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死にたがり姫と傲慢王子  作者: やまなし
二章 道化王子と灰かぶり
7/23

7話 二人目

 幼い頃、父に手を引かれて連れて行かれた近所の小さな交流会が、サラの記憶にある限りもっとも華やかな風景だった。

 義母と再婚してから父は義母と連れ立って外出することが増えた。サラが社交界へ出るのを待たずに亡くなり、それ以降はあの通りの生活だ。

 だから、困る。

 突然誰にもリードされず、この国でもっとも豪奢な場にたった一人で放り出されてもどうすればいいのかわからない。

 ガラスの靴はサラを勝手に会場まで連れて行った。一人で靴に話しかけるわけにはいかず、なんでもない顔を繕いながら白い階段を上っていく。

 月明りに照らされた、美しい庭園が広がっていた。

 アーチ状に連なる薔薇の道、星屑のように輝く噴水、どこからともなく流れるヴァイオリンとピアノの音色。華やかに着飾った貴婦人たちの他愛のないお喋り。

 見上げるばかりの城は豪華絢爛だ。一面が白い煉瓦造りで、青く塗装された屋根すら凝った彫刻が施されている。すべての窓が橙色に灯り、活気あふれる人々の声が聞こえてくるようだった。


「おひとりですか? お嬢さん」


 突然、正装した男性に声をかけられた。サラは慌てて「すみません」と逃げるように背を向ける。

 ここは華やかすぎる。

 明日になればまた惨めな毎日に逆戻りだというのに。

 せめて人気のない方へと、サラは薄暗い庭へ迷い込んだ。ガラスの靴はもうサラを誘導しようとはせず、軽やかな靴音が石畳を響かせる。

 ここには美しいものしかない、とため息をつく。毎日誰かが枝を剪定し、水を遣り、噴水を磨いているのだろう。時間に追われておざなりに整えただけの自分の庭を思い出し、遣り切れない気分になる。

 暗がりに座り込み、サラは白いレースの手袋をそっと外した。あかぎれた指先はやはり傷ついたまま、現実を教えてくれる。


「こんな格好が似あうわけないじゃない」


 引き抜くようにもう片方も外し、イヤリングを引っ張る。これって売ったらどの程度になるのかな。浅ましい考えが過り、自己嫌悪すると同時に今すぐ戻ってこれを質に入れる算段をはじめる。


「……ああもう!」


 泥沼に陥る思考を振り払い、勢いよく立ち上がる。

 そのとき、がつん、と何かに衝突した。


「いっ……」

「きゃっ」


 か細い悲鳴と、何かが倒れ込む音がする。誰かにぶつかった? この可憐な声は、まさかやんごとなき身分のご令嬢だろうか。

 サッと血の気がひく。


「申し訳ありません! お怪我は……っ」


 どうしてこんなに人気のない場所で人にぶつかるんだ、と疑問に思いながらも慌てて振り向き、サラは息を呑んだ。

 青白い月明りの下で艶めく、黒檀の髪。白雪のような透明な肌。大きく丸い瞳を長い睫毛が縁取り、ふっくらと赤い唇はみずみずしい花弁のようだ。

 首元まで覆うドレスは華奢な身体を繊細に縁取っていて、花を散らしたような大胆な刺繍が施されている。深いネイビーのサテン生地。色味が落ち着いているから印象が派手すぎず、けれど彼女の華やかな容姿に飲まれることなく絶妙なバランスの造形美を放っている。


