夢九十五話
「散り裂けろ、シストラの魔道士」
「ちょっとお邪魔しますよ」
イタチの魔物がメイ・ルーを抱えたまま、もう片方の腕の刃でエディン公子を引き裂こうとしていた。
そこへ飛び蹴りをかました俺は竜巻ユーリの片腕を砕き、彼を救う。
「ウンシン天人」
「間に合った。シストラ魔道部隊が健在で何より」
「しかしメイ・ルーどのが」
銀髪イケメンが見た先に、長い尻尾を腰に巻いたユーリー・ザインが白を抱えて喉の奥で笑っている。真の獲物がやってきたとばかりな薄笑いだった。
共闘軍造反組の旗頭ともいえるであろう相手は悪びれることなく、俺にこの女はもらったと告げてくる。
本能で生きる乱世の将ともいうべき男の台詞で、エディン公子が歯噛みをしながら立ち上がった。
しかし意中の娘を人質に取られて手を出すきっかけがつかめないようだ。
「貴種の魔道士さんよ、おめえがサムライの首を取れ。そしたら一番手柄はオラぁのもんだ。代わりに女をくれてやる」
「下種め」
「サムライというどあほうとは違って、力に相応しい生き方をしているだけさ。お上品な若殿にはわからんらしいな」
「君には一生辿り着けない境地にいる。それがサムライ・ウンシンというどあほうだ」
そんなやりとりを機に、二人の勇将がぶつかりあった。それを眺めていると、何かしら背後から気配を感じて振り向いた。
振り向き終える前に、どこからか伸びてきた腕が当方の体にからまった。
「お初にお目にかかる。マテウ・デオピロと申す」
紅色のムカデのような魔物が何本もの腕で俺を締め付け、体全体をねじりつぶそうとしてくる。
そんな多腕の敵が竜巻に向かって、何を呑気に話しているのだと毒づいていた。
「僕が欲しいのは、彼女が目覚めたときにもたらされるよくやった、というたったそれだけの言葉だ。ウンシン天人を裏切った僕にあの子がどう対応するか、想像しただけでも恐ろしい。どうにせよ、メイどのの不意をついて傷つけた君を許すわけにはいかない」
「……長広舌は遺言として聞いてやった。思い残すことなく死ね」
「君がな」
白を手勢に預けたユーリが本格的にエディン公子と戦闘を開始する。双方とも本気になったようだ。
「余所見をしている場合か。とどめだ」
ムカデがこちらに向かって吠えた。爬虫類のような長い舌を俺の首に巻きつけてくる。
体をねじ切ろうとする無数の手に力がこもった。
しかし一行に窒息する気配もねじ切れもしない俺の様子を見てアカンと思ったのか、早々に舌による拘束を解く。
「竜巻、女を渡せ。この化け物の弱みを衝く」
「ああ?!」
風の魔道士と戦い続けるユーリー・ザインがほざくなと哄笑し、白の身柄を受け持つ配下の軍団に渡すんじゃねえぞと厳命を下した。
「この女はオラぁが使うか、サムライを討ち取る奥の手としてとっておくんだ。おめえの手柄にしてたまるか」
「何をばかな。個人の武勲に拘っている場合ではない。こやつさえ始末すれば、東の共闘軍など恐るに足らん。おのれら女を連れてこい」
「オラぁの手下に命令すんじゃねえ!」
仲間割れの様相になってきたのを慎重に見守る。ムカデが俺から遠ざかり、ユーリの軍勢を多腕で蹴散らして速攻で白を奪い取った。こちらとしては今の段階では軽々しく動けない。
「腕が立とうと所詮は小物。この恐るべき勇士が本気を出す前に有利な状況を作り出さねばならん。それがわからぬか」
「こうやって落としゃあいいんだろうが、クソが」
エディン公子を放ってこちらに跳躍してきた竜巻が、カマイタチのひと薙ぎをわが首にぶつけてきた。
「サムライが首、ユーリー・ザインが貰ったぜ……って、え?」
イタチの魔物が目を剥く。刃こぼれした自身の腕を見てうえっと素っ頓狂な声を上げていた。
ムカデがせせら笑うのを窺って激昂しかけた竜巻だが、エディン公子の風魔道に追われてそれどころではなくなっていた。
「ヤロウ」
「君の首こそ僕が貰う」
またも二人の戦いが始まった。それを一瞥したムカデが白を片手に抱えて俺に向き直る。
「いかなる魔物でさえ断ち斬れぬその首、おのれのその刀で斬り落とせ」
「……」
「白い女がそうなる前にだ」
「メイ・ルーに爪を当てるな」
「牙ならよいのか?」
紅色のムカデが鋭い指の爪ではなく、口をあけて牙を見せた。
「おっと動くな。サムライの刀がこの身に届く前に、女を食い破ることくらいはできる」
白の首筋に奴の牙が触れた。そこから血が滴るのを見たとき、エヴレンを失うと思ったあのときの感覚が呼び起こされた。
