第6話 司令官の生写真
彼女を、ただの子供だと少々見くびっていたかもしれない。正直、こちらの素性が知られているという状況は予想していなかった。
とは言え、わずかな動揺さえ見せる訳にはいかない。
殺し屋であることを言い当てられた時、スノウは敢えてすぐには否定せず、黙って司令官の言葉を待った。
「安心して。あなたが殺し屋だって事は、あたししか知らないから」
司令官はそう言って、椅子から立ち上がった。扉の前に立つスノウの方に、ゆっくりと数歩近付く。
「いきなりでびっくりするよね。でも大丈夫だから、信じて。あたしは誰にも言わない。絶対に。約束する」
スノウは、じっと琥珀の瞳を見据えた。
一体この少女は何を言いたいのだろう。
信じて?
俺の事を仲間だとでも思っているのか。
「おっしゃっている意味が良く分かりません。誰かとお間違えではありませんか?」
あの時、そう言ってスノウは執務室を出た──。
あれ以来、スノウの周りには何の変化もなかった。
司令官が自分で言ったとおり、スノウが殺し屋であることを本当に誰にも明かしていないのだろう。そのまま何事もなく時間が過ぎ、彼女が基地司令官として着任して、瞬く間に一週間が経った。
その間、着任式、報道機関へのお披露目、基地所属隊員への紹介と、予定されていた行事を順調にこなした。
司令官の態度も、特に変わることはない。
一体目的は何なのか、彼女の意図を掴めないまま、スノウも淡々と業務をこなした。
司令官の目的は何であれ、表の仕事は滞りなくこなさなければならない。
その中で、憂慮すべき事項が浮上していた。
ハインロット大佐の生写真なるものが、基地内で出回っているらしい、というのだ。
新司令官の紹介も兼ねた朝礼の際、司令官が壇上に上がった途端、いまだかつて聞いたことが無いどよめきが上がった。スノウはそれを聞いた時、こうなる事はある程度予想していた。
だがそれにしても早すぎるのではないか。社会的地位のある基地司令官の写真が無許可で出回るなど、あっていいことではない。
写真の出所はおおかた、司令官に職務上近い人間だろうと睨んでいる……。
ヒメルがいつものように食器洗いを済ませて副官室に戻ると、何やら室内から大きな声が聞こえてきた。
「違いますよ副官! 俺じゃないっす! 信じてください!」
司令官専属ドライバー、トーマ・スエサキ軍曹の声だ。彼は何かを必死に否定している。
その目の前には基地司令官付副官、エルド・ロウ少尉の机があり、副官は椅子に座ったままスエサキ軍曹を見上げていた。
「こんな近距離から撮った写真、お前じゃなかったら誰なんだ」
そう言って突き出した手には一枚の写真。
司令官ハインロット大佐の美しい顔がアップで写っている写真だった。
「それちょっと見せてください!」
スエサキ軍曹は副官から写真をひったくり、顔にくっつきそうなほど近づけて見る。
「ほらここ! 見てくださいよ副官! この写真、これ車の中ですよ!」
副官の脇からヒメルもその写真を覗き見た。すると少々分かりづらいが、確かに司令官の後ろに車窓のようなものが写っている。
「ドライバーの俺が、送迎車に乗ってる司令官を写真に撮れるわけないじゃないですか!」
「お前じゃないとすると、じゃあ一体誰が……」
副官とスエサキ軍曹が揃ってこっちを見た。
ヒメルが俯きながら、おずおずと片手を挙げたからだ。
「すいません、それ……私です」
「「──お前かッ!」」
二人とも、何でこんな時だけ息が合うんですか。いつもは水と油なのに。
「セイジョウ、何故こんなことをしたんだ」
「ヒメルちゃん、その写真のデータ俺にもくれ!」
良くも悪くも正直者のスエサキ軍曹。
そんな彼を、副官は切れ長の目を一層鋭くして睨み付けた。そのあまりの剣幕に、スエサキ軍曹はヒッと肩をすくめ小さくなった。
「すみません。同期にどうしてもってお願いされて断れなくて、データごと渡してしまいました……」
ヒメルは俯きながら小さな声で答えた。
弁解したいことは色々とあった。
断れなかったというのは自分の意志の弱さが原因だが、売買目的で渡したわけでは決してない。
同期(男)にも他人に渡さないようにと何回も念を押したし、本人も了解してくれたのだ。それなのに何故その写真がここにあるのか、自分が聞きたいくらいだった。
でもヒメルはそれを今ここで言う気にはならなかったので、うつむいて唇を堅く引き結んだ。
「そんな理由で司令官の許可も取らずに写真を流出させていいと思っているのか?」
