夢九十二話
トゥルシナの姫からの一台持っていけ、というご好意に従い、馬車を引いて平坦な草地を走る。
単身駆けと思いきや、道案内の青羽を連れながら運搬野郎として最前線まで赴くことになっている。
中央アルダーヒルに広がる大草原地帯をひたすら進むこと数日、中原の広大さを思い知りながら、付き添いランナーが交代する際の休憩時間を迎えていた。
同行していた影は俺のペースに合わせたせいで気力体力を使い果たしており、バトンタッチの同僚に声かけもできず、草地に蹲って荒い息をついている。
「これからは手前が元締め付きになります。こやつはこのまま元の道を戻り、手前の情報をジュディッタ姫にお伝えし、われらが拠点に帰還することが任務になりますれば」
「一人で大丈夫か?」
俺の問いを受けて燃え尽きたように倒れこんでいた影が、新しい伝令に肩を担がれてお任せくださいと膝をつく。手前さんが説明いたいします、と告げて同様に膝をついた。
「敵の内部工作により、味方から造反者が出ました。共闘軍は混乱を抑えきれぬまま一度軍勢を引くことにしたのですが」
「ブライトクロイツの騎兵突撃を受けたか」
「はい。その状況を見計らっていたように敵は冒険王、魔道公、竜人公の三軍に集中して攻勢を展開してきました。二十四将と名乗る尋常ならざる魔物十数人に対し、各代表は互角に打ち合いながら撤退するのがやっとの戦況に陥っております」
三軍の大将たち、ヤル・ワーウィック、エディン・シストラ、ドーテイ、エロヒム・ハイ・イェンの四人がいかに優れた将帥であろうと、内乱を抱えた自軍の戦線を維持することは難しい。ましてやゲレオン連合は兵数でも上を行く。
それより一人あたり三、四体の魔将を相手に崩れたっていない彼らの武勇に瞠目すべきであろう。
「全軍敗退の様相に至っていないのは、われらが当主ミヤマ様、エヴレンどの、メイ・ルーどのの働きだといっても過言ではない。冒険王がそう仰せになられておりました」
「しかしこのままでは」
「はい。このままでは共闘軍は確実に敗れる。二十四将にしてやられるのではなく、内から崩壊すると」
「急げ、ということだな」
「手前も当主をお助けしたいのは山々ながら、馳せ参じることはできません。今回は影に徹するべし、とのミヤマ様の厳命があります。われら青羽のものどもは、元締めにお縋りするしかありません。元締め」
ミヤマ様をお救い下さい、と二人の影が平伏する。
彼らを助け起こしながら、身内を救うのは家長たる俺の役目だと偉そうに語る。
どれほどの地位や名誉より、サムライ御殿の主として誇りに思うのはこのときだ。
「手前さん、今からちょいと飛ばすぞ」
「え?」
前のランナーだった影が手にした竹の水筒をぽろりと落とした。
「飛ばす、とは……では、今までの走りは」
「お前の足に合わせていたということだ。役目が終わったからには少し休め。回復したなら来た道を引き返せ」
手前さんが同僚にそう言う。彼はもう何も返答せず、息を乱したまま黙って首を縦に振っていた。
俺は荷馬車の轅を手に取り、食事と休憩をそこそこにそれを持ち上げる。
「手前は夜目が利きます。このまま昼夜駆けましょう」
ミヤマの無事がかかっている影は、一刻も惜しいとばかりに駆けだした。
人力車を引く車夫たる俺も後を追う。
造反者とかいう中小の軍閥たちが誰なのか目星はついているが、今は推測を語るまい。
§§§§§§
「あ、あの」
「舌かむで」
「元締め、手前は」
「ついたらミヤマの護衛を優先に頼む。あの子の叱責は俺が受けよう。ここで体力を温存しておくほうがいい」
「……はっ」
荷馬車に乗る(俺がええからええからと乗せた)手前さんが木枠につかまりながら、やむを得ませぬと彼方を眺める。
日が沈むまでの間はそこから道案内をしてくれるといい。
荷馬車を含む大軍が通った後の轍を辿って平原を進むのみなので、体力バカの当方にとっては気楽な強行軍になっている。
晴天の空と枯れ草の大地という風景が延々と続き、一昼夜の間ほぼ走りっぱなしを続けていると、朝焼けのなかの地平線から馬蹄の響きとともに、赤に染まった騎兵の軍団がこちらにやってくるのが見えた。
日の出に照らされたゲレオンの国旗がはためく距離まで近づいたとき、俺は手前さんを荷馬車の奥に避難させて、ひとり赤備えの騎士団と向かい合った。
