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呪眼(別に呪われていない)のせいで迫害される乙女ゲーの悪役令嬢に転生したので、中二病患者を演じる転生者のお話

作者: チェレステ

 二度目の人生で初めて鏡を見た瞬間、私はこの先で待ち受けている運命を悟った。

 私の目は普通じゃない。白目の部分が黒く、瞳は赤い。周囲から「呪眼の子」と呼ばれ、恐れられるのも仕方ないと思った。

 一度目の人生でプレイした乙女ゲーに、リイン・サンダルシアという悪役令嬢が登場した。性格以外、何もかもが今の私と同じだった。

 そう、私はリイン・サンダルシアに転生してしまったのだ。

 リインは悲劇の悪役令嬢だ。幼い頃から「呪眼」で不気味がられ、いつも疎まれていた。唯一味方してくれた両親も、リインの呪眼を治療する方法を探す道中、事故で帰らぬ人となった。皮肉なことに、その事故によって、リインの「呪眼」が真実味を帯びた。

 リインは一度だけ婚約を結んだが、それが逆にリインの心を深く傷つけた。サンダルシア家は、リインの婚約相手に多額の祝金を渡すことを約束していた。婚約は建前で、厄介払いが本音だったのは言うまでもないだろう。

 当然、婚約相手の家でも腫れ物のような扱いは変わらなかった。リインの婚約者は、初めから金とサンダルシア家の繋がりが目当てなのだから。

 こうしてリインは人生に絶望し、世界に復讐を誓う一人の悪役令嬢が生まれた。

 だけど私は、悪役令嬢なんてなりたくないし、人生に絶望したくもない。両親だって生存している。

 なら、どうすればいいのか。私は考えて、考えて、ある結論に行き着いた。


「──まずは祝福を。夜天に散らばる星の導きの末、ボクたちは出会えた。今更必要ないかもしれないが、礼儀として名乗らせてもらおう。ボクの名はリイン…… リイン・サンダルシア。君は?」

「え? あっはい……」


 壁に背を預け、腕を組み、遠くを見ながら言う。

 婚約者候補の男は呆然としている。私が何を言っているのか理解できないのだろう。


「フフ…… 緊張しているのかい? それとも、ボクのこの眼が気になるのかな? 未知に恐怖を覚えるのは、何も恥ずべきことじゃない。時間ならあるんだ。ボクのことならゆっくり識ればいい」

「あのすみません、この話は無かったことに……」


 婚約者候補の男が去るのを見送る。

 これで何度目だろうか。十より先は数えていない。


「リイン…… またなのか……」


 今回の縁談をセッティングした父上が、また呆れた顔をしている。


「残念だよ。彼もこの眼の呪力に抗えなかった。だけど、これで良かったのかもしれない。無理をさせて、彼を悪戯に傷つけてしまうよりはずっと良い」


 呪眼と呼ばれている…… というか自称しているんだけど、この眼に呪力なんて宿っていない。そもそも世界観的に、そんなファンタジーな力は存在しない。

 婚約者候補の彼が逃げたのは、ただ単に私のキャラにドン引きしたからだと思うけど、それを口に出す必要はないだろう。


「リイン…… 厳しいことを言うが、問題があるのはお前の性格じゃないか? お前も年頃の娘なのだから、いい加減その男みたいな口調を直したらどうだ。あと、その大袈裟な言い回しと、微妙な上から目線をやめろ。相手を困惑させるだけだ」

「フフ、手厳しいね」


 一分の隙もない正論だ。私が本物の中二病だったら、心に致命的なダメージを負っていただろう。

 そう、私が行き着いた結論とは、中二病患者を演じることだ。

 私…… リイン・サンダルシアは、眼以外は至って普通の少女だ。乙女ゲームのリイン・サンダルシアも、世界への絶望と憎しみを糧に、ポテンシャル以上の力を発揮したキャラクターだ。

 私はこの世界に絶望も憎しみも抱いていないので、普通の少女と何ら変わりない。

 不思議なもので、特別であろうとすればあろうとするほど、周囲は普通のレッテルを貼ろうとする。おかげで私は、少し眼が変わっていて、口だけは大層な小娘として認識されている。馬鹿にはされるけど、疎まれるよりはずっと良い。

 今のところ、私の思惑どおりに事は進んでいる。唯一の不安は、中二病患者をいつまで演じればいいのかわからないことだ。








 

