3話 兆し
「魔女の城が崩壊した?」
「僕たちが森に出てすぐに。柱の一本も残らず崩れ去りました」
仰々しい玉座の、金箔で固められた装飾が太陽を反射して光り輝いている。
悠然と腰掛けるのは、見事な白髪を垂らしたこの国の王ダーウィトだ。隣では美しい黒髪を結い上げた第二婦人がにこやかにアルフレッドを見つめている。
二人の前に正装で立ち、アルフレッドは淡々と告げた。
「東の魔女の居場所を突き止めたと思っていましたが、王家に接触するために、あえて尻尾を出した可能性も考えられるかと」
囚われた少女たちを連れて森へ引き返したアルフレッドたちは、崩壊していく城の一部始終を目の当たりにした。地鳴りで倒壊し、原形を留めぬまでに粉々に破壊された。森の地盤は揺れていなかった。
あれは東の魔女の力だ。
「……困ったものだ」
「ですのでもう一度徹底的に東の魔女の所在を洗います」
「頑張るのねえ、アルフレッド。まだお若いのだから、お兄様達に助けを仰いでも良いのではなくて?」
菫色の目を細め、婦人は赤子をあやすような声色を作るが、アルフレッドは取り合わない。
「兄上が公務でお忙しいのは陛下もよくご存知でしょう」
「アグネス、やめてやれ。この子なら立派にやり遂げるさ」
夫人は口元に笑みを湛えたまま口を噤んだ。ダーウィトがアルフレッドに肩入れするのが面白くないんだろう、当然だ。呑気なのは父王くらいのものだ。
彼女の息子はアルフレッドより十七も年上で、けれど王位継承権はアルフレッドよりも下位だ。
富と名誉を求めているのは、魔女だけではない。
「つきましては、騒動が収まるまで彼女を僕の元で保護します」
強引に話を戻し、アルフレッドは従者を促す。頷いた兵士の合図で、重たい扉が厳かに開く。
ひそやかな靴音を響かせて、小柄な少女が王の間に足を踏み入れた。
さざめきのようなため息が連鎖した。本来であれば発声はご法度の兵士たちですら、それを忘れて彼女に見入っている。
艶やかな黒檀の髪を背に流し、雪のような白い肌に薔薇色の頬をした、可憐な少女。
伏せられた睫毛が頬に影を落とし、形の良い唇は花弁のようにふっくらと色づいている。纏うドレスが飾り気のない簡素なものだったから、余計に元来の華やかさが際立っていた。
「……あのう」
その場にいる全員の強烈な視線を感じたのか、エレアノーラは所在なく視線をさ迷わせる。その先に立つアルフレッドを認めると、パッと表情を明るくした。
「アル!」
「……黙ってこちらへ」
厳粛に対応しろと何度も所作を教えたはずが、アルフレッドは苦虫を噛み潰して父王へと向き直る。
「父上、彼女が――」
「お、おお……」
アルフレッドを遮り、ダーウィトが感嘆する。玉座から腰を浮かせてまでエレアノーラを食い入るように見つめ、そうしてアルフレッドを見た。
「なんと美しい……一体どこで彼女を見つけて来たのだ。どこの国の姫だ? 挙式はいつにする? それとも私の第五婦人になるか?」
「あなたッ」
「あんた本当にそのうち刺されて死にますよ」
第二婦人アグネスの叱咤とアルフレッドの侮蔑に、ダーウィトはわざとらしく肩を落とした。
「冗談の通じん奴らめ」
「黙って最後までお聞きください。彼女はエレアノーラ」
エレアノーラはにっこりと微笑み、ドレスをつまんで恭しく頭を垂れた。付け焼刃の作法だったが、堂に入っていて美しい。素養はないが、素質がないわけではないようだ。
「東の魔女の娘です」
ダーウィトが息を呑む気配がした。アグネスも押し黙り、周囲に控えていた兵たちも狼狽する。
アルフレッドは臆することなく父王を見据えた。
