第5話 副司令官と参謀長
新司令官の着任式も無事終了し、引き続き副司令官による現況報告が行われている。
現況報告とは、この基地の現在の状況を各分野に分けて説明するもので、司令官が交替した時には必ず行われる形式的な会議である。
大型のスクリーンに図やグラフを映し出しながら、副司令官が司令官に対し説明をするのだが、資料は既に制作されている定型を最新の状態に手直ししたものだし、説明と言っても資料を読み上げるだけなので、大した労力は要しない。おそらくは予定されている時間より早く終わるだろう。
現況報告の会場に指揮官ではないスノウは入ることができないので、終了までの時間を副官室で部下二人と控えていた。
「司令官のお父さんって実は凄い人だったんですね~」
洗ったばかりのコーヒーカップを棚に仕舞いながら、お茶くみ、もとい庶務係のヒメルが言った。その言葉にトーマは大きく何度も頷いて見せる。
「やっぱそうだと思ってたんだよなあ~」
「何がですか?」
「何って司令官だよ。評議会議員なんて超大物の娘さんだろ? 俺もさあ、凡人とはオーラが違うなあと思ってたんだよ、うん」
「その超大物の娘さんに邪な妄想を抱いてたのはどこの誰です?」
すかさずヒメルの冷たい指摘が入る。
「何かさー、ヒメルちゃん最近やけに俺に対してツンツンしてない? もしかして……」
そう言ったきり言葉を切って、トーマはじっとヒメルを見つめる。いつものチャラチャラした表情とは打って変わって真剣な面持ちのトーマに、ヒメルは狼狽えた。
「な、何ですか一体?」
「ヒメルちゃん、実は俺のこと好きだろ」
「……寝言は寝てから言ってもらえます?」
部下たちのくだらないやり取りを尻目に、スノウは基地司令官の父親だというユリス・ハインロットなる人物について調べていた。
副官用として宛がわれたパソコンからアクセスしてみると、軍のデータベースに確かにその名前はある。
共和国軍の陸軍部長官を務めていたのは二十年ほど前。既に軍属ではないため個人の細かい情報は残っていないが、入隊時の年齢から推測するに、長官に就任したのは二十歳前後。
驚異的な年齢だ。十代の基地司令官なんて目じゃない。
もともと共和国軍には才能のある者は年齢を問わず重要なポストに起用するシステムがあるのだろうか。
しかし彼が長官を務めたのはほんの数年。その後おそらくは退役し、評議会議員に転身したのだろう。
軍人として陸軍の頂点に登り詰めながら、ずいぶんとあっさり辞めてしまった印象を受けるが、若くして登り詰めたが故に、共和国軍における自らの限界を感じたのかもしれない。
陸軍部長官より上の地位というと、共和国軍司令長官である、総督しかいない。
(確かに、これは超大物だな……)
その娘であるガンデルク基地司令官、ツルギ・ハインロット。
彼女の司令官就任には、この父親が関わっていると見た方がいいのだろうか。
──しかし。
スノウは何故か釈然としなかった。
何故このガンデルク基地なのだろうか。
娘を司令官にさせたいのなら、もっと中央に近い基地はいくらでもある。
何故こんな辺境の、しかも敵国と隣り合っているという点で危険度の高い基地を選んだのか、理由がわからない。
(獅子の子落としってことか──?)
だとしたらあの少女司令官には厳しすぎるだろう。
この地にはいずれ、だが確実に、帝国軍の砲弾が飛んでくるのだから──……。
「お待ちくださいッ!」
突然、男性の声が廊下に響き渡り、スノウはパソコン画面に向けていた顔を上げた。
続けて複数の足音が聞こえる。
その足音は副官室の前の廊下を段々とこちらへ近付いて来る。廊下の突き当たりは司令官の執務室だ。
常時開け放たれている副官室の扉の前を、真っ直ぐ前を向いた司令官が通り過ぎた。
その一瞬の姿を見たスノウは、剣呑なものを感じて廊下に出る。
司令官が執務室の中に入りバタンと扉を閉めるのと、副司令官がスノウの所まで走ってくるのとは同時だった。
「何事ですか?」
スノウが尋ねると、副司令官レオナルド・ハンター中佐は言葉を濁した。
その代わりに、副司令官に遅れて駆け寄ってきた参謀長フロック・ノベルト少佐は、額に汗をにじませながら口を開く。
「わっ、私が司令官の父上を英雄だと言ったら、あんな男は英雄でも何でもないと急に不機嫌になってしまわれたのです」
「いや参謀長のせいではない。私がハインロット氏の名前を出した時点で、司令官はすでに気を悪くされていた様だ」
「そんな! 副司令官はお父さまはお元気ですかと尋ねただけではないですか!」
二人の会話からだいたい状況は飲み込めた。
どうやらツルギ・ハインロット女史にとって、父親の話題はタブーのようだ。
「過ぎたことを言っても仕方がない、問題はこれからどうするかだ」
落ち着いた表情で副司令官は言う。参謀長はそれを見ていくらか冷静さを取り戻した。
「まずは、謝罪をすべきでしょうか……」
うなだれる参謀長の問いに、副司令官は眉間にしわを寄せ両腕を組む。
「どうでしょう。そもそも基地司令官がこんなことで憤慨することなど今まで経験したことがない。どうしたらいいのか。まあ本人にとっては重大なことなのかも知れないが……」
うーんと唸り声を上げてから、副司令官はそれまで黙って二人のやり取りを見守っていたスノウに向き直った。
「申し訳ないがロウ少尉、司令官の様子を見て来てくれないか」
「──ッ! 私がですか?」
副司令官の予期しない一言に、完全に油断していたスノウは思わず聞き返してしまった。
「ああ、頼む。もし取り付く島も無いようであれば、我々はこのまま退散し、後日改めて謝罪に来よう」
「しかしッ──!」
「彼女には彼女なりのデリケートな部分があるのだろう。我々がこれ以上このことに触れるのは逆効果なのかもしれん」
(だからって何で俺なんだ?)
