夢九十四話
火旋風の柱を絶とうと、草原の丘を全て吹き飛ばすつもりで、エヴレンと絶叫しながら太刀を振り上げた。
もう片方の手で抱きしめていたミヤマが首元にしがみついてくる。待ってウンシンどの、と彼女が叫ぶ。
かつてない必死の形相とその声に、俺はふと我に返った。上空を見上げる。
炎と風の気流が巻き上がる地獄の光景のなかで、藤色の髪のポニーテールが揺れている。
赤褐色の肌の巫女装束、腰巻きの布地も風ではためいていた。
火柱のなかで漆黒の霊気に守られた黒の無事な姿がそこにはあった。
「……あれは」
タウィ族の姫と同じ色の髪と肌をした青年がエヴレンを抱き上げながら跳躍し、黒ねじりの槍を地面に突き刺す。
地盤が崩壊し、土砂にまみれた周囲は燃焼の猛威を低下させていた。
丘にいた両軍の視線が彼に注がれる。
ヒーローは遅くに登場するというが、彼はまさしくそれにふさわしい行動を示していた。サソリ娘を抱きしめながら、助け遅れた坂の下の俺を見下ろしている。
「不甲斐ねえぞサムライ、おいテメエクソ野郎」
怒髪天を衝くとはこのことだろう。あと一瞬おそかったらこの子は、と牙を剥いている。
今は風雲公と呼ばれているラウレンツ・クーダーの大喝に一言もなく、スイマセンと頭を下げた。
「もしエヴレンが死んでいたら、今すぐここでテメエを殺してた」
丘のむこうの高地からやってきた一団は、すでに赤備えに突撃を開始している。
獣人や鷹の混成部隊、ツインコーツィ城塞から駆けつけたラウレンツの援軍だった。
「古今独歩の勇士が聞いて呆れる。オレが見上げていたサムライはその程度だったのか」
「やかましい」
怒りが収まらない槍使いの頭を、幼馴染の黒がぽかりと叩く。
プンスカの褐色美人さんがおろせおろせとわめき始める。
そのころには二人の竜人がこちらに到着し、意中の相手の無事を確認してほっと胸を撫で下ろしていた。
「しかし助けてくれたのは礼を言うぞラウレンツ。もう少しで生き神さまを修羅にするところであった」
「場合が場合なら世界が滅んでいたな。それほどサムライは鬼気迫る様子だった」
黒の負傷した体を気遣うドーテイが二重の安堵で息を吐く。
よろめく烏を助け起こしたエロヒムがうむと頷いていた。
戦場にもかかわらず、あらためて彼女たちがこちらに抱きついてくる。
双方の怪我は造反した味方軍閥の長に不意を衝かれた結果だというが、重傷を負わされながらも相手を突き伏せ、あるいは斬りふせたということで心配ない、と血気盛んの様相だった。
サムライ御殿の前で突っかかってきた数人がそれらしい。
覚えているのは「竜巻」と名乗るカマイタチの男ながら、奴は他の隊列に組み込まれており、去就はわからないようだ。
「再会を喜び合うのは後にしようぜ。ちょっと許せねえのが目の前で火を焚いてうぜえんだ」
タウィ族の青年が槍を手に取り、鋭い目を光らせる。
気流で自らの体を宙に浮かせた赤眼弧面の魔物が、火柱に囲まれながら印を結んでいた。
それを見た鉛竜の若君が長刀を構えなおす。
「我も助力しよう」
「頼りにならねえ竜は引っ込んでろ。おめえもサムライと同様、エヴレンを守りきれねえヘタレ野郎だ」
「なんだと?」
状況を忘れて恋敵どうしが睨み合う。それどころではないと叱咤するエロヒムがミヤマを肩にかついだ。
「にへらなままのウンシンどのが一番好きだ。さきほどのすさんだ姿は貴方ではない」
今後そうならないと約束できずに、エロヒムに頼むと告げる。
言われずとも死守すると高言した白竜に背を向けようとしたとき、濃紺の髪をした濃紺装束の影の女が頬に吸い付いてきた。
「エヴレンどのには済まぬが、私を選んでもらって光栄だった」
「なっ、何を言うか! あれはぬしが大柄だったせいで生き神さまの手に届いただけじゃろうが!」
すでにラウレンツとドーテイが弧面の棟梁やその配下と戦っている。
暢気にいがみあう二人の娘っこをエロヒムが仲裁しながら、竜人部隊のなかへと引きずっていった。いつの間にか青羽の衆たる手前さんも若当主に随従している。