「す、すみません、わたしの方こそ……その、ご気分が悪いのかと」


 鈴の鳴るような声で言い、少女はゆらりと立ち上がった。絵画から抜け出してきたようなその姿に呆気に取られていたサラは、ハッとして頭を下げる。


「こちらこそ不注意でした。本当に申しわけ……あ、れ?」


 身体が軽い。視線を下げてもドレスの裾が揺れていない。

 慌てて自分の身体に触れ、状況を確認する。薄っぺらい襤褸と汚れたエプロン。かかとの削れた革の靴。乱れた髪――うそ、なんで。


「あ、あら? ドレスが……」


 目の前の少女も異変に気づいたようだった。けれどサラはそれどころではなかった。

 今すぐに逃げなくては。

 魔法が解けた原因は二の次だ。場違いにも程がある。少なくともこの麗しい少女の傍に立って許される姿ではない。頭の中はそんなことでいっぱいで、混乱していた。


「知りませんごめんなさい悪気はないんです! 今すぐに退散しますので、あの、お目汚し失礼しました!」

「待って!」


 駆け出すよりも先に少女に腕を掴まれ、そのやわらかな感覚に慄く。庭仕事も水仕事も知らないご令嬢の手だ。やっぱり世界が違う。


「お願い離してください、私はここにいちゃいけないんです!」

「いえ、多分わたしの所為なんです、どうか落ち着いてください」

「本来ならあなたとは口も利けない身分の者なんです……!」


 噛み合わない問答の末、サラはなんとかやんわり少女の手を解かせることに成功した。今すぐに走って逃げよう。こんなの事情を知らない関係者に見つかったらつまみ出されるに決まっている。

 もし義母たちにも見つかったら。

 考えただけで血の気が失せた。


「――ノーラ!」


 険しい声が響いたのはそのときだった。声色はまだ若い少年のものだったが、思わずサラまで佇まいを直してしまうほど堂に入った叱咤の声だ。


「アル!」

「お前はまたふらふらとこんなところにまで……! 兄上はどうした、今夜のパートナーだろう!」

「レオンお兄様はどこかに行ってしまわれたわ。それよりアル、今ね」


 ノーラと呼ばれた少女がサラを気にしている素振りを見せたのと、居たたまれなさで俯いていたサラが顔を上げたのと、合流した少年の目が合ったのは同じタイミングだ。

 電撃が奔ったみたいだった。サラよりいくつか年下だろうか、背丈もそう変わらない少年が、一目合った瞬間にサラを敵視したのが痛いほど伝わった。

 ぞっとするほどの美少年だ。輝くようなブロンドに線の細い整った面立ち、意志の強いエメラルドの双眸。少女と並んで遜色ないほどの美貌。

 纏っているのは金糸を施した豪奢な正装で、相当な身分の相手だと伺える。


「城の者ではないな。ここで何をしていた」


 硬質な声がサラを詰問する。彼はノーラを背に庇うように引き寄せると、今度こそはっきりと敵意を露にした。

 きっとこの少女が噂の白雪姫なんだろうと何となく察する。ならば彼は王族ゆかりの者だ。


「何を、と言われても」

「待って、違うのアル。この方は舞踏会にいらしたのよ。わたしの所為で」

「お前は黙っていろ。こんな格好で門番が城に通すわけないだろう」


 違いない。見てくれは大事だ、現にドレスを纏ったサラには見ず知らずの男だって声を掛けて来た。

 この姿に戻った途端にこれだ。


「ドレスを着ていたの! わたしの所為でこんなことになってしまったのよ」

「嘘をつけ。お前のお人好しに騙されるか」

「本当なの! この方は魔法でドレスを纏っていたのよ」

「……それは本当か?」


 少年は真っすぐにサラを見ていた。少女ではなくサラに事実を確認している。

 答えられなかった。


「ほら見ろ。おい、その女を捕らえろ」


 アルと呼ばれた少年が顎をしゃくると、暗がりに控えていたらしい兵がサラの背後を塞いだ。途端にノーラが喚き出す。


「違うって言ってるのに! 乱暴なことしないで、話を聞いて」

「話ならこれからゆっくり聞く。お前を狙う輩だったらどうするつもりなんだ。だいたいこのタイミングで部外者を城に招き入れるなんて、最初から反対していたんだ」

「だから……もう、アルの馬鹿! わからずや!」


 ノーラがアルの身体を押し返し、サラに駆け寄った。見かけによらず無鉄砲なところがあるらしい。兵も彼女に歯向かうことができないのか、アルの指示を窺うように視線を投げている。


