黒姫捕縛大作戦〜完結〜
おや、また来たのか。
たしか⋯⋯前に来たのは3日前だったか、いや4日前か⋯⋯ま、どちらでもいいか。
アレの吸い忘れ、というワケではなさそうだな。
ふふ、わかってる。お前は既に中毒だよ、私と同じ、だ。
ここしばらく来ていなかったからもう諦めたのかと思っていたよ。
全く、魔術師というヤツはどこまで自らの探究心に忠実なのだろうね。
ん? 私にはわからないだって? そりゃ、そうさ、私は魔術師ではないから、ね。
ノエル・アズ・グリッドレイは深いため息と共に、血の匂いの混じった紫煙を吐き出した。
「⋯⋯⋯⋯」
どうしたものか、と遥か前方の光景を見やりながら思う。
若干の既視感を覚える情景。百を優に超える刃の群れ。その中央に立つ藍色の髪の少女――アリス。可憐な容姿に似合わぬ身震いするほどの殺気を放ちながら、眼前の黒い少女、クロエリア・オーゼン・エーレを射殺さんばかりに見つめている。
彼女と対峙する《破滅の黒姫》は微動だにしない。いや、出来ないのだろう。あれだけの数の刃を向けられれば、障壁を展開できる魔術師ですら面食らってしまう。
(アレを捌き切れるのはわたしと⋯⋯ナンバー2くらいね⋯⋯あ、今はナンバー1、か)
心中で独りごちながら、元・世界最高位の魔術師は咥えていたブラッディ・ローズを揉み消した。肺の奥底から沸き上がる吐き気にも似た感覚に目眩を覚える。罪人の呪い。誰かが言っていた言葉が脳裏を過ぎる。結局、これでもダメだったわけだが。
「⋯⋯やめなさい、クロ。アリスも」
そんな目眩を振り払うようにその赤い双眸を閉じ、ノエルは口を開いた。
その言葉が、引き金となった。
一瞬とも呼べないような刹那の間ではあったが、確かにメイド服の少女は眼前の標的から意識を逸らした。その好機を見逃すほど黒い暗殺者は愚かではない。
たん、と石造りの床を鳴らすクロエリアのブーツ。
それと同時に見開かれるノエルの赤い瞳。
アリスは数多の魔術の刃を標的に向け、放った。
黒姫の右手は盾の刃を粉砕し、館の侍女はその残滓を纏いながら横に飛び跳ねる。
驚愕のスピードでそれに追従してくる破滅の魔手。
時間にしてほんの数瞬、全てがスローモーションで流れていく世界で、
「――出なさい」
白い魔術師は、有無を言わさぬ響きを纏わせた一言を謳った。
⋯⋯⋯⋯。
「⋯⋯は?」
まず最初に素っ頓狂な声を上げたのは、クロエリアだった。
かつかつ、とヒールの高いブーツで小気味良い音を鳴らしながら寄ってくるノエルを見やりながら。
「馬鹿ね、クロ」
その赤い瞳に黒い少女を映し、白い魔術師は薄い笑みを混じえて言った。
「どうするつもりだったのかしら。貴女、死んでたわよ?」
まるで悪戯をした子供を嗜めるような口調に、う⋯⋯と言葉を詰まらせるクロエリア。
「アリスもよ。大事なお客様を殺そうとするなんてメイド失格じゃないかしら?」
更に楽しそうな響きを纏わせて、ノエルは言う。グリッドレイ邸の侍女は、ぱたぱたと衣服についた埃を叩く動作をしてから深々と頭を垂れた。
「申し訳ございません、グリッドレイ様」
アリスの完璧な所作にうんうん、わかればよろしいと満足げに頷きながら、魔術師はもう一度クロエリアの方を見やる。
「ねぇ、クロ。お願いなんだけれど⋯⋯アリスは殺さないで欲しいの。人殺しがしたくなったらいつでもわたしを使っていいから、ね。お願い」
その言葉に、頭を垂れたままの館の侍女は何かを堪えるようにぐっと拳を握り固め、唇を噛んだ。
「うぅ⋯⋯人を殺人狂みたいに言わないでよ⋯⋯。殺したくて殺してるんじゃないのに⋯⋯うぅ、わかった、わかったから――」
喚くように宣う黒い少女。宙空で手足をジタバタさせながら、
「早く下ろしてよぉーっ!」
半泣きの涙目でそう懇願した。
もう行くのか? 前のように一服していけばいいだろう。何を急いでいる?
⋯⋯まぁ、その調子だとまたすぐに会える、か。
しばしの別れだ、《超越者》――いや、《永劫の白》と呼ぶべきかな。