「ですが、彼女は魔女の思想を持ちません。牢に鎖で繋がれ、長い間幽閉されていました」
怖れと好奇、同情の入り混じったいくつもの視線がエレアノーラに注がれる。
アルフレッドはあらかたの事情を説明した。彼女が東の魔女の容れ物候補として、恐らく強力な魔力を持っていること。ろくな教育を受けず特殊な環境で育ったこと。
「……ですので東の魔女を捕らえるまでの間、彼女は僕の監視下に置いて魔力の制御と一般教養を身に着けさせます」
「本当に彼女に東の魔女のような危険思想がないと断言できるのか?」
ダーウィトの懸念にアルフレッドは怯まなかった。
「現時点では。兆候が表れた際は僕が責任を持って対処します」
アルフレッドにはそれができる。他の誰よりも的確に、情を交えずに、最悪の場合はエレアノーラの命を奪うことも躊躇わない。
揺るぎのない自信があった。
「そうね……若くて美しいお嬢さんだもの。危険思想を持つ『かもしれない』で首を刎ねるなんて、あまりに酷だわ。ずっと不自由だったのでしょう? 彼女にも幸せになる権利があるはずよ」
アグネスが憐憫の眼差しを向ける。エレアノーラは微笑みを崩さず、ドレスの裾をつまんで一礼した。
「首を刎ねていただけるのなら、わたしはそれが一番だと思います」
再び場に沈黙が満ちた。可憐な娘が、息をするような態度で放つ言葉にしてはあまりに血生臭かったからだ。
だから黙っていろと言ったのに、とアルフレッドは溜息をついたが、人々の意識がエレアノーラにより同情的になったのを察し、話が早いと思考を切り替える。
「この通り彼女は東の魔女が代替わりをする前に、器である自分が消えるべきだと考えています。危険思想はないと判断します。そして東の魔女が次の器に選ぶほどの潜在能力を持っている」
うまく導けば王家にとっても価値のある存在になる。断言するアルフレッドに、ダーウィトは悩ましい様子で唸った。
「万が一を考えると危険と隣り合わせだが……この城に置いておくのがなによりも安全か」
もしもエレアノーラがその力で反旗を翻したら。東の魔女ひとりに手を焼いている王家が、それ以上の力を持つかもしれない相手に立ち向かえるのか。寝首を掛かれれば国の中枢は崩壊する。
疑心暗鬼になって若い命を摘むことは簡単だ。けれどアルフレッドは、その簡単な道を選ぼうとは思わなかった。
「そうね。けれど、せっかく自由の身になれたのに、またお城に閉じ込めるのは可哀想だわ。器量もよさそうだし、養子を望まれる方は多いでしょう。城の外でも守ってあげることはできるのだし、新しい家族を見つけてさしあげたら?」
アグネスの提案を、「いいえ」とアルフレッドは言下に否定した。
「東の魔女は必ずエレアノーラに接触しようとします。彼女の身の安全を考慮した上で、彼女自身にも魔女の捕縛に協力してもらうのならば悠長な家族ごっこなどしていられません。……なにより、人前に出せるだけの一般教養と常識の欠如は著しい。貴族令嬢の振る舞いなどとうてい無理です」
エレアノーラはアルフレッドの隣でただにこにこと微笑んでいる。半分も意味を理解していないに違いない。きっと興味もないのだろう。
彼女の中に、自分の未来という概念はないのだから。
生まれてから今まで狭い牢の中で育ったエレアノーラには、何もかもが足りていない。
「まあ、いいだろう。彼女の処遇はお前に一任しよう。ただし報告は怠るな」
ダーウィトの意思は決定したようだ。言質が取れればこちらのものだ。
「異変があれば必ずお伝えします」
「それとアルフレッド。東の魔女を脅かすほどの魔力を持つというのは、どれほどのものだ」