「おいノーラ!」

「痴話げんかはあとにしろ、今のは全面的にお前が悪いぞ、アル」


 もう一人、違う男の声がした。また登場人物が増えたらしい。反射的に視線を反らし、拳を握って唇を噛む。

 サラだって年頃の婦女子のはしくれだ、着飾った社交界で惨めな姿を晒す度に自尊心は傷つく。


「レオン兄さん!」

「お兄さま」


 痴話げんかじゃありません、とアルの大真面目な声が答えるのをぼんやりと聞く。もはやサラは新しい闖入者を視界に入れないように俯くしかなかった。どうせまた煌びやかな美男子のご登場なんだろう、兄と呼んでいたし。


「大体こいつをほったらかしてどこに消えていたんですかあなたは、パートナーじゃないんですか! 見損ないましたよ」

「ノーラはアルと踊りたがってるんだから、お前がついててやれば良かったんだよ。俺は俺でやることがあるって最初に断ったと思うけど」

「それが難しいから兄上にお願いしたんじゃないですか……!」


 アルの怒りのボルテージが上がっていくのがよくわかる。レオンと呼ばれた男は無責任なのかマイペースなのか、ノーラの監督役はアルだろ、と淡々とした声色で言った。

 なんでもいいけど私の存在って空気なのかしら。

 そう思った途端に冷静さを取り戻すことができた。これって家とあんまり変わらないかも。


「あの、申し訳ないんですけど帰ってもいいですか? 本当に怪しい者じゃないんです。変な魔女に魔法でここに連れて来られて、魔法のドレスが急に消えただけなんです。早く帰って夜食を仕込まないといけないので」


 自分でも驚くほどすらすらと舌が回った。同じなら関係ないじゃないか。

 別に危害を加えようとしたわけじゃない。身ぐるみを剥いで潔白を確認すればいい。

 けれど状況はおかしな方向に傾いた。

 顔を上げれば、三者三葉の視線がサラに注がれている。驚き、戸惑い、――好奇。

 なんだこいつは、と反射的に身を固くする。

 最後の闖入者は明らかに年長で、アルよりも頭一つ分飛びぬけて背が高かった。恐らくアルと同様に豪奢であっただろう正装を着崩し、ひょろりと長い腕を腰に当ててゆったりと微笑んでいる。肩に触れる長さの髪はやわらかな栗毛で、弟と同じ色素の瞳は、それが同一であると思えないほど穏やかに凪いでいる。