 サンダルシア邸の自室で、いつものように中二病ポエムを考えていたその日。

 メイドのシンシアの報告を聞き、耳を疑った。


「ボクの騎士になりたい男がいるって……?」

「いかがなさいますか? 一応、門の前で引き止めていますが……」


 サンダルシア家には、騎士団が結成されるほど数多くの騎士がいる。

 それでも、私に忠誠を誓おうとする騎士は今まで一人もいなかった。呪眼を不気味がるか、私の性格に敬遠するかのどちらかだ。

 その人はどんな理由で、私の騎士になりたいのだろうか。中二病の演技抜きに、彼に興味が湧いてしまった。


「会おう。わざわざボクをご指名する物好きなんて、興味深いじゃないか。何も知らない哀れな子羊か、命知らずの狂犬か…… どちらなんだろうね。今からエントランスに向かうから、彼をそこで待たせてくれ」

「しょ、承知しました」


 シンシアが「こいつマジかよ……」みたいな顔をしながら、部屋を出た。普通なら、そんな怪しい男なんて門前払い一択だろう。

 部屋を出て、エントランスのニ階に着く。

 下の階に目線を向ける。ボロボロの黒いコートを羽織り、両腕に包帯を巻いた男がいる。そして、守衛の任に就く騎士たちが、彼を取り囲んでいる。

 誰が私の騎士になりたい男なのか、一目瞭然だった。

 一段一段足音を響かせ、階段を降りる。この場にいる全員が私の方に視線を向ける。


「初めまして。ボクがリイン・サンダルシアだ。さあ、次は君が名乗る番だよ」


 階段の途中で足を止め、問いかける。


「我が名はウィドウ。ウィドウ・アイゼンハート。突然の来訪、どうかお許しいただきたい」


 ウィドウ…… やっぱり聞き覚えのない名前だ。

 少なくとも、乙女ゲーに登場したキャラではない。だってこんな濃い見た目のキャラがいたら、忘れるはずがない。


「その腕は怪我でもしているのかい?」

「これは…… 弱い自分と訣別するための戒めです。今はもう、戦う分には支障はありません」


 ウィドウは物憂げな顔で腕をさする。

 乙女ゲーの世界なだけあって、目立つ風貌にもちゃんとした理由がある。例えば包帯を巻いていたら、痛々しい傷痕を隠すためだったりする。

 それを考慮した上で、ある可能性に行き当たった。

 こいつ…… こいつも中二病じゃないか……!?

 私は十年以上、中二病を演じてきた。だからこそ、同類は臭いでわかる。立ち振る舞いに、そこはかとなく演技臭さがある。

 まさか、私の眼に特別な力があると思っていたりするのだろうか。呪われた眼の少女を護る騎士…… 中二病なら、これほど心震えるシチュエーションはないだろう。


「早速だが、ボクの騎士になりたいという理由を聞かせてもらえるかい? 君のような人間は初めてだからこそ、疑わざるを得ない。本当は、この眼に魅せられた簒奪者なんじゃないか……とね」

「サンダルシア家には、呪われた眼を授かった令嬢がいる。風の噂でリイン様を知ったとき、あなたの守護者として生きることこそ我が使命だと確信しました。鳥は、空で生きることが本能に刻まれている。理屈ではなく、俺の生き方も本能に刻まれていたのです」


 ノータイムで言葉を返してきた事実に、私は衝撃を受けた。

 私はこのキャラを演じるのに、記憶の中に残っている他の漫画やゲームのキャラを参考にした。

 だけど、この世界に漫画やゲームといった娯楽はない。ウィドウはそんな環境で、ゼロからこのキャラを作り上げたのだ。

 並外れた拗らせっぷりに、尊敬の念すら覚える。本物だ。彼こそが本物の中二病だ。


「良いね、ボク好みの答えだ。動機はわかった。なら次は、君の力を示してもらおうかな」

「……フッ、どのような試練をご所望で?」

「これから君には、模擬戦をしてもらう。騎士に求められるのは、戦う力。それを測るには、模擬戦がシンプルかつ最適だ。ボクが満足いく結果を残せたら、君を騎士として歓迎しよう。戦う相手は君が選ぶといい」


