06:王女
06:王女
「ありがとう。でも本当にすごいです、魔王軍幹部をやっつけてしまうなんて、いったい何者なのです?」
王女はぼくの手を強く握り、心配そうにする。
「あっ、血が出てます!」
人差指の裂傷を見つけると、レイエスは少し迷ってから、
「はぐ」
と自分の口に入れる。それから舌と唾液で血と汚れを綺麗に舐めとると、自分のドレスの裾を破り、丁寧に巻き付けた。
「できた」
しかし丁寧なだけで、彼女はとても不器用みたいだ。指の先にボールが突き刺さっているみたいな出来映えだった。
でも気持ちはもの凄く伝わった。
「ありがとう」
「うふふ、あの、ごめんなさい。私少し不器用で」
「少しか?」
「違うかな? えへへ」
申し訳なさそうに顔を真っ赤にし、しかしこちらの気遣いを察して嬉しそうに笑った。
「本当は治してあげられるといいんですけど」
「いや、それは結構だ」
ぼくは即答で断る。
レイエスはとても綺麗な少女だった。
絶世の美少女と言っても良い。
金色の髪が月明かりで照らされ、宝石みたいにキラキラと輝いて見える。
「うー、でもホント、もうダメかと思っちゃいました。本当にありがとう、キミは命の恩人です」
彼女は言いながらそっとこちらのフードの中を覗き込む。
「……女の子?」
そう呟いた。
「いくつ? 私は九歳」
「七」
「そっか。じゃあ私の方が二つお姉さんだ」
彼女はニコリとお姉さんのスマイルを浮かべる。
「ねえ、キミ名前はなんというの?」
「……ジェシカだ」
「ジェシカちゃん! よろしくね。ふふふ、ちなみに私はお姫様です、実はこう見えて」
「知ってる」
「うん。さっき名前を呼ばれて驚きました。私はずっと城の外に出してもらえてないし、公に顔出しもしていないので、身内以外には誰にも分かるはずはないんですけど。なのにキミはどうして私が分かったの?」
「……なんとなくだ。品格というかオーラというか、そういう高貴なものが溢れ出ていたからなんとなく王族だと分かった」
我ながら苦しい言い訳になった。
彼女はニンマリとして、
「まあ! お上手。でも不思議です、いつも妹にはヌケているとか、ボーッとしてるとか、もっと王女らしくしてとか、そういう風に言われているのですが。ふうーん、そうですか、ありましたか品格が。そーですかそーですか」
「なんだよ」
「べつに」
存外に見透かしたように笑う。思ったより食えない姫だ。
——と、そこでふと龍が視界に入る。
(ん……? こいつは)
驚くことに、ぼくはその龍のことも知っていた。
顔見知りだ。
そっと龍に唇を近づけ、呪いを解く。
「輪廻龍【暁】——運命を開けよ」
すると龍から縛りが消え、途端に声を上げた。
『んなっ!!? 運命鍵が外れただと!! どういうことだ!? アンタいったい何者だ!? なんでオレ様の名を知ってんだ!!』
「わあ、すごい! なにか喋りだしましたよ?」
王女はそれを見て嬉しそうにする。
『王女はおまえの言っていること理解できるのか?』
「えっキミもクロちゃんと同じ言葉を話せるの!? すごい!!」
羨望の眼差し。
そして龍の愛称はクロちゃんであるらしい。
クロちゃんはニヤリとやや照れくさそうに話し出す。
『んなわけねー。元上位者である龍の言語だぞ、人間如きが知っているはずもなし。まーアンタ——嬢ちゃんは例外みてーだが』
『だが随分と仲良しみたいじゃないか。なあクロちゃん』
『この娘は忌むべきオレ様にもやたら馴れ馴れしくてな、気に入ってたまにこうして遊んでやってただけだ。ずっと窓辺で外に出たそうにしてたから、出してやってな』
人間のくせに上位存在の龍に気に入られるとは、王女は大した器量をお持ちだ。
『んで、嬢ちゃんは何もんだ? 龍にとって真名は鍵だ。開けるも閉じるもそいつ次第。だからよほどじゃないと教えたりはしねえ。しかもどう考えてもオレ様たちって初対面だろ』
『いや実は会ったことがある。その時名前を突き止め、一度解錠している』
あれは前世で死ぬ二日前のことだ。
この龍が魔王城の地下牢に囚われているのを見つけた。
ぼくは当時、魔王の洗脳が解けて既にわりとヤバい精神状態だった。それでこの龍にあっという間に感情移入し、すぐさま牢から出し、加えて一日かけて呪いの解放にも奔走した。
(あの時は何故魔王城に龍がいるのか不明だったが、今思えば姫誘拐の際に一緒に掴まってそのままだったってわけか)
