01:病弱なる令嬢
1.決意の章
01:病弱なる令嬢
「とても小さくて綺麗な手だ……」
目を覚ましたぼくは、目の前の自分の手を見て、そんな風に思った。
(ここは……)
どうやらベッドの上みたいだ。
(生きている……?)
しかしそんなはずはない。ラマツの剣は、確かにぼくの首を斬り落としていた。そうなればたとえ"聖女"でも蘇生はできない。
上体を起こす。
サテン生地のシーツから衣擦れの音が鳴る。悪くない寝具だ。部屋も広く、調度品もなかなかである。
「え、えぇ……っっ?!」
——とその時、何者かが半開きの扉から顔を覗かせ、こちらを見て驚きの声をあげた。
メイドのようだ。
しかも驚くことに人族である。
(……馬鹿な)
ぼくは混乱する。人族はもう絶滅しているはずだ。この手で滅ぼした。
「おい……」
声を掛ける前にメイドは走り去った。
そして大声で誰かを呼ぶ。
「誰か! 誰か来てください!! お嬢様が……お嬢様が目をぉおっっ——!!」
(……お嬢様?)
その声を契機に、なにやら凄まじい数の足音とどよめき声がこの部屋に集結してくるのが分かった。
バンっ!!
扉が開かれ、大量の人族が雪崩込んでくる。
「うわあっ! 本当です! お嬢様が目覚めてらっしゃいます!!」
「旦那さま! 奥様! お坊ちゃまたち! お早く!!」
メイドの山を押しのけ、四人の親子が駆け込んできた。両親は共に身なりが良く、息子二人も既に品格を備えている。
「ジェシカっ!? なんてことだ神よ! おお女神アグリアスよ!! まさかジェシカ、もう一度お前にこうして会えるなんて! ぅあああぁあ!! 父さんはもう死んでもいい!! いやダメだ! 我が娘を何度でも抱きしめねば! 今のは無しだ、共に長生きしよう!」
「ああ、なんてこと! 奇跡よ! 私たち夫婦の祈りが神に届いたのだわ! 奇跡の子よ!」
「良かった……ぐすん。お兄ちゃんは……うぅ、またお前に会えて、今猛烈に涙が止まらない!!」
「おねーちゃんだ! ねえ息してるよ! やった! やったあー!!」
彼らは四者四様に歓喜し、感涙し、感情のままにぼくに抱きついた。
どうやら彼らは"ジェシカ"の家族であるらしい。家族構成は父、母、兄、弟。
(いやしかし、ジェシカだと……? なぜこいつらはぼくをジェシカと呼ぶ?)
そこでようやく気が付いた。
自分が今、女性用就寝着を着ていることに。
しかもふっくらとした乳房が二つ——。
「なっ、んだとっ!?」
ワケのわからない状況に悪寒が走る。慌てて布団を剥ぎ取り、今度は股間を調べた。
「ない!? ないぞ!!!! ぼくのヘルナンデスがああぁっっ!!!」
なんども手でまさぐり、叩き、挙句に顔を覗かせてまで確認したが、やはりそこにはなにも無い。
「なんでだ……」
唖然とする。そんなぼくを見て一同も同様に唖然とする。
「ヘルナンデス……とは……??」
「おねーちゃん開脚してるー! あはははしたなーい」
目を真っ赤に腫らして感涙も覚め遣らぬ様子の弟が、無邪気に笑っている。
「……女?」
そう——。
そういうことなのだ。
「ぼくが……ジェシカか……」
「そうだよ、我が最愛の娘ジェシカ!」
「どうやら記憶が混濁しているようだわ。無理もありません、産まれてから寝たきりで闘病し、とうとう今朝、心臓が止まってしまって……——あぁっ!!」
「母上!」
辛いことを思い出し泣き崩れる母親を支える男たち。
(なるほどな)
どうやらぼくは転生したのだ。それで女になってしまった。
このジェシカは体型から推定するに七歳ほどか? それなりの家柄である。そして今朝方死亡し、空になったこのジェシカの肉体にちょうどぼくの"中身"が収まった——そんなとこか。
あまりにスーパーナチュラルだが、そう考えるのが一番自然だ。
ただし疑問が。目の前の人族たちの存在のことだ。
なぜ人族がまだ生きている?
絶滅した——否、させたはずなのに。
(ひょっとすると、ここはぼくの生きたあの世界ではないのか?)
「ここはいったいどこだ?」
「ジェシカ——いや、ジュジュ(ジェシカの愛称)。なにも心配はいらないよ。ここは大陸南西部にあるイルシーズ王国のアルフォード領だ。お前の生まれ育ったアルフォードの屋敷だ」
「イルシーズ? ここがイルシーズ王国だと?」
「ああそうだ。偉大なる天下無敵のイルシーズ王国だ」
「…………」
目の前の男が口にしたその王国は、ぼくが前にいた世界(便宜上以降は"前世"と呼称する)にも存在する。人族の一大王国で、人魔大戦においても人類側の中心勢力を担った国だ。
(しかし前世では最終的にぼくが滅ぼした。同名の国が未だ存続しているならば、前世と同じ世界であると考えても良さそうだが……。それともただの偶然の一致で、やはり異世界なのか?)
