夢九十六話
道中、ゲレオン二十四将のなにがしかを倒したが、あまり記憶に残らなかった。
しかし彼らの数人かを戦闘不能にしたことで、連合軍の指揮系統に乱れが生じたことは確かなようだ。
そんな右往左往する赤備えの大軍を突破していくうちに、前世界のどこかで見たことがある旗印の一団を発見した。
「大」の文字にしか思えない部隊の大将がこちらに気付き、重騎兵を従えてやってくる。
「キサマがサムライ・ウンシンかっ!」
「どちらさんで?」
急いでるんですがと通り抜けようとするも、槍騎兵の切っ先に阻まれて歩みを止める。
その列を割ってやってきた将はいつの間にか獣化していたようで、その姿はまぎれもなく赤い毛に覆われた虎だった。
下半身と比べて上半身が大きく、両腕は地につくほどに長く、足の倍近くは太い。
燃えるように逆立つ頭の毛はモヒカンのようだ。
両腕、両太腿にもそれが生えている。よく見ると、赤い毛は黒とのマダラ模様になっていた。
胸や腹などの内側は色素が薄い。
そんなゲレオンの王とやらは思っていたより若虎だったようだ。
「戦局をひとりで振り戻しにしたその武勇、おれさまがじかに確かめてやらあず」
咆哮で空気が振動する。赤備えたちは耳をふさいで後退していた。
彼の若さと猪突な性情になんとなしの違和感を覚えつつ立ち向かう。
「ん」
感覚的違和感は肉体的違和感に変わった。体が動かない。
「サムライの影を踏んだ。動けまい」
若虎が俺の影を踏みねじる。実際みぞおちに重圧を感じて身を折り曲げた。
跳躍の音と拘束が解かれたのは同時だった。態勢を立て直したときには、頭上に巨大な爪が降りかかろうとしていた。
爪撃とそこから発せられる赤い波動の多段ヒットを食らう。
白頭巾に包まれた頭部に衝撃が走る。めまいを覚えたのはその波動のためだろうか。ふらふらと膝をつく。
「内から弾けろ」
おおっという赤備えの歓声で、自身の頬に切り傷が走っているのを察知する。
振り下ろしの爪によって皮膚が破られたらしい。
娘っこたちを助けて安堵した後の連戦、相手に感じる違和感もあって、こちらのテンションは上がらない。
最終決戦のはずだがどうにも気合いが入らず、血煙のような魔素を口から噴出させている若虎を眺めていた。
さすがにその赤い「もや」が体に纏わりついたところで、本能的に後方へ飛び跳ねた。それでも纏ったもやは振り落せなかった。
「言ったはずだ。内から弾けろと。おれさまの魔素がしみ込んだその体、合図ひとつで」
こうなる、と彼が何かを念じた。皮膚の下に染み込んだ魔素が棘のように変化して、皮を突き破ってきた。
「纏わりついて離れぬもやの毒にまみれ、内からは赤い棘を生やしてハリネズミのごとき姿で果てる。ゲレオン流の葬送だ」
いてててと地面を転がりまわったのは演技ではない。
首から腹にかけて刺棘針針のまさにハリネズミ野郎になったことでパニックになった。
しかし即効性の毒だと告げた相手がいつまでたってものた打ち回っているわが姿に、不審の念を抱いたようだ。
「なぜだ」
その声を聞いてようやく我に返る。刺が自然と体からぽろぽろ落ち始めたのを機に、自身の手でそれを引きぬくことにした。
芸人のようなリアクションでズコー、とこけた若虎が毒は? とか、刺が内から突き出たはずとかほざきながら当方の上半身をまさぐり始めた。
「なんか頬が熱い。赤く変色してない? それが毒だろ」
「致死毒を纏ったはずなのになんで生きてんだよ。棘も粉々になっているし」
