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第7話 副司令官の頼み事

 懸念していた基地司令官の写真流出問題は、本人の公認を受けてあっさりと解決した。

 しかしあの時感じた嫌な予感は、やはり現実のものとなってしまったのだ。




 その日、朝から取り組んでいた司令官のスケジュール調整が一段落し、スノウはヒメルに煎れてもらったコーヒーを飲みながら椅子にもたれて少し休憩することにした。

 基地司令官には基地内で行う通常業務の他にも、地域団体との会合や行政機関との連携業務など、軍以外の組織と関わる仕事も多い。そのため普段から出張が頻繁にあり、スケジュールを預かる副官には、いかに効率的に日程を組むかが問われるのだ。

 目的地までの距離や滞在時間を考慮し、移動手段の選定や宿泊先の調整など。そのために必要な手続きをするのも副官の仕事だ。

 しかも交替したばかりの新司令官ともなれば、そこにさらに各分野への挨拶まわりも加わり、スケジュールは多忙を極める。あの少女司令官にも、しばらくは休日返上で働いてもらわなければ追いつかないだろう。

 びっしりと仕事で埋まった鬼のようなスケジュール表に目をやり、スノウはわずかに口角を上げた。庶務係のヒメルがそれに気づいたのなら、何か面白いことでもありましたか? と聞いてきそうだが、いかんせんわずかすぎて誰にも気付かれなかった。

 


 

 トン、トン、と扉をノックする音がした。

 

「ロウ君、ちょっといいかな」

 

 もたれていた椅子から身体を起こして正面の扉を見ると、副司令官のハンター中佐が少し気弱そうな笑顔を覗かせていた。

 

「休憩中のところすまんね」

 

 そう言って副司令官は控え目に部屋に入ってきた。

 

「いえ、お気になさらず。どうぞお掛けになってください」

 

 スノウは室内に置かれた革張りのソファーを副司令官にすすめ、客人用のお茶を煎れてもらおうとヒメルに視線を送ると、言われるまでもなく既にヒメルはその準備を始めていた。

 

 副司令官が奥のソファーに腰かけたのを見計らってスノウはその向かいに座り、話の口火をきる。

 

「わざわざいらっしゃるなんて、何かありましたか?」

 

 そう問いかけると、副司令官はそれまでの柔和な笑顔をサッと曇らせて答えた。

 

「君には頼み事をしてばかりで申し訳ないのだが……、いくら考えても君しか頼める者がいないのだ……」

 

 そう苦し気に話し始めたハンター副司令官だが、スノウはそれを見ても同情するどころか頼み事と聞いただけで嫌な予感がふつふつと沸き上がってくるのを感じた。

 しかし副司令官を前にして態度に出すわけにも行かず、何の心もこもらない事務的な言葉を一応言っておく。

 

「私に出来ることであれば何なりと……」

「ありがとう。そう言ってもらえると助かる。実は、来月予定されている格闘技競技会のことなのだが──」

 

 格闘技競技会? 

 そう言えば来月の訓練予定表にそんなものがあったな……。

 

 このガンデルク基地で毎年行われている年中行事の一つだと記憶しているが、それと副司令官の頼み事とどういう繋がりがあるのだろうか。


 副司令官の言う格闘技とは、共和国軍人なら誰もが習う軍隊格闘技のことで、戦場において武器を失っても素手で敵兵士と戦う術を習得するのがその目的である。

 ただスノウの中では、あんなものはスポーツと変わらないと思っていた。

 

 士官学校で一通り訓練は受けるのだが、これが戦場で実際に役立つかと問われると、否、と自分は答えるだろう。

 殺し屋である自分の様に、武器を持たない、もしくはあっても拳銃やナイフ一本ぐらいの状態で潜入し秘密裏に暗殺任務を遂行するのなら、素手で戦う技術も必要になるが、部隊行動が基本の軍人が、戦場の真ん中で銃も持たずにフラフラと歩き、その上遭遇した敵兵士も同じく丸腰で、その場で素手で戦う状況になるということ自体がまず現実的ではない。

 まあ、目的を精神鍛練にでもしてしまえば全く無駄と言うわけでもないのだろうが──。


「君は知らないかも知れないが、この基地では毎年行なっている訓練なんだよ。まあ訓練とは言っても、一種のレクリエーションのようなものだがね」

 

 語りだした副司令官の邪魔にならないように、ヒメルがそっと近付いてきてテーブルの上にコーヒーカップを置いた。

 副司令官はそんなヒメルに柔らかい笑顔で謝意を示して話を続けた。

 

「参謀長が言うには、近年は参加する隊員の質の低下が問題になっているのだそうだ。そもそもこの競技会は、それぞれの部隊ごとにやっている格闘技訓練の成果を発表する場という位置付けなのだ。だが現状は、試合中に怪我でもされるとその後の訓練に支障をきたすと部隊が隊員を出したがらない。隊員個人はヘタに優勝して名が売れると、方々の部隊から格闘技訓練の教官を頼まれてしまい、色々と面倒な事になると出場を避ける傾向にあるようなのだ」

 

 部隊にとっても隊員にとっても、あまりメリットが無いと言うわけか。

 

「それで、私にその対策を講じて欲しいというわけですか」

 

 それならさほど悩むことはない。双方に十分なメリットを用意すればいいのだ。それが一番の解決策だろう。

 まず隊員個人にはしっかりとした褒賞を用意し、今後の昇任にも優位に働くようにすれば良い。それから隊員の所属する部隊には──

 

「いや、対策は既に考えてあるのだよ。司令官みずからの発案でな。だかその案には少々問題があるのだ……」

 

 ため息を含めながら副司令官は言った。

 嫌な予感がする。司令官みずからという辺りが特に。

 

「競技会の優勝者には副賞として自分自身を差し出すと言うのだ」

 

 

 ……。

 

 

「申し訳ありません、おっしゃっている意味がよくわかりません」

「私も全く同じ事を本人に言ったよ。だが、彼女が言うには──


『若い男性隊員の下心が持つパワーは無限大だ』


 ──と言うことらしい」


「ますます意味がわかりません」

「だろうな」

 

 スノウは目眩を覚えた。

 

 一体何を考えているのだあの小娘は。

 自分を差し出す?