どす黒い感情をこめた気合いの噴出に危機感を感じたサド野郎が、さらに間合いを取って後退する。
「すばらしい。これが天をも揺るがす銀の霊気……やはり頂上竜を退転させたのはおのれだな、サムライ」
「白を離せ」
「首を刎ねよ。さすればこの女には用はない」
すっと目の前が暗くなる。暴力という破壊衝動がうずく過程において、たぶん俺は薄笑いを浮かべていただろう。
一気にムカデとの距離をつめる。やむを得ぬとばかりに奴の牙がメイ・ルーの白い肌に食い込んだ。
§§§§§§
草地に煙が立ち込める。それは落雷によって起こった現象だった。
身をよじらせてぐおおとうなるムカデの腕のなかから、我が家の娘っこの姿は消えていた。
「この衝撃……まさか」
サド野郎の腕が数本、雷に直撃したのか黒コゲになっている。無事なほうの手で大音響を生んだ邪魔者を指差して、キサマはと叫んだ。
「雷神、ヤルミラ・ノヴォトナっ」
「二十四将マテウ・デオピロ。サムライが真の怒りを発した後を想像せよ。お前は中原だけではなく、アルダーヒル全域を滅ぼしたいのか」
赤紫の魔道装束に身を包んだ赤紫の髪、目元まで覆ったマフラーの出で立ち、そんなヤルミラ女史が白を抱きかかえ、滞空して俺とムカデを見下ろしていた。
ほぼ知り合いになったといっていい間柄の彼女が厳しい目を同僚に向ける。
「サムライ・ウンシン。このでたらめな男を甘く見るでない。後先考えずにヤーシャール以上の存在を激昂させるとは、浅慮にすぎる」
もっともな仰せ、と一礼を返したムカデが立ち上がる。浅慮とやらには理由があると奴が語り始めた。
「主が望みはこの男の首。所詮ゲレオン連合など主が体裁を整えるための隠れ蓑にすぎん。二十四将しかりだ。赤備えを率い、各国を蹂躙することすらあの方にとってはお遊びよ。余興の国取りがひと段落した今、あの方が望むのは、宿命の相手といずこかにおいて決着をつけること」
「……なんだと? デオピロ、お前は何を知っている」
「主の言伝を聞いたのみで何も知らぬ。何もわからぬ。ただ本官は命ぜられた職務を粛々と果たすのみ」
なんか面倒な話になってきたなあと気楽な感想に至ったのは、雷の魔道士からメイ・ルーを手渡されたためだった。
いつの間にか彼女の白い首元に応急措置が施されている。その早技に感心しつつも、ありがとうと女史に頭を下げた。
「ウンシンどの。遅ればせながらみどもはゲレオン連合から身を引こうと思う」
「え。勝った側が家出?」
「主「だった」側が負けてから出奔では印象が悪かろう。双方とも不羈な殿方ゆえ」
「やはり裏切るかヤルミラ! このおかしな男と頻繁に接触していたのは知っているぞ。毒気にあてられたようだな」
布越しに笑い声が聞こえてくる。
年増……ではない、妙齢の女性の朗らかな声だ。
「暢気にあてられた、と言っていただこう」
「四柱のひとりでありながら背信の負い目もなしか。死をもってその責を償え、ばばあめ」
「あっ」
怒りで言ってはいけないワードを口にしたデオピロとやらが、雷神ヤルミラの逆鱗に触れたようだ。
「こやつはみどもに任せてもらおう。白い女を連れて離れよ」
「へい」
彼女の青筋が見えるようだ。抗弁は必要ない。
メイ・ルーをお姫様だっこして南の果ての平原地帯から遁走しようとしたとき、エディン公子と戦っていたユーリー・ザインが竜巻を身にまとって突っ込んできた。奥の手の術だろうか。
「その女ぁ渡せねえぜ」
「そりゃあ俺の台詞だろ」
白を命の危険にさらした張本人に、サムライパワー(笑)が炸裂する。
両手が塞がっていたのでユーリの腕の鎌を口で受け止めた。そのまま歯で噛み砕く。
体勢を崩す竜巻の体から竜巻が消えた。
「お、オラぁの刃が」
もはや遊んでいる場合ではない。メイ・ルーを起こさず静かに、しかし気合の力を十分に込めてサムライキックを放った。
横薙ぎの蹴りが相手の脇腹にきまる。
ぐへっという悲鳴を漏らしたイタチの魔物はコマのように回転し、草地を抉って地平線へと消えていった。
ユーリ様が、と大騒ぎの竜巻の軍勢に、エディン公子は魔道部隊へ追い立てよ、と号令している。
そんな銀髪イケメンが追討戦を部下に任せてこちらにやってきた。
「ウンシン天人」
「白は君に任せる」
「貴方はどこに」
「ゲレオン本陣」
ムカデに対し優勢に戦う雷神ヤルミラを窺った。女史がこちらを見てうむと頷く。
冒険王、竜人部隊、魔導士団という共闘の三軍を一応フォローすることができた。
残ったわが役目は、なにかしら因縁を感じる赤備えの総大将に会うことだ。