若虎のツッコミに生気はない。殺伐とした戦場に再びお寒い空気が漂った。
大の旗印を掲げる騎兵団の戦意も白け気味になっている。
わが生態を最初に見た者は皆同じ反応を示すということで、いつもの光景だ。
「どこまで手を抜きやがる。おれさまは本気に値しないってやつか」
「うーん」
自分でもわからんと腕を組む。やる気のエンジンはやはりかかっていないらしい。
何も知らずしてヤーシャールを星にしたあのオラオラ度は二度と再現できないかも、とあらためて思った次第である。
それでも敵方の総大将なわけで、くっそおおとヤケになって殴りかかってくる若い虎に、正拳突きのカウンターをお見舞いした。
地につくほどの長い奴の剛腕をへし折りながら、最初に蹴られたみぞおちにゲンコツをお返し。
ズシン、という大きな地鳴りと衝撃で、周囲の赤備えが波状に散っていった。
赤く充血した若虎の目が光を失い、ゆっくり崩れ落ちるのを見届けた。その首根っこを引きずってゲレオンの陣地があるほうに放り投げる。
気絶した大将の巨躯を支えきれず、押しつぶされる兵士たちの悲鳴が聞こえてくる。
一仕事終えて水でも飲もうかと思ったとき、ふと足元に殺気を感じて飛びのいた。
すると間をおかず、砂煙が上がった草地のなかから何者かが飛び出てきた。
ムカデのイレズミを施した多腕の魔物と対峙する。いいかげん休ませてほしい。そう毒づきながら、敵の名前を呼んだ。
「マテウ・デオピロ?」
「あれは裏切り者の雷神ヤルミラに敗れた。今よりムカデの頭は自分だ」
「ああ、そう」
「しかし時間稼ぎといえどあの若虎を一撃とは、さすがだな」
「え?」
「重厚なる王があの程度と早合点してもらうまい。本物に出会いたくば案内してやるが、どうだ?」
どう考えてもハメる気やろとさらに毒づく。それを窺った相手がゲレオン連合の本陣がある場所へ指をさした。
「王は後方でサムライを待っている」
「そこまですんなり通してくれるわけないわな」
「然り。アルダーヒルの支配者と向き合うに相応しい実力を示していただきたい」
「そうかい」
うさん臭さと直感でなんかこれ違う、と考えながら案内人のムカデの口上を聞いていると、東からわれらが共闘軍の将たちが手勢を率いてやってくるのが見えた。
「竜人、魔道、風雲の三公が揃い踏み……本軍以外の各別働隊は敗れたか。サムライの登場で戦局が本当にひっくり返ってしまうとは、やはり主の見立て通り」
ムカデ男が喉の奥で不気味に笑う。
こちらとしては、味方部隊のなかから飛び出してきた馬娘とサソリ娘を抱きしめるので忙しい。
「エロヒムはどうした?」
「ミヤマどのとともに北にいる白竜騎兵の指揮を任せてきた。同じ理由で冒険王も本隊を率いて反転攻撃中だ」
「おー」
怪我人同然のドーテイ・ハイ・イェンが、麾下の竜騎士団を振り返ってそう答える。
黒ねじりの槍使い、ラウレウレンツ・クーダーも相当苦戦したらしく、鎧のところどころが黒く焼け焦げていたものの、弧面の赤眼婆を敗走させたと告げてきた。してやったりの顔には触れずに頷いた。
「雷神ヤルミラ・ノヴォトナはマテウ・デオピロを撃破した後、これでみどもは自由だと言い残して戦場から姿を消した模様です」
寝返りの追跡を避けるためでしょう、と自問自答するエディン・シストラ魔道公代理に、いずれ彼女に借りは返さなければと受け答え、黒白からのちゅっちゅを受け続ける。
ラウレンツ・クーダーと怪しいサソリの案内人のやりとりを横目で聞いた。