 エントランスにざわめきが広がる。

 騎士団長が階段を上がり、私に近寄る。


「お嬢様、勝手なことをなされては困ります。先の発言を取り消してください。あのような怪しい輩を、我が騎士団に入団させるなど……」

「彼はボクの騎士になりたいと言ったんだ。決定権はボクにある。騎士団に入団させたくないのなら、どうぞご自由に」

「……出過ぎた真似をいたしました」


 ウィドウは中二病だと思うけれど、本当に強いかどうかは分からない。

 だけど、もし。もし実力が追いついているのなら、ウィドウは完璧に理想の自分になれていると言っていいだろう。

 彼は理想の自分になれているのか、いないのか…… 私はそれを、どうしても知りたかった。








 サンダルシア家の訓練場。そこでは日夜、騎士たちが厳しい訓練をこなしている。

 訓練場の中心で、ウィドウと、対戦相手に指名されたボブが対峙する。

 ウィドウは両手に木刀を持ち、ボブは木製の槍と盾を持つ。

 私たちは模擬戦の見届け人として、少し離れた位置から見守る。

 ウィドウがボブを指名した理由は、なんとなく想像がつく。ボブはサンダルシア家の騎士の中で最も背が高く、外見に違わない力持ちだ。自分より体格の大きい相手に、華麗な勝利を収めたいのだろう。

 ボブの顔色には緊張の色が見える。この世界は意外と見た目のハッタリが効くので、ウィドウを警戒している。


「先に防具に一撃を入れた方が勝者だ。頭を狙えば、その時点で失格とする。では、武器を構えろ」


 騎士団長の言葉を聞き、両者が武器を構える。

 空気が張り詰めるのを、肌で感じる。


「始めッ!」


 合図と同時に、ウィドウは一気に距離を詰め、腰を捻り両手の剣を振るう。


烈風(れっぷう)飄刈(つむじがり)!!」


 戦闘中に技名を叫ぶ人を見るのは、一度目の人生も含めて初めてだった。

 この世界は、割とリアル寄りの世界観だ。流派や技は存在するけど、少なくとも戦闘中に叫ぶことはない。

 烈風・飄刈を、ボブはあっさり盾で受け止める。

 ウィドウは何度も剣を振るが、ボブの堅牢な守りを崩せない。激しい衝突音だけが響く。


「片手で剣をあそこまで振れるのは、すごいっちゃすごいが……」

「ああ、動きがムチャクチャだ……」


 剣術に関してはズブの素人の私ですら、ウィドウの動きに無駄が多いのがわかった。

 まるで、子供が無闇矢鱈に棒切れを振り回しているみたいだ。技名を叫んでいるせいで、余計そう見えた。

 自己流で強くなるなんて、そんな都合の良い話はないのだ。それこそ、物語のメインキャラクターでない限り無理なのだ。


「フンッ!」

「ぐへっ」


 針のように鋭いボブの突きが、隙だらけのウィドウの腹部に突き刺さった。

 たとえ防具越しの一撃でも、衝撃は伝わる。

 ウィドウは膝から崩れ落ち、その場でのたうち回る。きっと今、内臓を揺さぶられたような痛みに苦しんでいるだろう。

 ボブはその様子を、微妙な表情で見つめる。こんな決着のつき方は、想像していなかったのだろう。


「勝負アリだな」


 騎士団長が判定を下すまでもなく、勝敗は誰の目から見ても明らかだった。

 ある者は興味を失くした顔を浮かべ、ある者はクスクスと嘲笑を漏らす。

 結局、ウィドウも外面を取り繕っているだけだった。理想の自分なんて、そう簡単になれるはずがないのだ。


「くそっ…… くそっ……!!」


 ウィドウは立ち上がろうと足掻くけれど、それも叶わない。

 私の足は、ウィドウに向かって歩き出していた。

 私が近づく気配を察したのか、ウィドウは顔を上げた。苦痛に顔を歪め、目には涙が溜まっている。痛みの涙か、それとも悔し涙か……。

 泣き顔を見られたくないのか、ウィドウは咄嗟に顔を逸らす。


「惨めだね。この上なく惨めで── だからこそ、君はこの世界で唯一、ボクの隣人となり得る」


 ウィドウに手を差し伸べる。

 もしウィドウが本当に強かったら、私の騎士にはしなかった。誰にも風を捕らえられないように、君の人生は縛れない…… とか、それっぽいことを言って遠ざけるつもりだった。