怒鳴るでもなく、淡々と副官は言う。そのもっともだが、だからこそ厳しい追及に、ヒメルは握った拳を更に強く握った。
「……すいません。すぐに返してもらいます」
「何を返してもらうの?」
唐突に声を掛けられ、その場にいる全員がギョッとして声のした方向に振り返った。
声の主は基地司令官ツルギ・ハインロット大佐。
今日も今日とて咲き誇る花のように美しく、すらりとした立ち姿でそこだけパッと明るくなった様に見える。
「司令官! 申し訳ありません、お迎えに上がるべきところ………会議はもう終わったのですか?」
副官は言いながらサッと立ち上がりこちらに目配せする。ヒメルはそれだけで副官の意図を察し、スエサキ軍曹の軍服のすそをつかんで引っ張りながら後ろに下がった。
「うーん、……まあね」
掛けられた問いに対する司令官の返答はどういうわけか歯切れが悪い。
「それより、ヒメルは何を返さないといけないの?」
「それは……」
副官が言い澱んでいるのを見て、ヒメルは意を決して前に進み出た。
全ては自分の浅はかさが招いた結果だ。責任を取れと言われれば取る。それで終わりにしようと思った。
「申し訳ありません、私が司令官を勝手に写真に撮り、それを他人に渡してしまいました」
「あたしの写真? えーいつのまに?」
司令官は特に不快な様子はなく、ただ純粋に知らないうちに激写されていたことを驚いているようだった。
「その写真がどうやら隊員の間で売り買いされて広まっている様なのです」
副官の話したことはヒメルの預かり知らぬところだったが、副官が件の写真を持っていた時点で何となく予想はしていたので、言い訳などせず黙って聞いていた。
「隊員の間で広まってる? ……へえ、なるほどね……」
副官の言葉を聞いても、司令官はやはり怒り出す様子はなく、それどころか何故かニヤリとこの状況には不釣り合いな笑みを浮かべた。
それはまるで、何か面白いことを思いついた時のような、不敵な笑い。そんな表情でさえも、彼女がするとまるで映画のワンシーンのようだとヒメルは思った。
が、正直のん気に見とれてる場合ではない。
「あの~、司令官?」
全責任を負うつもりで覚悟を決めたのに、司令官から想像していた反応が返ってこない。
ヒメルは拍子抜けてしまい、どうしたらいいのか分からなかった。
「ああ、ごめん。気にしなくていいよ。写真ぐらい全然オッケー! それよりあたし、もう一回会議行ってくるね」
そう言うと、司令官はその場でターンして駆け出し、あっという間に副官室を出ていった。
司令官が出ていった出入口を見つめながら、何がどうなっているのか分からないヒメルは次の言葉がなかなか出せない。
ただ、『全然オッケー』の許可が出るんだったら最初から金貰っときゃ良かったな、などと現金なことを考え、いやいやそういう問題じゃないだろ、とすぐにその考えを振り払った。
ふとスエサキ軍曹の顔を見る。
すると、彼もその視線に気づき、今まで見たことないような柔らかい笑みを浮かべた。
この人こんな顔できるの? と内心ドキドキして視線を逸らすと、スエサキ軍曹がおもむろに口を開いた。
「良かったな、ヒメルちゃん。写真、オッケーだって」
良かったのかどうかわからないけど、とりあえず本人は嫌がってはいない様だ。
ヒメルがほっと胸を撫で下ろしていると、スエサキ軍曹がすすすっと近寄って来て、耳打ちする格好で手招きをしている。
少し警戒しつつもヒメルは自分の耳を突き出した。
「何ですか?」
「司令官に、次は水着でお願いしますって言ってくれないか?」
「殴られたいんですか?」
じろりとした目で睨んで、ヒメルは低くうめいた。
スノウはひとつ、大きなため息を吐き出し、再び椅子に腰を下ろした。
まったく、あの少女司令官の考えている事はさっぱりわからない。
写真だのなんだのは、正直なところ別にどうだっていいのだ。ただ今は副官エルド・ロウとしてここにいるので、それに身合うことをやっているだけのこと。
予想に反し、司令官は全く意に介していないようだ。
寛大なのか何も考えてないのか──。
(……何も考えてないんだろうなアレは)
気になるのは、何かを思い立ったかの様なあの行動。
(もう一度会議に行ってくるってことは、つまりまだ終わってないのに勝手に抜け出して来てたってことか……?)
基地司令官ともあろう者が何をやっているのか。
しかしそんなことは些細なこと。それよりも、いそいそと部屋を出て行ったあの行動が一体何を意味しているのか、スノウはそれが気になった。
今の段階で一つ言えることは、どういうわけか嫌な予感しかしないということだ──。