夢九十七話
「おーかーをー」
いつの間に覚えたのか、俺が特に好んで口ずさんでいた前世界における戦前歌謡曲を、黒白が揃って歌いあげている。
確かに大平原地帯を最短距離で横切る際、いくつかの丘は越えていた。
「何やら握りこぶしを振って行進したくなる歌じゃな」
「アルダーヒルでは聞かないけど特徴的な旋律。前向きになれる詩」
包帯を巻いた二人の娘っこが朗らかに駆ける。
飲食は手持ちだけということで、現地調達をしながらのサバイバルな帰路になっている。
どうやらそれが楽しくて仕方がないらしい。
「お酒だけは肩下げのかばんにつめてきた。夜はこれでウンシンと酒盛りできる」
「メイ・ルーが万全の体調ならのう。荷馬車を引いてもらえたが」
「たまにはその場しのぎの調達も面白い。邪魔なむちぷり烏女もいないし」
「わしだって胸も尻も大きいぞ」
アルビノ美少女と赤褐色な肌の美人さんがキャッキャと戯れる。
故郷にも等しい冒険王城下の危機に対し、深刻になりがちな俺の精神状態を掬い上げる二人のやりとりだった。
「原点ともいうべき三人旅じゃ。生き神さま、飲まず食わず眠らず帰還したところで、サムライ御殿や冒険王の城は救えぬぞ」
「うむ」
「もうすぐ日が暮れる。必要に応じて進む止まるは必要」
「おうよ」
なんかオカンのような年下の彼女たちに、性急さはアカンと諭されウンウン頷く。
家長としてどっしり構える必要があるだろう。それでも夜を越すには酒がいる。
§§§§§§
焚き火の灯が消えかかっている。
布地にくるまれてわが左右でおねむする黒白の腰に手を回しつつ、夜明けの空を仰向けに見上げていた。
籐の枕の位置を何度も調整したり、ワインを口にしてみたり、結局寝れずの夜をすごしたことになる。
「眠れないの、ウンシン」
「心配なのはわかるが、少しでも体を休めぬと先が続かぬぞ」
「目を閉じて横になっているだけでも楽になった」
怪我人にまだ寝ているように告げ、消えかけた火を熾す。春前とはいえ寒いこんな朝は熱々のお茶に限る。
いつの間にか起床していた二人が身づくろいを終えたようだ。
チーズ、干し肉、固焼きパンなどを提供しての朝ごはんになった。
リスのごとき動作でそれらをかじるメイ・ルー。豪快にがっつくエヴレン。血肉にして早期の回復を図ろうとする彼女たちの食欲に誘われて、徹夜野郎もそれらに手を伸ばした。
「生き神さま、お茶おかわりなのじゃ」
「これに」
「ウンシンお肉」
「ほい」
「生き神さまほれ、木の実じゃ。あーん」
「あー」
「干しぶどうもある。はい」
「おー」
和やかな食事を終えるころには、太陽が地平線の向こうから完全に顔を出していた。
「こらメイ・ルー。いつまで生き神さまのお膝に座っておる。わしの番じゃ」
「あ」
「何をとぼけておるか。さっさと」
口周りにパンくずをつけた黒がプンスカしかけたとき、白が指をさした東の方向から一軍がやってくるのが見えた。
「ほほう虎とやらが反転してきたというわけか?」
「食後の運動にはちょうどいい」
「これこれ」
やる気満々の怪我人を呼び止めて引っ張る。
大げさに俺の胸の中に倒れこんでくる二人を受け止めながら、やってきた軍勢の旗を確認して手を振った。
「あれはトゥルシナの軍旗だ」
「ああ、確かにあれは西世界に近しい地域の鎧武者」
「そんな出で立ちの味方は剣豪姫の部下しかおらぬな」
サムライ一家だと理解したのか、偵察の一騎が本隊の元へ戻っていく。
わずかの時間差で、そのなかから白馬の女騎士が飛び出してきた。
ジュディッタ・ベルグラーノ・トゥルシナその人だった。
「ウンシン、一足先に戦場へ向かったはずのそなたがどうしてここにいる?」
馬上から問いかける金髪姫に、ああでこうでと別行動になってからのいきさつを説明する。
その間も黒白のちゅっちゅを受けていたため、ジュディッタ姫の眉間から皺が消えることはなかった。
「なるほど。中原でのいくさに負けたか」
東西の空を交互に眺め、小さく息を吐いた彼女が、こちらを見下ろしながら決意の言葉を口にした。
「だがわらわは今更城には戻れぬ。輸送部隊の長として、夫がいる戦場に身を置く義務がある」
姫の判断は正しい。今となっては中原より冒険王の領内のほうが危険だ。
ゲレオンの赤い虎とやらに、二百やそこらの兵数で太刀打ちできるものではない。
「敵の本隊に三人だけで殴りこみというそなたらの愚行、いや最善の選択に期待させてもらうぞ。もはやそなたらだけが頼りだ」
城内にいる生き残ったトゥルシナの民と、サムライ御殿にいるウイダル王、ポチャとホソというメイドを救ってくれ、という意図を察し、承知と頷いた。
「一般的には愚行じゃが、心配ない。この方を誰だと心得る」
「ゲレオンの王をしばき倒して撤退してくる共闘軍を待つ。ウンシンならそれを必ずや成し遂げる」
「……うむ。この不思議な男に全て託した。また会おう」
さらばじゃ、と言い残して颯爽と駆けていく男らしい後姿を見送る。
いくさを共にした仲間も同然のトゥルシナ騎兵、槍や弓兵が続き、輸卒が最後尾で通り過ぎた。
敬礼していく中隊規模の一団に敬礼で応える。
死なんといてやという野暮な呟きは、左右の身内にしか聞こえなかっただろう。
「決戦場で反転する味方の帰路を確保するために、ウンシンは後方を守り抜く。地味だけど一番大事な仕事」
「輸卒、サムライ・ウンシン。すばらしい肩書きではないか。その男がアルダーヒルを救うのじゃ。大手を振ってわしらの家に戻ろうぞ」
アルビノ美少女がにっこり、赤褐色の美人さんがにかっと、それぞれめんこい笑顔を見せてくる。
救われているのはどっちだと思わずにはいられない。
何よりも大事なこの子たちの包帯を取り替えるのに、少々時間をかけた。
サムライ御殿でよい夢を見るために、万全の用意をして出立だ。