 余計なトラブルに巻き込まれそうだし、何よりこの「呪眼」という設定に説得力が出てしまうから。

 だけど、今のウィドウなら。中二病同士、本当の意味で私の理解者になってくれる気がした。


「──歓迎しよう、ボクの騎士として」


 ウィドウはヨロヨロと体を起こす。

 気取った顔を繕おうとしているけど、無理しているのが丸わかりだ。

 それでも、まだ強がれる根性があれば十分だ。


「……たとえ我が命に代えても、あなたをお守りすることを誓います」


 ウィドウは私の前に跪き、私の手の甲にキスをする。

 これで全て終わった空気だけど、ウィドウにはもうひと頑張りしてもらう。ともすれば、この模擬戦よりずっと辛いかもしれない。

 そう── 父上との顔合わせだ。








 この世界において、主人と騎士の主従関係は、当人同士の意思が尊重される。余程のことがない限り、他人は干渉できない。

 だけど、ウィドウを私の騎士として迎え入れるのに、父上との顔合わせは避けて通れない。私はこれこそが、ウィドウが乗り越えるべき試練だと考えている。

 私とウィドウは、父上の部屋の前に立っている。

 執務から戻った父上が、このドアの向こうにいる。事の顛末は、既に騎士団長が報告している。


「ウィドウ、今から父上と話してもらうが…… どうか、心を強く保ってほしい。ボクは助け舟を出せないよ」

「……!」


 ウィドウの顔が僅かに強張る。


「それじゃあ、行くよ」


 ドアを軽く叩く。


「父上、ボクだ。ウィドウを連れてきた」

「ああ、入りなさい」


 ドアを開ける。部屋の一番奥には、椅子に腰かけ、テーブルに肘をつく父上がいた。


「お初にお目にかかります。自分はウィドウ・アイゼンハートです」

「騎士団長から話は聞いている。娘の騎士になってくれて、ありがとう。この子に忠誠を誓ってくれる騎士は、君が初めてだ。ご覧のとおり少し変わった子だが、仲良くしてやってほしい」

「俺には過ぎたお言葉です。ですが、リイン様は命に代えてもお守りしてみせます」


 ウィドウの顔から、幾分か緊張が抜け落ちている。想像とは違う父上の柔らかな対応に、安心しているのだろう。

 ウィドウを騎士に迎え入れるのを、父上に反対される心配はしていなかった。私の選択を尊重してくれると思っていた。

 では、何を心配していたかというと……。


「リインの騎士になりたい理由、私にも聞かせてくれないか?」

「リイン様を敵からお守りするためです」

「その敵とは?」

「リイン様の眼を狙う、悪しき輩です」


 その言葉で、父上の雰囲気が一気に豹変した。


「その輩は個人なのか、複数なのか? 居場所や名前や顔は知っているのか? リインの眼を狙う目的は? ウィドウ君はどうやって悪しき輩がいると知った? 協力者は他にいないのか? 娘の命に関わるなら、最低でも憲兵と連携を取るべきだと思うが?」