気になるはずだ。この爆弾娘が女神となるか悪魔となるか、それは誰にもわからない。
「彼女の自称ですので確認はできていません。こちらも近日中には」
「……そうか、任せたぞ。もう下がってよい」
アルフレッドは頭を垂れ、エレアノーラを促してその場を辞する。
数人の従者を連れて渡り廊下に出て、外の風を感じたところで、ようやく肩の力が抜けた。知らず疲れたように息を吐く。
「こいつの教育か……」
「アル、もう喋ってもいい?」
エレアノーラは一体この状況をどう受け止めているのか、理解する気がないのか、楽しいのか嬉しいのか、この城にやってきてからずっとふわふわふらふら、走ったりスキップしたり転びかけたり、とにかく忙しい。
「わかってるのか、ここでも軟禁生活が続くんだぞ。なんでそんなに楽しそうなんだ」
「アルのお父さま、あなたと目元がすごくそっくりだったわ。綺麗な森の色」
目元を和ませて微笑むエレアノーラが、アルフレッドの目を覗き込んでくる。興味、好意、喜び。子どもみたいに真っすぐな眼差し。
「……妙齢の淑女がそうやって簡単に距離を縮めるなと言っただろう!」
「アル、土!」
もはやアルフレッドの言葉は届いてすらいなかった。渡り廊下に差し掛かり、中庭に出た途端、エレアノーラは花壇に駆け寄り、ドレスの裾が汚れるのも構わずに手のひらに土を掬い上げる。
「その服で不用意にしゃがむな、汚すな! シルクだぞ!」
「ふふ、土っていい匂いね。水と、お日様と、いろんなものが混じってる。いつも窓から届いてた森の匂いと同じ」
土の塊に鼻先を近づけて満足そうに微笑む少女を見下ろし、アルフレッドはもう何度目かも知れぬ溜息をついた。真っ白な頬に土をつけて、上質なシルクを汚して花壇に手を突っ込む方は、どう見たって幼い子どもと同じだ。
同じなのだ。
誰も教えなかった。
何も与えなかった。
だから簡単に命を手放そうとした。何も持っていないから、失うものがないから、手放すことも惜しくなかった。
「エレアノーラ」
膝をついて視線を合わせ、頬についた土を払ってやりながら、アルフレッドは問うた。
「……僕は自分の命を自分で手放そうとする奴が大嫌いだ」
「アル?」
エレアノーラがじっと目を合わせてくる。次に放たれる言葉を待っている。
「だから生きる意味を見つけろ。ここで僕の傍にいる限り、二度と死に救いを求めないと誓え」
傲慢な言葉だ。実感しながらも撤回する気はなかった。言葉の通り、アルフレッドは簡単に命を捨てようとする人間が大嫌いだった。
「わたしを嫌いにならないため?」
やさしいのねとエレアノーラは呟いた。妙な部分だけが妙に達観している。憂いた横顔は、決して幼い子どもには見えなかった。
「どうしてアルはそんなに親切にしてくれるの?」
「義務だからな。やりたくないことをやらずにいるために面倒事に巻き込まれた」
「そのためにすごく頑張るのね。あなたみたいな人、誠実っていうんでしょ」
「誠実? 僕が?」
アルフレッドは鼻で笑った。エレアノーラを愚かだとすら思った。
「お前を切り殺すかもしれない男だぞ。同情が欲しいなら他の誰かにすり寄ってくれ」
「ううん。わたしはアルがいい」
土に汚れた小さな手が、血豆で赤くなったアルフレッドの手を握った。エレアノーラの手はひんやりと冷たい。
「あなたに見つけてもらえて良かった。頑張って生きる意味、探してみる」
「……そうしてくれ」
エレアノーラの手を払って立ち上がる。置いていくぞと声をかければ、エレアノーラも土を戻して大人しくアルフレッドの後を追った。