 あまりに麗しい二人の隣に立つと引けを取るが、十分に整った面立ちだ。どこか締まらないのは佇まいだとか表情だとか、そういう要素の所為だろう。

 この男だけが、サラを奇妙な好奇の目で見ていた。


「あの……」

「今の聞いた? 魔女だって。面白い出会いだね、詳しく聞かせてよ」

「いえ、できたら帰して欲しいんですけど」

「できません」


 きっぱりと告げたのは生真面目な弟の方だった。


「先ほどは無礼な態度を取りました。魔法のドレスなら彼女との接触で解けても不思議じゃない。どうかお許しください」


 打って変わった真摯な謝罪だ。表情は険しいままだったが、性根は素直な気質らしい。


「最初からそう言ってるのに」

「お前はむくれる前に日頃の行いを反省しろ」


 厳しい反撃を受け、ノーラが舌を出してそっぽを向く。随分と仲がいいようだ。


「よくわからないんですけど、誤解は解けましたか? 帰っていいですか?」

「残念だけど無理だね。ノーラ、この方にお詫びのドレスが必要だ。俺の部屋に連れて行ってくれる?」

「え?」

「ええ、喜んで」


 少女にがっちりと両手を包まれる。背後には兵士。前面には高貴な身分の男たち。

 ドレスなんて建前だ。サラは自分の発言が、彼らにとって看過できないものであることを察していた。

 魔女だ。

 どこにも逃げ道はなさそうだった。




 金箔を塗った額に飾られた絵画。踏み込む度に身体が沈む赤い絨毯。完璧に磨かれた窓に、なめらかなベルベットのカーテン。

 廊下の照明すらちょっとしたシャンデリアだ。

 目眩がするほど豪奢な王城。感嘆を通り越した畏怖すら湧いてくる、贅の限りを尽くした国の心臓だ。

 この城を我が物顔で歩くということは、彼らはこの国の王子であるに違いない。


「レオン王子! 会場にお戻りください、あなたがいらっしゃらなくては話になりません」


 廊下の先で小柄な男性が慌てたようにレオンに駆け寄ってきた。彼はサラの存在に目敏く気づき、不審げに肩眉を吊り上げた。

 ええそうでしょうね、お気持ちは察します、と俯くことしかできない。


「別に俺が主役ってわけじゃないでしょ。王子役が必要ならフィリップ兄さんでも叩き起こしてくればいい。レジナルドやライナスを城に留められないのはあんたたちの責任だし」

「無責任な……! 国王がお嘆きになります」


 一秒でも早く帰りたいのにこんな場所で無駄に時間を食うわけにはいかない。内輪もめならサラが帰ってからにして欲しい。


「急を要するんだ、少し時間をくれ。僕もすぐに会場に戻る」

「……承知いたしました。お早いお戻りをお待ちしております」


 アルの一声で男は大人しく引き下がった。足早に進みながら、まったく、とアルが溜息をつく。


「使用人にあんな舐めた態度を取らせてどうするんですか。日頃から威厳ある態度で接してくださいよ」

「それは無理なお願いだな」

「あの……」


 この広い城のどこまで連行されるのか、考えただけで焦り始めたサラは、思い切って声を上げた。


「一秒でも早く家に帰していただきたいんですが、魔女の話をご所望でしょうか?」


 この一件が義母たちに知られる最悪の展開だけは回避したい。王子たちと接触したなんて知られたら、今度こそ五体満足ではいられないかもしれない。


「随分家が好きなんだね。それとも家の人に黙って出て来ちゃったの?」

「ですから、魔女に無理矢理連れて来られたんです。家の仕事の途中だったのに」


 前を歩くレオンの背に必死に主張する。すれ違った侍女が足を止め、王子たちに恭しく頭を垂れた。

 この人たちと並んで歩くことすら苦痛だ。


「名前と身分は?」

「……サラ・マクリア。父は男爵でしたが十年前に亡くなりました」

「だから家の仕事をしているのか。立派だな」


 本心から労われているのか、上っ面の言葉だけなのか判断に迷う。表情が見えないのも大きかったが、どうにも物言いが軽薄に思える。


「あんたに接触した魔女の特徴を教えてくれる?」

「はあ……ええと、黒いローブを被っていたんですけど、ふくよかな初老の女性で、髪は白くて、とにかく明るいというか、強引な感じの」

「そうか。じゃあ十中八九、南の魔女だな」


 彼には思い当たる節があったらしい。南の魔女、とサラは繰り返した。


「お母さま以外にも魔女がいるのね」

「そりゃいるさ。だから警戒してるんだ、魔女には魔女の繋がりがあるから」

「東の魔女と通じている可能性が?」


 アルの問いかけにレオンは肩を竦める。


「調べないことにはなんとも。南の魔女は長い間眠っていたはずだ。東の魔女に叩き起こされたか、別の力が働いたか……」

「なぜ彼女に接触して、舞踏会へ連れ出したんでしょう」

「南の魔女は何か言っていた?」


 考え込むアルに変わってレオンがサラを振り返る。会話の半分も理解できずにいたが、サラは記憶を反芻した。


「なんだっけ、どうして舞踏会に行かないの、夢がないわね、もっと貪欲になりなさい……あと、王子と一曲踊りなさいとか」


 レオンが声を上げて笑った。あの魔女らしい、と続ける。


「あの魔女をご存じなんですか。あの人、初対面なのに私の名前を知っていました。理由を聞いても何も教えてくれなくて、勝手に魔法で全部用意して、強引に馬車に押し込まれて」

「名前を知っていた? なら情報源は東の魔女以外にあり得ない。南の魔女は王家に借りがあるからな、気を利かせたつもりなんだろう」


 ふいにレオンが足を止め、サラに向き直った。食えない笑顔。


「君は二人目の『容れ物』候補だ」

「……二人目?」


 驚きの声を上げたのはサラではなく、美しい金髪の弟の方だった。

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