「えっ」

「具体的なプランはあるのか? 警戒態勢を敷く期間は? ボブに勝てなかった君はどのような役割を負う? 聞きたいことはまだまだあるぞ」

「ま、待って──」


 それから、どれだけの時間が流れただろうか。父上の容赦ないマジレスの嵐にウィドウが膝を着き、ようやく終わりを迎えた。

 父上に悪意があるわけではない。ただ単に、私の身を案じて、正確な情報を聞き出そうとしているだけだ。父上の冷静な目が、何より物語っている。

 こうなることは予測していた。本物の中二病が父上に問い詰められて、メンタルが壊れないわけがない。隣で見てるこっちまで胃が痛かった。


「それで結局、リインの眼を狙う悪者がいるかもしれない(・・・・・・)から、リインの騎士に志願したということで間違いないな?」

「はい、そのとおりです……」


 キャラも忘れ、ウィドウは弱々しく肯定した。


「結構。もしもの事態に備えて、日々精進しないさい。ウィドウ君はこれから騎士見習いとして、リインに仕えるといい」

「み、見習い?」

「君の能力を鑑みて、今はそれが妥当だと思うが? ん?」

「い、いえ! 滅相もないです! 精一杯務めさせていただきます!」

「では、下がりなさい。君には期待している。リインと仲良くできそうだからな」


 父上の部屋を出る。

 何も言わず、精魂尽き果てて項垂れるウィドウの肩を叩く。

 締まらないことこの上ないが、この日初めて私に忠誠を誓う騎士見習いが生まれた。








 ウィドウを騎士見習いに迎え入れてから、日々に何気ない楽しさを見出せるようになった。

 中二病なんて、言ってしまえば「理想の自分ごっこ」だ。そして、ごっこ遊びは相手がいなければ盛り上がらない。

 私は、生まれてからずっと独りで中二病(理想の自分ごっこ)をしていた。だけど今は、愉快な遊び相手(ウィドウ)がいる。


「マスター、紅茶をご用意しました」


 ウィドウが私の前にティーカップを置き、ティーポットで紅茶を注ぐ。

 料理とか掃除とか、プロ級の特技がある方がカッコいいと盛り上がった結果、紅茶を淹れるのがウィドウの趣味になった。

 私にも新しい設定が加えられて、敵や危険を察知すると呪眼が疼くことになっている。


「ああ、いただくよ」


 ウィドウは紅茶に関してド素人だ。数日前から練習しているが、果たして成果は出ているのか。期待を胸に、紅茶を口に含む。


「ウィドウの淹れる紅茶は…… 紅茶は、うん……」

「失礼」


 私の微妙な反応を察し、ウィドウは新しいカップに紅茶を注ぎ、自ら口にする。


(うっす)……」


 紅茶風味のお湯を飲んでる気分だった。

 人に作ってもらって手前、文句は言えないけれど…… 美味しいとも言えなかった。


「こんな紅茶をマスターにお出ししてしまうとは…… 呪眼の守り手として、情けない……」

「こればかりは練習あるのみだよ、ウィドウ」


 ウィドウが紅茶を特技として披露するのは、もう少し先になりそうだ。


「すみません、淹れ直してきます」


 厨房へ引き返すウィドウを、手を振って見送る。

 理想の自分を目指して、ウィドウは日々努力している。自己流では強くなれないのを思い知り、騎士団の訓練にも参加している。

 ウィドウの鍛錬の日々は完全に無駄ではなく、基礎体力は上々らしい。動きの変な癖さえ矯正すれば、一端の騎士になれるとか。ちなみにこの「動きの変な癖」とは、ウィドウが編み出した技のことである。切ない。

 それでもまだ、ウィドウは二刀流の憧れを捨て切れないみたいで、技の練習をしては騎士団長に怒られるのをよく見かける。


「リイン様、よろしいでしょうか?」


 ノックと共に、シンシアの声が届いた。


「どうぞ」

「失礼します。実は、ポコ…… ウィドウさんのお母様がお見えでして、お部屋に招いてよろしいでしょうか? リイン様にもご挨拶したいみたいで」

「ウィドウの母親が? うん、構わないよ」

「かしこまりました。では、ご案内します」


 シンシアが何か言いかけた気がするけど、多分気のせいだろう。

 ウィドウに家族のことを聞くと、中二病設定ではぐらかすばかりなので、どんな両親なのかちょっと気になっていた。

 わざわざ来てくれたのだし、話してみるには良い機会だろう。

 しばらくすると、入れ違いでウィドウが戻ってきた。


「只今戻りました。シンシアさんが部屋から出るのが見えましたが、何かあったのですか?」

「ウィドウ、君の母親が来ているそうだ。断る理由もないし、招き入れたよ」

「ゑ?」


 次の瞬間、ウィドウの顔が一気に青白くなった。


「ま、待ってくださいマスター! 敵が私の母を騙り、屋敷に忍び込もうとしている可能性があります! 一度俺が、確認してから──」

「ゴメン、もう来たみたいだ」


 コツコツと、足音が近づいてくる。


「あっ、ああぁぁ……」


 ウィドウの動揺っぷりは、それこそ獰猛な獣が迫っているかのようだった。母親が来るだけで、こんなにも動揺するものだろうか。

 いよいよドアが開いた。

 シンシアと、リンゴの籠を持った中年の女性が部屋に入る。


「リイン様、ウィドウさんのお母様を連れてきました」


 ウィドウのお母さんは、深々と頭を下げた。


「リイン様、うちのバカ息子がお世話になっております。こちら、つまらない物ですけど…… アイゼンハート家で作ってるリンゴなんです。どうぞ召し上がってください」


 差し出されたリンゴの籠を受け取る。どうやら、ウィドウの家はリンゴ農家らしい。


「とても美味しそうなリンゴだね。ありがとう、是非いただくよ」

「あら〜美味しそうだなんて! うちのお父ちゃんも喜びます、ありがとうございます!」


 ひとしきり喜んだ後、ウィドウのお母さんは息子へと視線を向けた。この表情は…… 怒っている?


「ポコン、あんたどうして偽名なんか使ってるんだい!! おかげでお母ちゃん、中に入るのに苦労したじゃないか!!」

「!!??」

「ヒョエッ…」


 ポコン。ウィドウじゃなくて、ポコン。

 ウィドウはめちゃくちゃ顔を伏せていた。後ろめたいことがあるのが、火を見るよりも明らかだった。

 この瞬間、私は気づいた。お母さんが来るのを嫌がっていたのは、偽名を使っていたのがバレるのを恐れていたからだ。


「ポ、ポポ…… ポコポコポコン……? 誰だそれは、人違いじゃないか……?」

「何言ってだいポコン! お母ちゃんの顔を忘れたなんて言わせないよ! 折角サンダルシア家の騎士になれたってのに、手紙の一つも寄越しやしない! だからわざわざ、あんたの顔を見に来たのよ! まだ人違いって言い張るんなら、あんたの昔の話でもしてあげようかい!? 10歳にもなって寝しょんべ──」

