダースだが、元々が素直な彼は必死に記憶の中のユリス・ハインロットの顔を思い出す。

 

「ん〜、目は確か、茶色……、いやもっと金色に近い…」

「琥珀色?」

「そうそう、そんな色。髪も同じ色なんだ。ちょっと珍しい色だよな。それがどうかしたのか?」

 

 スノウは腕を組んで考え込んだ。何故か妙に引っ掛かる。

 

「ハインロットの娘はそれと同じ色だ。加えてあの顔立ち。あれで日本人はないだろう。それは良いとして、彼女が実子ではなく養子だというのが気になる……」

「養子って言っても親戚の子なんじゃないか? その科学者夫婦のどっちかがハインロットと兄弟姉妹とか。別に気にするところじゃないだろ」

 

 確かにサンダースの言うことは間違ってはいない。だが何かが気になる。それが何なのか上手く説明が出来ないのだが、スノウはこういう時の自分の直感には従うようにしている。

 

「……お前、調べて来い」

「はあっ? 俺、戻って来たばかりなんだけど」

「掃除のおばちゃんよりはやり甲斐あるだろ」

「またそれかよぉ〜」

 

 サンダースはぶつぶつと文句を並べてはいたが、やっぱり根が素直な彼は再び掃除婦になりきって、箒と塵取りを手に次の持ち場へ歩き去っていった。

 

 その姿を見送ったスノウは、自分が食堂に向かっている途中だったことを思い出し、ふと腕時計を見る。

 案の定、もう閉店する時間だ。

 

「あいつのせいで食いっぱぐれた……」

 

 小さく舌打ちしてスノウは呟いた。

 

 

 

 


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