と心の中では思ったが、それをぐっと抑える。
この二人の指揮官は、あの少女を完全に持て余している。
(まあ、そうなるだろうとは思っていたが……)
スノウは大きくため息を吐くと、わかりましたと返事をした。
司令官室の扉の前に立ち、スノウはノックを二回した。
少し待ってみたが室内から返事は聞こえない。
入りますと言ってからゆっくりと扉を開けて中を覗くと、司令官は執務用の椅子に座り、ひじ掛けにもたれかかった格好で書類に目を落としていた。
「なんか用?」
全くこちらを見ようとしない。
スノウは室内に入って扉を閉めると、姿勢を正して司令官に向き直った。
「副司令官と参謀長が謝罪をしたいと申しておりますが、お通ししてよろしいでしょうか?」
そう言うと、司令官は明らかに面倒くさそうにスノウに視線を移した。
「謝罪? さっきのごぼうとブタが?」
参謀長は確かにブタだが、副司令官をごぼうというのもなかなか上手い表現だ。
なんて感心している場合ではない。
「謝罪って、何かしたの?」
「あなたの機嫌を損ねたとおっしゃっていましたが……」
「機嫌? もしかして、さっきの?」
(なんだ? 違うのか?)
「別に怒ってないよ。あのブタみたいな人がさあ、あたしの父親を『あの方は共和国軍の英雄です』とか、『すばらしいお父様ですね』とか言うから、完全に外面にだまされてると思って本当の事を教えただけだよ」
「本当の事?」
「あいつは別に英雄だった訳じゃない。ホントに普通の軍人だった。少なくとも本人はそのつもりだったんだよ。ただあの総督に気に入られてたから陸軍部長官になっただけ。まあちょこっと活躍はしたみたいだけど。そう言ったらなんかあのブタ、いきなり顔真っ赤にして怒り出してさ。もう現況報告も終わってたし、話も通じないみたいだったから退出してきちゃった」
「はあ……」
とスノウは気の抜けた相槌を打つ。
「別に謝罪なんてしなくていいからさっさと帰れって言ってよ」
「……よろしいのですか?」
「まあ、ちょっとイラッとはしたけど、ホントに怒ってる訳じゃないし。あのくらいの年代の人は、あいつを神様かなんかだと思ってる世代だもんね。夢を壊すようなこと言っちゃって、あたしも大人げなかったかなって──」
はたしてこの少女に今も大人げがあるのかどうかは疑問だが、ともかく機嫌を損ねた訳では無さそうだ。
ふと気付くと、司令官は急に黙り込み、何故かじっと見据えるようにこちらに視線を合わせて来る。
なんだろう。そう言えばことある事に、妙にじろじろ見られている気がする。
初めて顔を合わせた時もそうだった。
あの時、確実に司令官は何かを言おうとしていた。
日が傾きかけ少し暗くなってきた室内で、司令官の琥珀の瞳は、どこか動物の様な輝きを見せる。スノウはその瞳に、逸らすことなく自らの青い瞳を返した。
しばしの沈黙の後に司令官は視線を外し、大きく息を吐いた。
「別に、バカ親父の本当の姿がどうとか、いちいち訂正しなくていいんだ……」
司令官が独り言のように言う。
そしてぐーんと背伸びをしながら
「どうせ過去の事だし……。なんか、ロウ少尉の顔を見てたら、どうでもよくなった──」
それを聞いて、スノウは薄く笑った。普段から笑うことなどほとんど無いスノウにとっては、珍しいことだった。
滑稽だった。
この少女と親ほども年の離れた参謀長は、少女の機嫌を損ねたと慌てふためき、当の本人は自分の顔を見て、細かい事などどうでもいいという。
──まったく、くだらない。
そんなくだらないことに自分も巻き込まれているのかと思うと、乾いた笑いが込み上げた。
「それは良かった。私のこの顔が、少しは役に立ったということですね……」
皮肉のつもりでスノウは言った。それを司令官がどう受け取ったのか分からないかったが、返答がないのでもう話すことも無いのだろう。
「では、副司令官にはそのように申し伝えます」
とりあえず部屋の外で待っている副司令官の用件を済ませようと、スノウはその場で一礼した。
それから教範どおりのきっちりとしたまわれ右をして司令官に背を向けると、退室しようとドアノブに手を掛ける。しかし、
「ねえ……」
司令官に呼び止められた。
「あなたの本当の名前は、何て言うの?」
スノウは振り返って司令官の顔を見る。
何を言っているんだ。さっきロウ少尉と自分で呼んでいたではないか。
しかし司令官の表情はふざけて尋ねている様には見えない。
「……エルド、……ロウです」
質問の意図を探るように、ゆっくりとスノウは答えた。
だが司令官の凛とした声が、それに追い打ちをかけるように重なる。
「違う。あたしは、あなたの本当の名前が知りたい」
身体中の血が逆流したような感覚を、スノウは覚えた。
「おっしゃっている意味が、わかりませんが……」
手の平に汗がにじむ。
まさか、そんなはずはない。
「あなたの名前はエルド・ロウじゃない。だってあなたは──」
こんな少女が知っているはずがない。
「殺し屋でしょ?」