《破滅の黒姫》
魔術協会の本部の場所? 入会希望の方ですか?
それなら王都の貧民街の最奥にありますよ。……え? どうしてそんな場所にあるのか、ですか?
んー、説明すると長くなるんですっごい簡潔に言いますね。
貧民街の治安がものすっごく悪いのはご存知ですよね?
盗人とかそういう類の方々がこぞって住んでる(隔離かな?)わけですから。
魔術協会に入会するには入会金という建前で金貨百枚が必要になります。道中、それを狙って貧民街の方たちに襲われます、はい、確率100パーセント。それすら撃退出来ないようでは入会の資格なし、という感じです。
まぁ、魔術師に対抗出来るのは魔術師のみ、って言葉があるくらいなんで……魔術師様だったら撃退なんて楽勝でしょうけど、ね?
精々、頑張って。
空になった皿とバスケット、そして小瓶を片付けていくアリスの姿を横目で見ながら、この館の当主ノエル・アズ・グリッドレイは口を開いた。
「煙草、吸っていいかしら?」
その台詞は隣で幸せそうな顔をしているクロエリアに向けて放たれたものだった。
クロエリア・オーゼン・エーレ。
背中まで伸びる絹のような黒髪、意思の強そうな黒い瞳。頭に着けられたヘッドドレスも、身に纏うドレスも光を拒絶するかのように漆黒。その黒一色の出で立ちの中、ただその白い肌だけがまるで夜闇に浮かぶ月のように際立って映えていた。
「ん? いいよ、別に」
「ありがと」
言いながら、こちらに向けられるアリスの冷ややかな視線を無視しつつ、煙草を咥える。ノエルの豊かな乳房の谷間に挟まれたソフトパックから取り出されたそれは――彼女曰く、この服ポケット無いからここしかないのよ――彼女の纏うイメージとは真逆の、黒い紙に巻かれた煙草だった。世間一般に広く流通している代物ではない。噂では、葉を罪人の血に浸して作るとか何とか。
火は? とクロエリアが問いかける前に、ノエルは目を閉じ、右手の指先を咥えた煙草の先端に宛がった。指先に極小の術式を刻み、極小の魔力を注ぎ込む。極小の術式が展開され、それは極小の炎を具現化させ、先端に火を点すと、役割を終えた瞬間に消え去った。
「すごい」
感嘆の声を上げるクロエリア。魔術師の唇がふぅっと紫煙を吐き出す。咽るような血の味が彼女の口腔を支配する。
「……煙草って美味しいの?」
ほんの少し、興味があるのだろう。クロエリアが聞いてきた。
「不味いわ」
紫煙を吐き出しながら、ノエルは即答した。じゃあ、何で吸ってるの? と言いたげな表情を作るクロエリアに向かって続ける。
「習慣みたいなものよ。依存症って言った方が近いかしら」
渋々顔のアリスが持ってきた灰皿に灰を落とす。窓から射す朝日を反射してきらきらと輝く――恐らく、人ひとり容易に殴り殺せるであろう――手の平よりも二周りほど大きい灰皿。これは後で聞いた話だが、剣の刀身にも使われるクリスタルを用いて作られたものらしい。持つ者が持てば立派な凶器である。
「さて、と――クロ」
「なぁに?」
呼びかけられて、応じる。ノエルはその赤い視線だけをアリスに向けた。瞳の動きだけで『席を外せ』と示すとアリスは無表情でトレイを抱えながら食堂を出る。その数瞬後にかちゃりという施錠音を残して。
静寂が、場を支配した。先程まで聞こえていた筈の風が緑葉を揺らす音や、小鳥の鳴き声も今は無い。目を閉じた白い魔術師と黒を纏った少女が椅子に座り、手を伸ばせばすぐにでも触れられる距離での相対。
「話をしましょうか。クロエリア・オーゼン・エーレ。いいえ――」
いつもの優しげな声ではなく、まるで死刑宣告を言い渡す裁判官のような無機質で儀式めいた口調。総てを見透かすような赤い瞳は閉じられたまま。最高位を自称する魔術師は、その形の良い唇でその言葉を紡いだ。
「――《破滅の黒姫》」
クロエリア・オーゼン・エーレ。黒い子。