いや……、そうか……。
ふと全ての辻褄が通る可能性に考えいたる。
「おい、今は何年だ?」
父は答える。
「レイエス紀9年だ」
————っ!!!
「やはり……!」
「どうしたんだい?」
「……ここは、」
ここは過去だ。
ぼくが死んだのはアリス紀2年であり、このレイエス9年はその10年前なのだ。
(十年前の人族の地方領主の娘にぼくは転生したというのか)
バンっ!!
——と、その時突然部屋の扉が勢いよく開かれた。そこから一人の司教服を着た医療者が駆け込んでくる。
「ほ、ほんとうだ……本当に生き返っている……!?」
彼はぼくの主治医であるとのこと。どうやら蘇生の連絡を受け、すっ飛んできたらしい。
「よ、容態を診ても?」
「はい、お願いします先生!」
震えながらぼくに手をかざす医者と、それを息をのんで見守る家族。
医者は何らかの魔法を使用し、ぼくの体内の調子を調べている。——いや、彼は人族だから、使っているのは"魔法"ではなく"神秘"か。
「こ、これは……!?」
「先生! 娘は! 娘はどうなんですか!?」
医者は家族に振り向き、ガクガクと震えながら答える。
「じ、時間が巻き戻っているかのようだ……!」
「は?」
「い、今、彼女の身体はもの凄い速度で人体組織の再生を行なっている! まるで奇跡だ! グチョグチョと、メキメキと、ありとあらゆる細胞、臓器、液体がどんどん健常な状態に復元されていっています!!!」
「な、なんと!?」
「人間離れした再生能力! さながら魔族……いえ、神と言っておきましょう! 彼女は神からの祝福を受けているに違いない! だって不治の病たる"嫉妬の魔女、ガルグユの呪詛"から生還したのだから!! とんでもないことだ!」
なんかよく分からないが大ごとになっている。
しかし今こいつガルグユって言ったか? ガルグユってあのガルグユか? 魔大陸の西方ジュラスの森に住まう通称一万の女。
弱すぎて本業で食っていけない故に今や娼館の経営者となっており、本人も一万ギルで本番まで可だとかいう……。
えー?? この身体の死因って、あんな女の呪いなのか?
魔族界隈ではまるで通用せず廃業寸前の呪詛士だぞ。人族ではあんな奴の呪いが不治の病となるというのか?
いろいろ衝撃である。
「聞きましたかあなた! やはりウチの娘は特別な子なんですよ! きっとアグリアス神の生まれ変わりですわ!」
「うむ! うむ!! 奇跡の子だ! 我が娘は神の娘だ!!」
「ガルグユの呪詛をものともしない。さしずめ"ガルグユキラー"ですね父上!」
「おねーちゃんガルグユキラーなの!? すげーかっこいー!!」
驚愕する医者と、歓喜し舞い上がる家族。
ていうかガルグユキラーとか恥ずかしすぎるからほんと勘弁して欲しい。
「うーん……」
少し眠たくなってきた。
疲れているのだろうか。
いざ仕方ない。だって何を隠そうぼくは殺されたばかりなのだ。
※
それからは、浅い眠りと目覚めを何度か繰り返した。
次に目覚めた時には、黒髪の美しい少年がこちらの顔を覗き込んでいた。その脇にはメイド服を着た少女もいる。
「ジュジュが目を開けた!! 祈りが通じたのかなっ?? わーい、今日も会いに来たよ? 病気よくなってきてるんでしょ? すごいねジュジュ!! じゃああそぼっ! 剣士ごっこしよーよ! ボクが教えてあげるから!」
「いけません、アリア——いえ、ソード様。お嬢様はまだ本調子ではないのですよ」
「えーっ! ケチ! 早くジュジュと遊びたいよおー!!」
「いい加減黙らないと殺——いえ、しばきますよ」
ソードと呼ばれたその少年——彼の面影にはどこか見覚えがある。
具体的には思い出せないが。
もともとぼくは物覚えが非常に悪い。人の顔や名前もなかなか覚えられない。覚えたとしてもすぐに忘れる。いつもそういうのは、あの副官が代わりにやってくれていた。
ぼくの盾として、ラマツに真っ二つにされた彼女。
本当に申し訳ないことをした。
ぼくはただ、殺すだけ。それしか出来ない。
それがぼくの唯一出来ることであり、長所であり、そして役割だった。
なんて虚しい——。
ジェシカはいいな。
皆に愛されている。
目覚める度に誰かが枕元にいて、彼女の無事を心から喜んでいる。
父親も、奇跡だと涙乍らに歓喜していた。
精神を支配し、無理矢理人殺しの道具にした挙句、用が済んだらさっさと始末しやがったぼくの父親とは大違いだ。
雲泥の差——。
羨ましい。そしてとても美しい。
ぼくはこんな世界を壊してしまったのだ——。
(そうだ……)
ぼくは夢の中で気がつく。
(ここは過去だ。ならばあの戦争がまだ起きる前のはず——)
だったら、あの結末を変えられるのではないか?
そうだ。
なれば——
(守ろう。今度は)
この世界を。人を。そしてこの家族を。
魔族から。
この身体の持ち主であるジェシカの為にも。
それがぼくのせめてもの償いだ。
決意——。
斯くして、ぼくのやり直しがはじまった。