炎の中で
こんにちは、アリスです。はい、勿論、扉の前で聞き耳を立てています。ただ、食堂の扉はすごく分厚くて声があまり聞こえないです。しょうがないのでグリッドレイ様には内緒で開けた覗き穴から監視させていただく事にします。
不老不死だもの。
そう宣い、ノエル・アズ・グリッドレイはクロエリア・オーゼン・エーレからそっと離れた。と、同時に彼女を拘束していた魔術の鎖が音も無く消え去る。突然の解放にくらっと身じろぎしながら、クロエリアは眼前の魔術師を見やった。
「――どうぞ」
手慣れた手つきで口に咥えた煙草に火を点しながら、ノエルは言った。右手は火のついた煙草に。左手はその豊かな胸の上に置いて。その血で染まったような赤い瞳をクロエリアに向けて。
「何が……」
どうぞなの? そう言い切る前に、
「――もう一度殺してみて」
薄い三日月の形に歪む魔術師の口。細い煙の尾を引きながら落ちる煙草。踏み心地のよくない、けれどとてもよく燃えそうな絨毯に落ちる。炎は一瞬で、本当に瞬きひとつの時間で部屋全体を炎で埋め尽くした。
あり得ない。肌を覆う熱風、ごうごうと震え上がる空気、その最中で平然と立ち尽くす白い魔術師。そう、これは魔術だ。魔術の知識なんぞ皆無のクロエリアだが、相手は最高位を謳う魔術師。恐らく幻惑系の魔術か何かでこの状況を造り上げているのだろう。
ならば、術者を殺せば、この炎の海も消えるのではないか。
「…………」
視界を灼く炎の紅。
その紅よりも更に深い色の瞳に見つめられながら、黒い少女はそっと右手を上げた。
伸ばす。
白い魔術師、ノエル・アズ・グリッドレイの華奢な喉に向けて。
ノエルは抵抗しない。その表情には薄い笑み。
永劫を謳う白い首に、破滅を謳う黒い手が触れた。
あとは、魔術師の首を視認しながら意識を集中させるだけ。
赤い血飛沫を撒きながら、ごとりと落ちる首。
もう何度も見てきた光景。
目を逸らす事を赦されない光景。
逸らせば、自分が殺されてしまうから。
だから、彼女は見続ける。
最後の最期まで。
その漆黒の瞳で、見届ける。
それが、きっと、彼女の手に入れた力の代償。
また、会いましょう。
頭があった場所から噴水のような血液を迸らせながら、糸の切れた人形の如く倒れ込む魔術師の胴体。彼女の纏っていた純白の衣が主の血を吸い、赤く、黒く染まっていく。床を這う炎はそれを飲み込む前に、現れた時と同様、瞬きひとつ分の間に消え去った。やはり、幻惑系の魔術の類だったようだ。絨毯や壁の装飾品に至るまで傷ひとつ付いていない。
「ふぅ……」
胸に溜まった何かを吐き出すように、クロエリアはその豊満な胸を上下させた。手近にあった濡れ布で返り血を拭いながら、人形のような無表情で食堂の扉を見やる。
扉の向こうで聞き耳を立てているであろう、この館の侍女――たしか、アリスと言ったか、と記憶を巡らす。以前、ここを訪れた時にはいなかった女。
「あの子も、殺さないと……ダメだよね」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、クロエリアは踏み心地のよくない一歩を踏みしめた。
こんにちは、アリスです。はい、勿論、見ています。お二人とも少し見えにくい位置でお話ししていましたが、何とか状況の確認は出来ていました。クロエリア様がこちらへ歩いてきています。アリスはとりあえず逃げようと思います。