《永劫の白》
異世界から召喚された伝説の勇者――ですか。
確かに聖剣アレク・タリスを引き抜いた事は認めますが、誰が何の為に貴方をこの世界に喚び出したと言うのですか。……は? 俺が知るか、と? 俺が一番迷惑している、と?
……まぁ、確かにいきなり見ず知らずの土地に放り出されてしまったという貴方のご心情はお察しします。
どうでしょう……とりあえずは私の部下という事で白の騎士団に入団してみては?
ちょうど副団長の席が空白になっていまして、腕の立つ者を探していたところなのです。
私の部下という名目ならば、王城の書物庫にも自由に出入りできます。騎士団の職務に就く傍ら、元の世界に戻る方法を探す事も出来るでしょう。
如何でしょうか――フォルト・レッドコニー殿。
その手が触れる事はなかった。瞳を閉じた魔術師の眼前で時が止まったかのように、破滅の魔手は微動だに出来なくなった。黒い少女の頰に涙と共に汗の雫が伝う。身体が動かない。まるで全身を見えない鎖で絡め取られたかのように。
「ごめんなさい、クロ」
静止した少女の手を払いのけながら、魔術師はさして悪びれた様子もない声音でそう呟いた。美し過ぎる程に整った顔が薄い笑みを浮かべながらゆっくりと近付いて来る。総てを見透かすような赤い目は閉じられたまま。だんだん、だんだん、近付いて来る。と、白い魔術師の両手が伸ばされた。黒い少女がそうしたように、華奢な首を目掛けて、ゆっくりと。
(殺される……!)
クロエリアは直感的にそう悟った。心臓が狂ったように鼓動を打ち鳴らす。頬を珠のような汗が一筋伝った。伸ばされた白い指が首に触れる。その冷たさにびくんと体が脈打った。
「やめ……」
渇いて口腔に張り付く舌を無理矢理動かして言葉を紡ぐ。そのか細い声音に、口の端を三日月状につり上げた魔術師の顔が鼻先寸前まで寄せられる。花のような甘い独特の匂いと、鉄錆びのような血の臭いが混ざり合ってクロエリアの鼻腔を刺激した。
白い魔術師は、こつっ、とクロエリアの額に自身の額を当てると、言った。
「……貴女の体を魔術で拘束させてもらったわ」
クロエリアの視界を支配する魔術師の瞼。首を掴まれた指には力は篭められていない。息をするのも瞬きをするのも忘れて、黒の少女はただ次の言葉を待った。
「今、クロの体は十を超える術式の鎖によって縛り付けられている。ああ、でも安心して。本来は対象を捕縛して絞殺する為の魔術なのだけれど、その辺りはちゃんと調整してあるから。少なくとも貴女が無理に暴れたりしない限り危険はないわ」
言いながら、長い睫毛が上がった。瞼に支配されていたクロエリアの視界が赤く染まる。ノエルが眼を見開いたのだと、すぐに判った。長らく閉ざされていた赤い瞳と、長らく閉じていなかった黒い瞳が今にも触れてしまいそうな距離で交錯する。
「ふふん……すごく怯えた目。殺される、とでも思ったかしら? 大丈夫よ、貴女はわたしが当主になって初めてのお客様だもの。殺す気なんて微塵もないわ。……今はね」
楽しげな口調で、謳うように宣うノエル。眼は笑ってはいなかったが。
魔術師は少女の首から指を離すと、優しく少女の長い黒髪をひと撫でし、まるでキスをする恋人のように頬に手を添える。傍から見れば本当にキスをしているように見えただろう。
白い魔術師――ノエル・アズ・グリッドレイは問うた。
「貴女の目的は何? 自分の眼をそんな風にした連中への復讐?」
「……うん」
「そう。わたしの顔覚えていてくれたのかしら?」
「うん」
クロエリア・オーゼン・エーレは肯定して、そして、四日前再会を果たした瞬間からの疑問を白い魔術師に向かって告げた。
「だって、ノエ、十年前と何も変わってないんだもん……」
その言葉を聞いた刹那、魔術師の瞳が驚きに揺らいだのをクロエリアは感じた。軽く細められた赤い瞳が微かに横に流れる。しばしの沈黙の後、
「ああ、そうね――」
魔術師は告げる。
「わたし、不老不死だから」
永遠の十九歳。
寂しげに、茶化すように、何かを隠すように、《永劫の白》と謳われた魔術師ノエル・アズ・グリッドレイはそう宣ったのだった。
聖剣アレク・タリス。
クソ重そうな岩の頂上に鞘ごとぶっ刺さってたのを俺が引っこ抜いた伝説の剣。らしいんだが。
鞘から引っこ抜けねぇ剣にどれほどの価値があるってんだ、ったく。
いっその事、売っちまうか。
骨董品屋にでも持って行きゃぁ二束三文にはなるだろ、たぶん。