04:脱出
04:脱出
フユについての新事実が発覚した。
「フユが元セブンス?」
「そう! あ、いや、厳密には断わっちゃったらしいんだけど」
丸裸にしたあの日以来、ソードくんは毎昼ぼくとマンイーターごっこをするのが日課になった。
それでその度にフユにも「一緒にどうですか?」と声を掛けるものだから、何故なのかと訊ねてみたところ返ってきたのがその事実だった。
「セブンスは王を守る直属の騎士で、世界最強の七人が選ばれるの。フユさんはそれに一度選ばれてるんだよ! もの凄い人なんだから!!」
熱弁するソードくん。
たしかに騎士家の彼からしてみれば憧れるのも無理はないか。
「別に大したことではありません。襲来した魔物を払ったら過剰に評価されただけです」
「ちなみになんの魔物だったんだ?」
「北洋鰐竜です」
「ああー……」
レヴィヤタンか。
「あの伝説の巨顎竜!! 襲われたら最後、その国は滅ぶしかないという! それを単騎で退けるなんて、世界広しと言えどフユさんくらいだよ!」
感服至極といった調子でソードくん。
でもレヴィヤタンって竜とは名ばかりの、ただのデカいトカゲだ。ペットにしている魔族もいたくらいだから、フユの言うとおりそんなに大した魔物じゃない。
「……ふふ」
フユはそんなぼくをジッと見ていた。
そしてかすかに微笑んでいる。
「フユさんサイキョー! 憧れます!」
「ソード様、私など、最強とは程遠い。上ならいくらでもいます。そう、たとえば"星霜祭の英雄"——」
(——っ!?)
「星霜祭の英雄かあ……10年前の星霜祭、国を襲った伝説の邪龍王セトを一撃で倒し、颯爽と姿を消したというあの。御伽噺かなにかだと思ってました。実在するんですか?」
「実在します。噂では今はどこかで修行に励んでおり、間もなくそれを終える頃だろうとのこと。魔王軍に内定が決まってるとも言われてます」
「魔王軍……ゴクリ。あれ、てかジュジュちゃん、どうしたの青い顔して」
「え、ああ、いや。なんでもない」
星霜祭の英雄とは、前世の幼少期の頃のぼくのことだ。
どうやら、この世界にもやはり"ぼく"は存在しているようだ。
厄介だな……。
「ふふ」
ふと、フユがまたぼくのことを見ていた。
やがて取り込んでいた洗濯物の最後の一枚をぱんぱんとはたくと、
「お嬢様のご友人のお誘いを、何度も無下にするわけにはいきませんね。……本日は少しだけ、お稽古にお付き合いさせていただきます」
そう言った。
「えええー!? やったあー! まさかあのフユさんと手合わせできる日が来るなんて! ジュジュちゃんのおかげ?? ありがとう!!」
目を輝かせて感激するソードくん。
それから不敵に笑いかける。
「フユさんから強さの真髄を学び、ボクもっと強くなる! それですぐにジュジュちゃんも追い抜いちゃうんだから!」
どうやらライバル意識を持たれてしまっているようだ。
※
「まずはご主人様、一本手合わせを願います」
庭に出て、最初にぼくがフユとやることになった。
食人鬼ごっこではない。通常の剣稽古である。
「どうやら近ごろはソード様をいじめていらっしゃるそうで」
「いじめってなんだ」
「ふふ、私にもやって見せてください」
間合いを取る。
合図がなる。
互いに、一歩も動かない。
彼女はただぶらりと剣を持ってたっているだけ。
明らかなる指導的姿勢——。
(気にくわないな……)
相手に待たれたのは何年ぶりだろうか。
(いいだろう、行ってやるよ)
ぼくから踏み込む。
ただし遅い。今のぼくは、素の速度ならソードにも劣る。
——が、ぼくには前世からの経験と技術がある。その技術すらもこの身体では十分に引き出せないが、それでも、
(フェイク、ミスリーディング、フェイク、フェイク——)
数え切れないほどの、相手が熟練者であればあるほど効果のでる"仕掛け"を幾百にも織り重ね、その上で——
(これが本命。追いつけるか——?)
決めの一撃を死角から繰り出す。
(どう受ける?)