「白い頭巾に黒紫の鎧。東の果ての勇士とは、おめえかっ」
「おう」
なんで荷馬車を引いてる、とか援軍て一人かよとかいう背後の手勢をよそに、先に進み出てきた騎馬武者がマントを脱ぎ捨てた。
「カマキリ野郎の迂回部隊を撃退した際、アルバロを一刺しに倒したそうじゃねえか」
「耳が早い」
「足もはええぞ」
馬から飛び立った相手が四足になって唸り始める。
「どうやらこのパウ・ヨンセンが敵中突破の第一陣みてえだな。猪突の異名を思い知らせてやるぜ、サムライ」
「二十四将とやらのひとりか、お前」
「暢気に指差しやがって、アルバロの仇だぶっ殺す」
いきなり獣化して本体を出現させた赤茶色のイノシシが、ゴアアとほえた。
二本の牙で地を抉り、持ち上げて土砂まみれの地盤を飛ばしてくる。
荷駄から離れてそれを避けたとき、目の前にはすでにイノシシの姿があった。
突進をまともに受けたのは後ろの荷馬車の存在が気にかかったからだが、それでも象並みの大きさがある魔物の一撃は重かった。
もんどりうって草地に転がる。ウオオと騎馬隊の歓声が上がった。
「追走してくる他の奴らにその首を奪われるわけにはいかねえ。今すぐ狩り取ってやる」
「俺も時間がない」
拳を引いて突撃してくるイノシシに狙いをつける。
いつもの面白おかしいサムライパーンチではないものを、踏ん張りながら突き放った。
「グォ」
「!」
パウ・ヨンセンとやらの牙をぶち折った瞬間、間に入ってきた野太い角に遮られ、正拳突きが止まる。
「てめえ、ジョー」
「間に合ったか……たったひとりで敵う相手ではないと言ったはずだ。ジョー・ルッチオーニが手助けいたそう」
イノシシに合力したのはサイのようなカバのような、赤黒い寸胴な魔物だった。
察するにこいつも二十四将のひとりのようだ。
「われらでこの化け物を押し出すぞ」
「指図すんじゃねえ!」
二頭からなる巨体の突進を受け止める。地盤が割れたり砂塵が浮き上がるのは、もう恒例の現象になっている。なんやかんやで協力し合っているゲレオンの将帥たちを見て、結成したてで内乱を抱えた共闘軍とは連携が違うなと正直思った。
「ぐがあああ」
「ぬおおお」
本気を出した両雄を片手で支えるのは、今のテンションでは少々きつい。
押し込まれて草地を薙ぎながら後退する劣勢具合に、少し離れた荷馬車のなかの影が動こうとした。
青羽の存在を知られるわけにはいかないというわけで、どうやらシリアスにはなりきれない技の発動時期を迎えたようだ。
サムライキックと叫び、片足でイノシシの顎辺りを蹴り上げる。
もう片手でサムライチョップ。サイの角を砕きながら目と目の間を手刀でぶっ叩いた。
仰向けになって空を舞うイノシシ、崩落した草地でのた打ち回るサイ、双方の絶叫を聞いて彼らの手勢も悲鳴を上げていた。
なんというか動物虐待の気がしないでもないが、先日のカマキリといい、うまいこと手加減できるほど相手は弱くない。
痙攣する突進野郎ともがく寸胴野郎を横目に、よくも主をと押し包んできた赤備えの騎兵団を蹴散らす。
それでも包囲を緩めない彼らを殴る蹴るという俺のほうが悪者に見えてきた。
二軍の総勢は千人くらいであろうか。そのほぼ全てを大地と添い寝させて荷馬車に向かう。
化け物めとか人外の妖族めとか悪魔呼ばわりの罵倒を受け、ボクはサムライです、と言い返して暴れまわる場面を見続けたであろう手前さんが、馬車を覆う幌から顔出して絶句していた。
それをスルーして再び車夫となり、添い寝の赤い騎士たちがいない草地を進みだす。
「ひとりひとりが当千と謡われる二十四将の魔物たちや赤備えを埃扱い……手前はかつてこれほどのでたらめな力を見たことがありません」
「そうかい」
「武勇を誇るきゃつらは身体とともに、心もやられて沈んでいたように思えます。おそらくあの二人が再起するのは当分先になるでしょう」
「ほうほう」
「しかし中原でのいくさはわれらが東側の敗北ということになりそうです。味方を突破してやってきたブライトクロイツの二将がその証拠」
「……そうなるか。急がんと」
おねむやメシに時間を取られている場合ではないようだ。
西の方角に向かって速度を上げる。
戦場まであと少しだ。