「邪神の槍を持つ男とて、赤眼婆相手に無傷とはいかなかったようだな」
「カスリ傷だムカデ野郎。それよりお前んとこの総大将はどこにいる? 鷹に本陣はおろか後陣もくまなく偵察させたが、赤い虎などどこにもいない」
当然本物はあやつではない、と離れた陣地で昏倒している若い虎を指さす。槍使いの嗅覚も大ボスの存在がここにはないと感じ取っているようだ。
「主はお前の如き小物など相手にせぬ。あのお方と対峙できるのはたったひとり」
「その小物の槍を受けてからほざけ」
不意をついた彼の黒ねじりの切っ先がうなる。からくも逃れた多腕の魔物が着地しながら瞠目した。
「黒い炎……!」
「頂上竜の息吹きをくれてやる。てめえのような雑魚には過ぎた褒美だ。感謝しながら逝け」
ヤーシャールの魔素が奴の体をかすめたようだ。炎に巻かれたムカデが絶叫しながら転がり回る。
風雲公の渾身の一撃で沈んだ相手が、もがきながら吠えたてた。
「我らが役目は足止め……主はすでに冒険王の本拠に迫っている。有力軍閥のほぼ全てがこの中原に集結している今、東アルダーヒルはあのお方の手に落ちたも同然」
黒い炎のなかでムカデがハハハハと嘲笑う。
われらがブライトクロイツ騎兵団は健在であり、それを撃ち捨ててまで救援に走れまい、おのれらはここで多勢に包まれて死ぬのだ、と語ったあと、ぱたりとうつ伏せて動かなくなった。
「手勢をもたず、一騎駆けが本業な男がここにいる」
「忙しい生き神さま。戦場を駆け回ってまたとんぼ返りじゃな。無論わしらも付き合おう」
白黒の台詞で脱力しかけたが、冒険王の城塞近くにはサムライ御殿があった。
そこにはジュディッタ姫の父上や青羽衆の生き残り、そしてニャム・ツインコーツィというネコ娘がいるのだ。
「サムライ、ここでのいくさは我々に任せておけ、東を頼む」
「ドーテイ」
「軍勢を立て直している冒険王は総大将だ。この期に及んで早々に転進できない。希望は貴方という体力バカ(最大級の褒め言葉らしい)の救援のみ。僕の魔道部隊もこの場を戦い抜くのみで、今は長距離をとって返す気力はない。こうなれば……天人に東アルダーヒルを託します」
「エディン公子」
「オレはエヴレンが無事なら、アルダーヒルがどうなろうと知ったことじゃないが」
一撃でムカデを沈めた凄腕の槍使いが鼻を鳴らす。わが腕のなかでちゅっちゅをやめない意中の同族を不服そう見つめている。
それを機にタウィ族の若い男女が話し合いだしたが、赤褐色の女の一喝で赤褐色の男の残留が決まっていた。
「わかったわかった。敵を掃討するためにここに残ってやるよ。サムライにいいとこを取られるのは不本意ってもんだが、エヴレンが強いて言うなら」
「おう」
「赤備えを追い返したら戻ってくる。この二人もそのつもりだろう。それまで」
藤色の髪が風に揺れている。槍先をこちらに向けてくる風雲公の意図は明白だ。
「わが姫を守りぬけ」
それに応えるように、俺は拳を突き出した。
メイどのをよろしく、とエディン公子も拳をぶつけてくる。
エヴレンどのに何かあったらわかっているな、という殺気を飛ばす鉛色の竜とも同様に約束を交わした。
「生き神さま、さあ行こうぞ。わしらの家を守るために戦うのじゃ」
「私たちが戻るまで城塞が持ちこたえてくれるか不安だけど、ニャム姫がいるのが唯一の救い」
いまだ傷の癒えぬ二人に手を引かれた。痛々しい姿ながら、その表情に悲壮感はない。
彼女らの明るい笑顔につられ、胸糞悪い展開にはならないと思い込んだ。