夢九十八話
冒険王の本拠、アーライル城塞(この期に及んでやっと名前を知った)が近くなるにつれ、地平線が続く中原とは違う地形になっていく。
朝霧に包まれた丘は視界が通らない。そんななかでの駆け足が続いていた。
「臭うのう」
「それはいいっこなし」
「ウンシン違う。エヴレンが言いたいのは汗まみれな私たちではなく兵気を感じるということ」
「ああ、そっちね」
吹き出す二人にうへへと返していると、霧の中から陣地が見えてきた。
当然にして東アルダーヒル共闘軍の旗ではない。赤地に白い菱形の印、あれを見たエヴレンがゲレオン王の陣旗だ、と呟いた。
「背後から襲い掛かる形になる。わしらの目的は虎ではなく、とりあえずきゃつらの前線を崩すことなんじゃが」
「どうするのウンシン」
「……とりあえず挨拶がてら、陣中に突っ込みます」
二人には霧に溶け込んで潜んでいるように頼んだ。後で合流しようという拝みこむ。状況が状況だけに、怪我人の娘っこらは抗弁せずに気配を消した。
サムライ御殿やアーライル城塞を守るための戦いに気力を温存してもらう、というまっとうな理由を理解してもらったようだ。
エヴレンやメイ・ルーの姿が見えなくなったことを確認し、陣旗に向かって突撃した。
木枠の陣構えを飛び越える。着地したときに見たのは、床几に腰かける総大将らしき鎧武者だった。
太刀に手をかけながら、周囲にいた親衛隊の槍衾を片方の掌底で押し出す。泰然と鎮座したままの相手に迫って刀を抜いた。
「敵の奇襲だ」
「御大将っ、お下がりくだされ!」
仮面をつけている何物かの手前で太刀を止めた。風圧が陣地を揺るがす。
座る敵と立ちすくむ俺との間に、親衛隊たちが決死の様相で割り込んでくる。
剣と槍の切っ先が無数に伸びてきたものの、それを素手で握って振り払った。赤備えの騎士が宙に舞って落ちていく。
「白頭巾、黒紫の鎧、見慣れぬ片刃の剣。お前が古今独歩の勇士と名高いサムライ・ウンシンか」
「そういう君はゲレオンの赤い虎」
「然り」
返答を受けてぶん、と獲物をひと振り、降魔の刃を収める。ここらへんは時代劇を意識した。
さらに東に向かって歩き出す俺の背に、なぜ猛勇を発揮せぬ、と仮面の相手が問いかけてくる。
「君な、にせもんだろ」
「……」
「影を多用する赤い虎がこれみよがしに待ち構えていたんで、ちょっとおかしいなと思って」
「なぜそれを知っている?」
「なんとなく。ほいじゃ、本物に挨拶してきますわ」
仮面の男は二十四将のひとりだろうと思いつつ、背後に向かって手を振った。
本陣で一気に勝負をつけようと思ったが、そんな迂闊な相手ではなかったようだ。
弓や火玉の雨あられが降り注いでくるも、サムライダッシュに追いつく敵はいないということで、濃霧の敵陣から少し離れた場所で黒白と合流し、城塞下の平地までやってきた。
たった三人だけの奇襲を開始する。一時的ながら、赤備えの先鋒を撹乱させることができたようだ。
「ゲレオンが奇襲部隊、全体的に人数は少ないようじゃが……味方側からすればこの倍はいるかと錯覚してしまうほど重厚な布陣じゃな」
「その布陣を崩すことで最前線が見えてきた。ウンシン、あれ」
白の指がさす先に映ったものは、本陣の影と同じ仮面の武者だった。
偽物にはない白い毛のついた角付きの兜をかぶり、巨躯とはいえずんぐりむっくりな体型をしている。
赤い法衣に袴、脛当といい、まぎれもなくあれが宿敵たる赤い虎だと確認できる。
しかしいくばくかの感傷などどうでもよくなる光景が飛び込んできた。
奴が持ち上げているのがサムライ一家の誰かだと知ったとき、黒白が同時にネコの亜人の名を呼んだ。
赤い虎が振り向く。その手には軍配が握られていた。俺が持つ太刀と同じ国で作られたような仕様だった。
「……!!」
俺は声にならない叫びを放つ。赤い虎がつかんでいた首は、昆の旗を背中に背負っていた(九十一話参照)ニャム・ツインコーツィであり、それを見たエヴレンやメイ・ルーが血相を変えて飛び掛っていったのは止むを得ないだろう。
本物の虎の軍配が黒白を横薙ぎしようとしたとき、かろうじて抜いた太刀でその一撃を防ぐことに成功した。
しかし過去にしていた思うがままの自然破壊を彷彿とさせる現象が、奴の力によって展開されていく。