「わ、わかった! わかったから母さん! ちょっとあっちで話そうか!」


 半ばヤケクソになったウィドウは、ウィドウのお母さんの背中を押して部屋を出る。


「リイン様〜! こんな息子ですけど、よろしくお願いしますね〜!」

「ヤメテ… ヤメテ…」


 二人はそう言い残し、ドアを閉めた。

 まるで嵐のようなお母さんだった。


「最初、ポコンって言いかけたよね?」

「はい。ですが、あの場でお伝えするのは状況をややこしくなるだけと判断し、黙っていました」

「すまないけど、このことは……」

「ええ、誰にも言いませんよ」


 ポコン…… 悪い名前だとは全く思わないけど、中二病の感性では名乗りたくないだろう。

 ここで見聞きしたことは、全部胸にしまっておこう。ウィドウ…… ウィドウはそう、使命に目覚めて思い出した、真名的な扱いにして──


「──痛っ」


 一瞬、両眼に痛みが疾った。

 ほぐすように、両眼を押さえる。既に痛みは引いていた。

 最近はしゃぎ過ぎていたから、疲れているのだろうか。


「どうしました?」

「あっ…… いや、何でも」


 このとき、知る由もなかった。まさか本当に、私たちの「敵」が迫っているなんて。








 海の向こうから、敵が攻めてくる。最初にその報告を聞いたときは、私たちがいつも言ってるような冗談だと思いたかった。

 海の向こうの国、ゲドー帝国とこれから戦争になる。

 戦争の理由は酷く単純で、ゲドー帝国が領土拡大を目論み、その手始めとして私たちの国を侵略しようとしているからだ。

 甘く考えていた。ここは、私がいた元の世界とは違う。当然、ゲームの世界そのままでもない。戦争は簡単に起きるし、それに巻き込まれる確率だって遥かに高いんだ。

 夜の訓練場に行く。そこではたった一人、ウィドウが槍の訓練をしていた。

 盾を構え、木の杭に向かってひたすら突きを繰り返す。戦争が始まることを知ってから、ウィドウはあれだけこだわっていた二刀流を捨ててしまった。


「ウィドウ……」


 私に気づくと、ウィドウは槍を下ろした。


「……ポコンでいいです。こんな夜遅くにどうしたんですか、リイン様」


 口調だけでも、今のウィドウ…… いや、ポコンが素でいるのがわかった。


「ポコン、本当に…… 本当に戦争に行く気なのかい?」

「……はい」


 ゲドー帝国を迎え撃つために、各地の騎士が戦争に召集される。そしてそれは、サンダルシア家の騎士も例外ではなかった。

 ポコンは騎士見習いだから、本来なら戦争に行く必要はない。

 だけどポコンは、戦争に行くのを志願した。

 ポコンが戦争に行かないよう説得するために、私はここに来た。


「君は呪眼の守り手だろう……? 君がいなくなったら、誰がボクを守るんだい……?」

「……すみません」

「今ならまだ間に合う、戦争から外してもらおう。君はまだ、騎士見習いじゃないか。ポコンを悪く言う奴らがいたら、この眼で黙らせるから……」


 ポコンは何も言わない。ただただ、申し訳なさそうに顔を伏せるだけ。

 中二病でいる場合じゃないのは、ポコンだって理解しているはずだ。それなのに、どうして戦争に行きたいのか…… ポコンが何を考えているのか、わからない。今まで、ポコンが何を考えているかなんて、なんでもお見通しだったのに。

 腹の底から、沸々と怒りが込み上げる。


「現実を見てよ! あなたが英雄になれるわけないじゃない!」


 ポコンが戦争に行く理由をいくら考えてみても、英雄になって、理想の自分に近づくためくらいしか思い浮かばなかった。

 私の的外れな言葉に、ウィドウは首を横に振った。


「違います、リイン様。英雄になりたくて…… みんなに尊敬されたくて、戦争に行くんじゃありません」

「なら、どうして……!」

「英雄になれないのは、戦争に行かなくても同じです。敵がここまで攻めてきたら、俺が真の力にでも覚醒して、薙ぎ倒せればいいんですけど…… そんな都合の良いことが起きないのは、俺が一番よく知ってます」