「生き神さま、今度は必ずわしを選ぶのじゃ、きっとじゃぞ」
「へい」
救えなかった罪悪感で直立不動に敬礼する。
あとひとり、敗戦濃厚の決戦場なかで救い出すべき娘がいる。
三軍に分かれたはずのふたつを確認した今、魔道公代理の軍勢のなかに目当てがいるはずだ。
北から南へと走り出そうとしてさらなる新手の気配を感じたが、そのまま駆けた。
「逃がさぬぞサムライ、おのれが首は二十四将がひとり、大甲獣オノ・レ・ロドリーゴが貰ってやらあず」
草地の一部の湿った地面から飛び出てきたのは、巨体なカメの魔物だった。
ズウウンと地響きを立てて着地する。がはははと豪快に笑うカメ野郎が口から水流を吐いてきた。
先ほどの体たらくを挽回する機会を与えてくれた赤いカメに感謝しつつ、片手で抜いた太刀で水流を斬り裂く。そのまま前進して間合いを詰め、甲羅もろともその体を両断した。
迷いなしの自然破壊から生まれた盛大な土砂崩れで、周囲がほぼ鎮火しつつあった。
「天災に匹敵する一撃で敵がひるんでいる。今こそ押し返すぞ」
「これが最後の開放になってもよい、惜しまず気力を出し尽くせ!」
宗家分家の若君が号令で竜人部隊が奮い立つ。その全てがドラゴニックオーラで身を包んでいた。
ラウレンツ・クーダーが赤眼の弧面と一騎打ちを繰り広げる間、鉛と白の竜騎士たちが数倍するブライトクロイツの騎兵団に攻勢をかける。
「サムライの登場で戦局が変わりおった。主はこの期に及んで動かぬのか、一体何を考えて」
「よそみすんなよばばあ」
「小僧!」
弧面の魔道士はやはり本物の赤眼婆で間違いないようだ。
「熱っ」
走り去る俺の背中に、婆が繰り出したであろう火球がどっかんばっかん降り注ぐ。
焼夷効果のあるその球は弾ける火の粉でさえも強い発火性があり、俺が通る草地は炎の花道と化していた。
「オレの黒竜槍でさえ通じない相手に、その程度の炎で何をしようってんだ。無駄なことはやめておけ。そろそろ本気で死合おうぜ」
「わが炎舞はけして消えはせぬ。いかなサムライといえど」
「焚き火の火の粉で死ぬ勇士なんているかよ」
そんなやりとりを背に、炎のランナーは南へと急ぐ。
§§§§§§
火の粉とはいいがたい、いつまでたっても消えない炎を纏いながら戦場を疾駆する。
なんとなしにこれは婆の健在を証明するものだと適当に考えながら、鎮火すればその使い手の意識がなくなったときだと適当に決め付け、共闘軍の本隊を通り抜ける。
そこでは蝙蝠と冒険王の荘厳な一騎打ちが展開されていた。観客と化した敵味方が遠巻きに見守っているのを眺めやる。
炎を巻き上げながら実質燃えていない、という珍妙な俺のど派手な姿に皆が驚くまいことか、せっかくのシリアスをぶち壊す邪魔者の登場に面食らっているようだ。
「冒険王、ご武運を!」
「燃えてるぞ」
「ご心配なく」
「王よ、あのおかしな生き物に気を取られてはいけません」
猛進バルクの気の抜けた物言いに総大将がそうだなと応えていた。
ここでも色物扱いである。
引いてきた荷馬車の近くを通ったとき、幌の外に転がり出ていた飲料を手にとって水分を補給。緑茶やワインをラッパ飲みしながら走り出した。
もはや滑稽を通り越していくさの冒涜にも等しい。しかしその不作法が似非サムライの真髄といえるだろう。
途中で出くわした投擲部隊が爆裂弾を放ってくる。赤眼婆の炎に比べると線香花火の火花程度にしか思えず、避けることなくそのまま包囲を突破した。
大草原地帯を北から南へ、いつしか障害物レースの終着点が見えてきた。
魔道公代理が率いる深緑の軍団が、数に勝る赤備えと造反した共闘の一軍を引き受け、それでもなんとか耐えて奮戦しているのを遠目に窺う。
竜巻に対し同じ属性の魔道で弾き返すエディン・シストラ公子を発見したとき、造反者がカマイタチの魔物、ユーリー・ザインだと確認することができた。
その竜巻ユーリの腕の中に、頭から血を流して意識を失っているアルビノ美少女がいた。