重い地響きとともに地盤が崩壊する。その全てをわが身に抱え込めるほどやわな衝撃ではない。
風圧で彼女たちが赤備えの部隊を巻き込んで吹き飛ぶ。
「エヴレン、メイ・ルー!」
「闘神の化身。女にかまっている場合か」
軍配を受け止め堪えていると、両の足で踏みしめる草地が耐えきれず陥没していく。
かつての邪神を彷彿とさせる圧力だ。
「銀、どの……こいつ」
「ニャム姫」
弱々しいネコ娘の声に気が付き、虎の片腕で持ち上げられる彼女を見上げた。
俺が手渡したお守り代わりの数珠と、背中の昆の旗が風で揺れている。
「こいつも……銀の霊気の使い手にゃむ」
「姫、しゃべるな」
首を絞められた彼女が唇から血を流して、低くうめいた。
「小虫にすぎたるものを与える。そこに転がる黒白の女にもそうだ。おのれは相手に塩を送りすぎる。それゆえ」
圧し掛かる軍配に抗しきれず、いなしてなんとか受け流ず。力比べで負けたのは初めての経験だった。
受け流しの反動で後退するのを、手をついて踏ん張る。千切れた草が舞っていた。
「何者にも力を分け与えぬ余には勝てぬのだ」
ぎゃ、というニャム姫の悲鳴が聞こえたとき、何も考えず突っ込んだ。
喉を握りつぶそうとする赤い虎の腕に、必殺の勢いで刀を打ち込む。
「攻めの太刀に対するわが軍配は鉄壁の守り。いかにおのれが本気を出そうと、矛と盾は寸分たがわず互角」
本来の用途ではないものが盾として有効に働いている。確かに俺の太刀は軍配によって完全に押さえ込まれていた。
奴がつかんでいたニャム姫の首から手を離す。彼女がどさっと地上に落ちた。
俺の数珠と似たような代物を懐から取り出している。それを握った虎の拳を腹に受けてしまい、宙に浮き上がった。今度はおのが悲鳴を聞いた気がする。ぐがっとかいう情けないものだった。
「ほれ、頭がガラ空きだ」
飛び上がってきた虎が両手を組み、ハンマーのようにしてわが脳天に叩き込んできた。
ガツンときつい一撃で目がくらむ。受身も取れず大地に叩きつけられる。地震発生源になった俺を中心に衝突の波が広がっていく。クレーターの出来上がりだ。
「てめ、こら……自然破壊を」
「偽善者の遠吠えが心地よい、もっと鳴け」
白頭巾でも防ぎきれない頭への打撃でふらふらになりながら、穴から這い上がる。
口に入った砂を吐き出しつつ、倒れているニャム姫を抱き起こした。
赤備えに蹂躙された後なのか、よく見ればこの子の周りに味方の兵はいない。
「にゃ……」
「ニャム姫、一人だけで立ち向かうなんて無茶を」
「アーライル城塞の残存部隊は篭城。ニャムがおうちの青羽衆には、これ以上数を減らすわけにはいかないと強いて帰らせたにゃむ。あの太っちょの虎が来るまで結構善戦していたのだ。でも想像以上の化け物で」
「うむ。だから後は任せろ」
立ち上がろうとしたところで野太い足の裏が降ってきた。白頭巾の頭を踏んでくる巨躯の虎に抗い、なんとかして見上げた。
「余に手も足も出ぬ若僧がどう任されるというのだ? 似非サムライめ、このまま踏み潰してやろうぞ」
「銀どの!」
頭が押されて沈んでいく。重さに歯を食いしばってこらえ、ネコ娘に離れるように告げる。
「イヤにゃむ」
「黒と白を見てきて。近くに荷物が置いてある。それでお水でも飲ませてあげて」
土下座の構図になっているこちらの様子に立ち去りがたい反応を示したものの、再度頼み込むと、ネコ娘は足を引きずりながら爆心地のようなこの場所から離れていった。
「別れが済んだな? では覚悟を決めよ」
白頭巾が地面にめり込んだ。しかし土下座で圧死という情けないポーズで昇天するのは御免こうむりたい。
「何度も俺に影武者を当て……この城下を奇襲するようなくわせもんに」
「……!」
「娘っことの仲を裂かれてたまるか」
敵の脛当をつかみ、その足を持ち上げる。赤い法衣を纏う巨体がぐらついた。
「あの子らをどついたぶんは返すぞサド野郎」
ぐおっ唸る相手が仰け反った隙に、俺は完全に起き上がった。
虎にとって力押しを返されるのは初めての経験なのだろう。仮面の下の驚愕がよくわかる。
統治者として、あるいは将器の差は雲泥ながら、一対一の殴り合いだけは譲らない。
放ったサムライパンチの手ごたえを感じながらそう思った。