 

 訳が分からない。

 

「しかし、先日の会議で司令官は強引にそれで押しきってしまったのだ。つまり決定だ」

「け、決定? それはどういうことですか? まさか本当に司令官自身が賞品になるんですか?」

「どうなるかは私にも分からん。正直なところ私を含め皆、司令官の真意を図りかねているのだよ。だが決定してしまったからには、最悪の事態は避けなければならない……。そこでだ──」

 

 副司令官は苦悶の表情で静かにそう言うと、次の瞬間、いきなりスノウの両手を取り、自分の両手で包む様にがっしりと握った。

 

「頼むロウ少尉! 格闘技競技会で優勝してくれ!」

「──はあ!?」

「あの子の貞操を守れるのは君しかいない!」

 

 スノウはますます目眩がしてきた。

 

 何を言っているんだこのひょろいごぼうは。頼み事とはこのことなのだろうか。

 そんな事を頼む暇があったら、あの少女の暴走を止める方法を考えたらどうなんだ。

 

(──と言うか、それよりもまずこの手を離せ!)

 

 そう心の中で叫んでも口に出すこともできずにスノウが押し黙っていると、副官が困惑していると思ったのか、副司令官は更に両手に力を込めて詰め寄ってくる。

 

「あの子にもしものことがあれば、私はハインロットに顔向けができない。頼む! 私にはあの子を守る義務があるんだ!」

 

(知るか! 俺にはそんな義務は無い!)

 

 いっそのこと本音を吐き出してしまいたかったが、ここでの返答如何によっては副官としての信頼を揺るがしかねない。スノウは出来るだけ自然に見えるように副司令官の手の中から自分の手を抜き取り、ソファーから立ち上がった。

 

「しかし、このガンデルク基地の勇猛な隊員達を前に、私などがご期待に添えるかどうか……」

 

 副司令官に背を向け、少し肩を落として見せる。

 

「いいや、君ならできる! 申し訳ないが君の士官学校での成績を見させてもらった。こと戦闘技術においては抜きん出た才能を持っている」

 

 当たり前だ。ゴルダの殺し屋である自分が負けるわけがない。それでも適度に手は抜いたのだ。

 本気でやったら確実に相手を殺してしまう。

 

「しかし副司令官、仮に優勝したとして、私が彼女に良からぬことをしないとも限らないではないですか?」

「確かにその可能性も考えなかったわけではない。だが君はそんなことをするような男ではないはずだ。選りすぐりの副官候補の中から、他者を押し退けて選ばれた人間なのだから」

 

(──随分と買い被られたものだ)

 

 スノウが気を揉むまでもなく、副司令官は“エルド・ロウ”を完全に信用しきっているようだ。

 ──それは良いのだが。

 かと言って頼られて面倒なことに巻き込まれるのはごめんだ。

 

「副司令官のおっしゃりたいことはわかりました。ですが、少し時間をください。私が直接司令官にお話しをして、考え直して頂くよう説得して参ります!」

 

 スノウが力強くそう言うと、副司令官は眉を潜めた。

 

「会議でのあの様子では説得出来そうもないが──」

 

 だが、直ぐに表情を変え、「いや、あるいは君ならできるかも知れない」と顔に希望の色をにじませた。

 

(おいおい、いくらなんでも副官一人を盲信しすぎじゃないのか?)

 

 レオナルド・ハンターという男に一抹の不安を感じつつ、スノウはそのまま司令官室の扉に向かいノックをした。

 

 しかし返事はない。

 室内に入るとそこに司令官の姿は無かった。


「──?」


 今日は特に外に出かける用事は無かったはず。部屋に居るものだと思っていたが、どこへ行ったのだろう。

 スノウはそのまま司令官の執務机まで近付いて、まさかとは思ったが机の下を覗き込んだ。

 だがやはり誰も居ない。

 

(いつから居なかったんだ──?)

 

 まさか、誰も居ない所でどこかの諜報員とコンタクトを取っていないだろうか。自分達の存在が総督府に感知されている可能性が拭えない内はそれも考えられる。

 

 ──迂闊だった。

 

 ひょろいごぼうに付き合っていたせいで見逃してしまった。

 スノウは珍しく悔しさを顔に出しながら舌打ちをした。

 何か手掛かりを残してないかと机の上を見回すと、パソコン画面に大きめの付箋紙が貼ってあることに気付いた。

 そこには──

 

『外にランチに行ってます』

 

 と書かれていた。

 

 

 スノウは付箋紙を見つめたまましばらく動くことが出来なかった。

 

『外』とはどこを指しているのだろうか。まさか基地の食堂ではないだろう。まだやっている時間ではない。ということは基地の外か? そう言えばさっきからずっとスエサキの姿も見えないが……。

 

 

「─────あ の 小 娘 !!」

 

 

 この基地に来て、彼が初めて感情のままに気持ちを吐露した瞬間だった──。

 

 

 

 


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