 その言葉は、否定しなければいけない予感がした。

 だけど、できなかった。最初にポコンが英雄になれないと言ってしまったのは、他でもない私だ。


「俺、ずっと考えていたんです。どうしてみんな、戦争に行くんだろうって。誰だって死ぬのは怖いし、人を殺すのは嫌なはずなのに……」


 ポコンの手から盾と槍が落ちる。


「人はみんな、弱いです。一人では、何もできないまま死んでしまう。だからこそ、戦争に行くんです。群れなければ、国を、家族を…… 大切な人を守る戦いさえ、できないから」


 ポコンが私の肩を掴んだ。

 手も、声も震えているくせに、涙で滲んだ眼だけは真っ直ぐだった。


「それに気づいてしまったら、もう逃げるわけにはいかないんです。俺は最初、普通の人とは違う眼を持っているリイン様に魅せられて、騎士になろうとしました。でも、今は違います。命に代えても、リイン様を守る── あの日の誓いが、俺が今ここにいる全てなんです。この誓いから逃げたら、俺は…… 本当に弱いだけの人間で終わってしまう」


 その言葉を聞いたらもう、諦めるしかなかった。どんな言葉でも、行動でも、ポコンの意思を変えることはできない。

 本当は、最初からわかっていた。ポコンが戦争に行く理由が、生半可じゃないことくらい。理由を聞いて、私が納得したかっただけだ。

 ポコンを抱きしめる。どくりと跳ね上がったポコンの心臓の音が、とても近くで聞こえた。


「リ、リイン様……!!??」

「生きて帰ってきて。それだけで、それだけで十分だから……」

「……ありがとう、ございます。帰ってきたら、またポコンって呼んでください」


 翌朝、ポコンが戦争に行ってしまった。

 私は毎日、ポコンが無事に戻ってこれるよう、神に祈りを捧げた。

 この世界に転生するとき、神には会わなかった。それでも、超常の存在を信じるには十分な経験だった。

 この祈りが、届いているかもわからない。そして、叶えてくれるとも思えない。

 この行為には、まるで意味がないのかもしれない。それでも、私にできるのはこれくらいだ。何かせずにはいられない。

 今日も私は、神に祈り続ける。窓を殴りつけるような風の勢いにも、気づかないまま……。









 結論から言うと、俺は戦争からすぐ帰還することになった。それこそ蜻蛉返りだ。

 突然の大嵐で、ゲドー帝国の船は一隻残らず沈没したのだ。誰一人として、俺たちの国の大地を踏むことは叶わなかった。天が俺たちに味方してくれたとしか思えない。

 逆にゲドー帝国からすれば、予期していない致命的な被害で、二度目の侵略は不可能らしい。侵略に兵を割けば、その分守りが手薄になる。多数の兵を失った状況なら尚更だ。

 戦わずに済んで嬉しい反面、ちょっと気恥ずかしい。あれだけカッコつけておいて、まさか速攻で帰還する羽目になるとは。

 帰りの馬車の中で、ずっとリイン様に会ってからの第一声を考えているが、言葉がまとまらない。


「おい、ポコン」


 突然、騎士団長が声をかけてきた。


「何でしょうか?」

「馬車を降りろ。貴様はここから自力で帰れ」

「は???」


 何を言ってるんだこの鬼教官は。


「降りろと言ったら降りろ! ボサッとするな!」

「イエッサー!」


 決して騎士団長の迫力にビビったわけではないが、言われたとおりに馬車を降りる。

 俺を置いて走り去る馬車を、呆然と眺める。

 どうして俺だけ馬車を降ろされたのだろう。

 走って鍛えさせるつもりなら、まだ理解できる。だけど、ここから視認できるほど、サンダルシア邸の近くに来ている。走ったところで意味がない。

 まあでも、色々と考えるには丁度良い時間だ。走れとも言われてないし、ゆっくり歩こう。

 足を前に出そうとしたそのとき、門の前に人がいるのに気づいた。ここからでは遠すぎて、顔は点にしか見えない。それでも俺は、誰なのか考えるよりも先に駆け出した。

 馬車を追い越す。窓際の席に座っている騎士団長が、微かに笑っている気がした。

 門の前に着く。

 その人は腕を組み、門の柱に背中を預けていた。その視線はどこか遠く…… ではなく、俺だけに向けられていた。


「久しぶり…… と言うほど、長い時間は流れていないかもしれないね。それでも、敢えて言わせてもらおう。久しぶり、ポコン。君の紅茶がまた飲めると思うと、嬉しいよ」

「リイン様……!」


 第一声をどうするかなんて、完全に頭の中から吹き飛んできた。今はただ、また会えた喜びを噛み締めるだけで精一杯だ。

 騎士団長は、リイン様が門の前で待っているのに気づいたから、俺だけ馬車から降ろしてくれてのだろう。