『マジかよ。つーことはさしずめ嬢ちゃんは転生者なのか?』
軽い説明でこの理解度。さすがは元上位観測者である。
『なんでそんな哀しい目をしてんのかと思ってたら、ワケありな感じか』
そこまで話すと、龍は『しゃあねえな』と舌打ちして、ぼくの左腕に飛び込んだ。
するとぼくの肌に紋様となって浮かび上がる。そして身体の表面を自由に動き回った。さながら動く龍のタトゥだ。
「わあすごいです! クロちゃん、そこに住むの??」
『おう決めたぜ! オレ様、嬢ちゃんと行くことにするぜ! 二度も救ってくれてるって言うんじゃーな、助けないわけにはいかねーだろ! 共生契約を結んでやるよ! 嬢ちゃんは身体を、そしてオレ様は術を貸す!! 決まりだ!!』
「そか、行っちゃうんだね。じゃあもう遊んでもらえなくなっちゃうね。寂しくなるなあ」
『大丈夫、この嬢ちゃんと仲良くしていれば、またオレ様とも会えるぜ!』
なんか勝手に話が進んでいる。
てか言葉分からないはずなのに微妙に噛み合ってるのすごいな。
ちなみに龍の術である"奇跡"は能力上昇系が主だったはずだ。
今のぼくにはかなり大きい恩恵と言えるだろう。
『ふう、まあ仕方ないな。少し五月蠅いのが気になるところだが、一緒に行くか』
『おうよ!! よろしくな嬢ちゃん!!』
というわけで心強い仲間が増えた。
※
クロがぼくに寄生したことで、王女の帰る足がなくなった。なのでぼくが代わりに城まで送ることになった。
ぼくの生命Eはすっかり空っぽになっていたが、クロのバフで底上げできたことでむしろ数倍速く跳ぶことが出来た。
「あそーだ、私の部屋で一緒にお茶しませんか?」
お姫様だっこ状態の姫がこちらを見上げながらそう提案する。
「お茶……こんな深夜にか?」
「ふふふ。私、気になる方には真っ直ぐアタックしたいタイプなんです」
「……ぼくは女だぞ」
「はい。でもどうなのでしょう? 正直、私には貴方が女性とはとても思えないんです」
「失礼なやつだ」
「……あ、ごめんなさい」
「いいけど」
「……偽りの関係はイヤだから、迷ったけど無礼を承知で、正直に話しました。あなたは女性の見た目をしているけど、本当の中身は違うように思えています。そして私は、目で見える事実よりも、心で想う感性の方を信じたいタイプなんです」
「普通は、目に見えるものこそを信じる」
「ですね。でも私は、なにより自分の心こそを偽る方が、嘘だと思うんです」
わかるような、わからないような。
「だから、——もし良ければ、私が時々ジェシカちゃんのこと、男の子扱いすること……悪く想わないではもらえませんか?」
(こんなのもう、ほとんど見抜かれているようなものじゃないか)
とんでもない女だ。
『こいつは、こういうところがあるんだ。オレ様ともそうだったな。言葉なんて無くても、妙に話が通じるっていうかなんていうか』
なるほどね。
真っ直ぐこちらを見上げるその宝石のような瞳。
「わかった。ならばぼくは以降、キミのその態度を許容する努力をしよう」
「ありがとう——!!」
輝くような、姫の表情——。
ぼくの知る彼女とは、まるで別人だ。
前世で魔王軍に入った頃、彼女は既に捕虜であり、幾多の惨い拷問で心も体もボロボロにされ、幽鬼の如き様相になっていた。
(その未来から、ぼくは彼女を救うことができたんだな……)
今さらながらに実感が湧く。
歴史改変。
(変えられる——っ!!)
喜びがわき上がってくる。
今回のように、これから起きる戦争や、悲惨な未来から、ぼくはみんなを救うことが出来るかもしれない。
人のいなくなった世界——
暗黒の空——
魔王城から見下ろすあの虚しい光景——
拷問部屋で、全身の穴という穴から様々な体液を垂れ流し、無残にぶら下げられていた、虚ろなレイエス——
全部、全部、変えられる。
そうだ。
ぼくはもう人間を殺さない。
そして救うのだ。
「凜々しいお顔。まるで勇者様のようですね」
「……勇者、か」
階段でボロ雑巾のように朽ちていた彼のあの死体を思い出す。
「安心しろ、勇者はもっとちゃんとしたのがいる」
「でも私の勇者は、あなたがいいです」
「……ぼくは勇者なんてがらじゃない」
どちらかと言えば影。
歴史の影。
前史では影として、勇者を殺し、そして人間を滅ぼした。
——だが、
今回は逆だ。