その受け方により、相手の力量が分かる。
いなす、防御する、避ける——
「————っ!?」
しかし彼女がとったのはそのどれでもなかった。
ただ真っ直ぐ振りかぶり、ただ振り下ろすだけ。
純粋に速く——
ひたすらに重く——。
軌道上にあるぼくの剣もろとも力でねじ伏せ、そのままぼくをはじき飛ばした。
「がはっ」
地面を転がされ、顔を上げると、彼女が悠然とこちらを見つめてきている。
「児戯ですね」
指導するつもりなど、はなから皆無——。
圧倒的力量差の前では、小手先の技術など無意味であると——まるでそう言いたげな一閃だった。
「現存する力すらまともに扱えていないのですね……。力とは、伸ばすことは難しくとも、あるものを使うのはとても容易いものなのですが。ご存じのはずでしょう?」
ネチネチと説教じみた小言が始まる。
「なんかフユさん、ジュジュちゃんにはやたらと厳しくない!? もしかして期待の表れ!?? ていうかあのジュジュちゃんが手も足も出ないなんて、フユさんさっすがだー!!」
(……くそう)
普通に悔しい。
しかし、なんだかんだ参考にはなった。前世ではそもそも地力で圧倒的に劣ることなど久しく経験しなくなっていたから。
ぼくの次にソードくんがやる。
フユはソードくんには雑な戦いはしていなかった。ちゃんと指導剣を行っている。
「しかしほんと、なんなんだあのメイド」
前世も含め、人間(魔族を除く人族及び亜人種)の中で間違いなく最強。
最初は勇者と同じくらいかと見立てたが、今なら断言できる。フユの方が圧倒的に強い。
(おかげでぼくは未だこの屋敷を抜け出すことすら出来ていないわけだ)
夜の攻防を開始して間もなく一ヶ月。
おかげでけっこう成長できたが、しかしもうそろそろ潮時だ。
(とうとう今日があの日だから)
期日。デッドライン。
歴史の転換点——。
これより五年後に魔王の宣言下で世界人魔大戦は開戦するが、それまでに契機となる事件が三つ存在する。
その一つ目が今晩——魔王歴九十七年漆黒の月の深夜に起こる。
後に『亥国第一王女失踪事件』と呼ばれる王女誘拐事件である。あらましはこうだ——。
①ある朝、亥国の姫が城から忽然と姿を消す。
②亥国王は国を挙げて王女捜しをするも見つからず、それから五年後、無惨な死体で発見される。
③実は姫は姿を消した前日の夜に魔王軍によって拉致されていた。死体解剖によりそれが判明し、魔王軍側に突きつけるも相手は事実無根を主張。
④平行線をたどっていた両者の主張——しかしこの均衡を、とある魔王軍幹部が愚かにも「俺が王女を殺した」と公言し破られてしまう。
これにより以降、人間と魔王軍の関係は公然と激烈に悪化する。
(前世の通りなら、今夜亥国城で王女を誘拐する者が現れるはずだ。ぼくはそれをなんとしても防ぐ。成功すれば戦争自体が無くせるかもしれない)
その為にも今日こそは脱出を成功させねば。
「まあしかし、既に種はまいた」
そう、ぼくもただ無為にこの一ヶ月を過ごしてきたわけではない。既に仕掛けは打っている。
故に——、
明日は無理でも、きっと今夜だけはうまくいく。
※
夜——。
白いローブを纏い、フードを深く被る。護身用の剣を持ち、今日の為にこっそり揃えた身支度は完了だ。
「さあ、脱走の時間だ」
部屋の中央に静かに立つ。
普段ならここでドアか窓のどちらかに駆け、あっさり回り込まれ、別ルートに切り替え、やっぱり回り込まれ——を猿並に繰り返す。
——が、
「今夜は、ぼくも化けの皮を剥ぐ」
昼間、フユはこう言っていた。
成長は困難だが、今ある力を操ることは容易い——。
えてしてその通りだ。ただし一つ間違いがあるとすれば、
「ぼくにはそれが出来る」
仕掛け——それは一ヶ月をかけて植え付けた誤った先入観。
こちらの最大値を誤認させること。
ぼくはちゃんと成長しているし、その伸びた分をきちんと自分のものにも出来てる。
現在の生命E値は、この一ヶ月の攻防で既に300まで成長。高くはないが、やりようはある。
そして鍛えられた足腰により使用可能となった戦技が二つ。
①瞬歩:高速移動が出来る
②兎郭:高くジャンプが出来る
③天楼:虚空を蹴れる
"瞬歩"はともかく、"兎郭"と"天楼"はわりと生命エネルギーを使う。逃げ切った後のことも考えるなら今使えるのは一回ずつが限度か。
そして最後に——
(これが最も、彼女の意表を突くカードとなるだろう)
本来なら、世界指折りの猛者でしか扱えない技術。
最強の生命E"存在"のコントロールだ。
前世のぼくは存在操作のエキスパートだ。存在量を増やすのはかなり骨が折れるが、今ある分を操るのは実に容易だった。
(フユは感知に存在を使っている。存在は誰しもが必ず持つ生命Eであり、故にこの最高峰の感知法により感知出来ぬ者はまずいない)
ただし、一つだけ例外があるとすれば——
「相手が、存在操作ができる場合」
ズズズズ——。
次の瞬間、自分から放たれている存在を一時的に消失させる。
これによりフユの感知からも一時的にぼくは消え失せる。
これがゴング。
ぼくはせーので走り出す。
二択——ドアか、窓か。
「窓だ!」
後者を選択。瞬歩で一気に駆け、開く。
外の景色。そこにフユの姿は無い。
背後——ドアの向う側にフユの気配。
バン!!
ワンテンポ遅れてそれが開かれる。
(手遅れだ。絶対的信頼度の感知法——。故に目標を見失った時の動揺もまた絶大。加えてぼくは賭けに勝った)
窓に脚をかけ、外に身を乗り出し、ここで二枚目の切り札——。
(ここからは詰将棋——決まった順に決まった手札を切っていくだけ)
兎郭——!!
大きく跳躍し、屋敷の上空へ。
いつもなら開けることすら叶わない窓——その外側に、既にぼくはいる。
「これで最後——王手だ」
屋敷を見下ろすと、窓からこちらを見上げるフユが見えた。
彼女は、フッと、どこか嬉しそうでもあり、寂しそうでもある笑みを浮かべ、
『お気を付けて』
と唇で告げてお辞儀をする。
「……いってくる」
そうしてぼくは最後の手札を切った。
天楼——。
ぼくの身体は高速で中空を跳び、ひとり領土の外へと向かった。
これが、屋敷の夜間脱出の顛末だ。
なんだったら前世の世界征服より難しかった。