 血も涙もない鬼教官だと思っていたけれど、今だけは感謝する他ない。


「場所を移そうか。ここじゃ落ち着いて話せないし、君も座りたいだろ?」


 サンダルシア邸の中庭にあるベンチに座る。

 心が安らぐ。隣にはリイン様が座っているのだから、もう何も言うことはない。

 少し前までは、こんなにリラックスできる時間なんて一瞬もなかった。


「ポコンの無事を、ずっと祈っていた。あれだけ必死に何かに祈りを捧げたのは、初めてだったよ」

「ありがとうございます。そのおかげかもしれませんね、あの大嵐は」

「そのとおり。ボクの強い想いに呼応して、呪眼の封印が僅かに解けたんだ。漏れ出した災厄が、大嵐になって…… なんてね」


 リイン様はいつものニヒルな笑みではなく、年相応の悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「どうしてボクが、自分の眼を呪眼と呼び始めたかわかるかい?」

「……それは、世界各地で起きるはずだった災いが、リイン様の眼を触媒に封印されているからで──」

「違う違う。そっちじゃなくて、本当の理由さ」


 リイン様の眼が特別なのは、揺るぎようのない事実だけど、呪いがかかっていないのは俺でも気づいている。

 リイン様の言う、本当の理由を考える。


「特別な眼に、何か意味を持たせたかったから…… ですか?」


 リイン様は首を横に振る。


「正解はね、この眼が原因で迫害されるのが怖かったからだ。ほら、この眼っていかにも不吉の予兆とか、災いの前触れにされそうだろ?」


 その言葉を否定できなかった。

 実は、ずっと昔に一度だけ、リイン様に会いに行ったことがある。みんなが噂する「呪眼」に、興味が湧いた。

 パレードか何かの行事に出席しているリイン様を、遠目に見ただけだったので、リイン様が俺に気付くことはなかった。

 リイン様の呪眼を実際に見て、胸を打つような衝撃を受けるほどカッコいいと俺は思ったけれど、周囲の反応は違った。不気味だとか、怖いとか、マイナスなイメージばかりだった。

 巡り合わせが悪ければ、災害や不幸な事故はリイン様のせいにされたかもしれない。


「だから敢えて、自分から大袈裟なことを言ったんだよ。所詮、この眼は身体的特徴の一つに過ぎない。周囲は勝手に拍子抜けして、ボクを「普通」に扱ってくれる」


 仕えてみてわかったのが、リイン様は意外と普通の人ということだ。

 言動で誤解されるけれど、リイン様は普通に周囲に気を遣うし、普通に優しい。多分、近しい人でしか気づけないだろう。

 今、腑に落ちた。生まれたときから「特別」を背負うリイン様だからこそ、「普通」になろうと足掻いていたんだ。


「面白いくらい、狙いどおりだったんだけど…… ちょっとやり過ぎちゃってね。後に引けなくなって困っていたとき、ポコンが現れたんだ。君が来てからは、毎日が楽しくなったよ」

「……俺もです。主人と騎士の関係ですけど、こんなに気が合う人がいたんだって驚きました」


 リイン様は同意するように優しく微笑んだ。


「さて、ボクの弱い所はこれくらいかな。ミステリアスな女を気取っていたけど、これがボクの正体さ。幻滅したかい?」

「まさか。嬉しいですよ、リイン様の本音が聞けて。だけど、どうして俺に話してくれたんです?」

「あの日、君は弱い所も全部曝け出して、ボクと向き合ってくれた。ボクだけ何も言わないのは、不公平じゃないか。それに…… 君だけ大人になった気がして、なんだか悔しかったんだ」


 リイン様はベンチから立ち上がると、俺の方へ振り返った。


「──()もそろそろ、ボク(・・)と折り合いをつけなきゃね」


 一瞬、リイン様の瞳が紅く光った。

 陽の光の反射や、目の錯覚では説明がつかないほど、眩い輝きだった。


「リ、リイン様! 今一瞬、瞳が紅く光って……!?」

「ちょっと、さっき折り合いをつけるって言ったばかりじゃないか」

「いや、本当ですって!」



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― 新着の感想 ―
[一言] 続きが読みたいです! 短編あちこち読ませてもらってます! 楽しませていただいて感謝です! ありがとうございます!
[一言] 続きが読みたいです。
[一言] 分かってやってるとはいえ、きっと将来のたうち回りたくなる事態が発生する予感。 本当にシャレにならない可能性があるから、余計に居たたまれない感じがしますね。 黒歴史、それは青春のかさぶた。 …
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