夢九十一話
改修中のサムライ御殿にウイダル・ベルグラーノ・トゥルシナ老をお迎えし、王の間の広い空間を提供して療養してもらうことになった。
娘であるジュディッタ姫やトゥルシナの兵たちも残ってもらうつもりであったが、こちらの心づくしとやらに恩で返すと譲らなかったため、主従二百は先行する冒険王の本隊に合流してもらうことで納得してもらった。
侍女であるポチャとホソに王の世話を任せた彼女の後顧に憂いはない。
姫とは一心同体を自負していた二人ながら、場合が場合であるために泣く泣く主命を受けていた。
「お人よしというか好事家というか、それでいて悪党を名乗る。まったくサムライはややこしい性根の持ち主だわ」
王の療養に必要な薬の調達を引き受け入れてくれた符 智翔の言葉に抗弁はしない。
「元締めのご命令とあらば、貴人の守りは何があろうと遂行いたす」
「死んだらアカンで」
「御意」
ミヤマの留守において当主代行をつとめる中羽のおっさんが意気込んで背筋を正す。
「ニャムが王さまを守るにゃむ。銀どののタマのご加護がある以上、心配は無用だぞ!」
「姫がいるからには安心だ。そのついでにこれを預けておこう」
以前黒白が手に入れてくれた東の逸品をネコ娘に見せ、これをゆだねる、と告げた。
「これは何と書いてある旗差しにゃむ?」
「この文字の意味はたすける、という意味。ニャム姫が持つにふさわしい」
「ではニャムもサムライなるか!」
ぴょんと飛び上がるニャム姫の頭をなでなで、もふもふの感触を楽しんで、じーさんの主治医とおっさんの護衛隊長に別れを告げ、御殿の外に出る。
久しぶりのふかふかベッドで泥のように眠っているウイダル王はポチャとホソに任せ、俺は再び戦場に赴くために、二百ほどのトゥルシナ中隊に紛れ込んだ。
「ウンシン様、出立の準備は整っておりまする」
「さま……」
隊の一員となるや否や、トゥルシナの分隊長たちから膝をつかれ、ご丁寧な対応を受けた。
白馬に乗るジュディッタ姫もウムウムと頷いている。
こそばゆい気分になりながら、俺は荷馬車を引く馬と役割を交代した。
この馬には現場についてから本分を果たしてもらうことにする。
輸卒の連中からも熱い視線を感じる。新しい隊長になった壮年の騎士からも熱のこもった挨拶を受けた。士気が高いのはよいことだと思いつつ、よしなにと返しておく。
「ウンシンはもはや我らがトゥルシナの人間にも等しい。皆がそう思っておる」
「へい」
素直に頷いたことで二百の兵が一斉に、うおおという雄叫びを放った。それが御殿前の丘陵に轟く。
ともあれ進軍開始だ。
§§§§§§
「元締め。中原ではゲレオン連合と冒険王率いる共闘軍が互いに陣地を構築し終えました。決戦の準備はすでに整っております」
「攻め寄せる側が防御に比重を置いているようで、今のところ先手どうしの小競り合いのみが続いている模様」
青羽衆の斥候たちが報告してはまた戦地に向かっていった。
一族の半数を割いて伝達の任務に専念しており、逐次もたらされるそんな情報はありがたい。
「俊足」は念のためにサムライ御殿に置いてきた。
理由は何となく、である。彼はその適当な理由を聞いても元締めの命ならば、と即諾だった。
夫たる冒険王の城塞から支援という大義名分のもと、荷馬車を増やして物資をふんだくる金髪姫の行動はならず者と言えなくもないが、戦場への輸送品は多いに越したことはない。
そんな姫に支援の融通をつけてくれた赤牛バルクフォーフェンのロリ夫人には感謝せねばなるまい。
あいつを死なせんように頼むで、という彼女の言葉にどう責任を持ったものか躊躇したが、俺の目の前ではそうはさせんと頷いておいた。
隊列を組みなおして行軍を開始する。
兵站任務に従事するという地味な役割ながら、老勇の残した影響からか、トゥルシナ兵二百はわれらこそ戦場の花形よと威勢がよく、その足取りも軽い。
「陛下自ら名を尋ねられたほどの勇者、ドード・ランクサン隊長も天から見守ってくれている。彼が配下の輸卒ども、いくさ場を支えるのはわしらだということに、胸を張れ、前を向け!」
「おおっ」
荷馬車で指揮を取る輸卒の新隊長がそう鼓舞すると、彼らだけではなくほぼ全部隊がそれに応じた。
騎兵や槍兵もみな一心同体になっている。
その光景を見ながら、俺は新隊長のおっさんに声をかけた。
「ランクさん?」
「老隊長の名であります」
壮年の騎士が背筋を正す。老勇の名をランクさん、と覚えておくとしよう。
「ウンシン、わらわたち輸送隊は進軍が遅くなる。そなたはひとっ走り中原に赴いて、さらなる手柄を立ててもよいのだぞ」
白馬に乗る麗しい女騎士がそう提案してきたものの、目的地までまだ距離がある。
その間に山賊やら魔物に襲われては本末転倒というわけで、丁重にご辞退申し上げた。
「青羽の報告次第でそなたの動きも変わる。それまでは荷馬車を引く労に就いてもらうとしよう」
「そうします」
丘を越えて遥か遠く、荷馬車を引きながらの行軍は続く。
一日二日と経っても異様に士気の高い中隊に乗せられ、俺のテンションも高まった。
つい歌を口ずさんでしまったことで、この世界にはないメロディを耳にしたわが剣の弟子がそれはなんじゃと尋ねてくる。笑いでごまかすのに笑顔で応じた大柄な美人さんの距離が近い。
そんな馴れ馴れしさにも、トゥルシナ兵たちがまったく違和感を覚えていないのが恐ろしい。
冒険王の何番目かの妻たる彼女が三回目の野営の設置を告げた。
日没の前に寝床作りの荷おろしだ。
§§§§§§
布のテント内で就寝する仲間のいびきを聞きながら、俺は自前の寝袋に包まって外で寝ているところを起こされた。起き上がれば紺色の影装束が跪いていた。
明け方のことである。煙の立つ焚き火の跡を見ながら、青羽の報告を聞く。
「攻勢をかけてくるはずのゲレオン連合が防御の陣を敷いた理由がわかりました。どうやら共闘軍の長たちに懐柔工作をしかけていたようです」
「調略か」
「……は?」
「いや、続きを」
「総大将ヤル・ワーウィック冒険王や大手軍閥の竜人公、魔道公には通用しなかったようで」
「当然だ」
共闘発案者の冒険王はともかく、ドーテイ、エロヒムといったハイ・イェンの竜族や、魔道士エディン・シストラの三人はそれぞれ意中の娘っこたちがいる限り、どのような好条件を代わりに示されたとしても裏切ることはない。
世界よりもひとりの女を優先するだろう。
「しかし中小軍閥の長たちの動きが不穏です」
「ああ」
「それと……ツインコーツィ城塞で防衛戦を展開していた風雲公は敵を撃退し、中原へと軍勢を進めました。その際ブライトクロイツと名乗る騎兵団の将を討ち取ったと公付きの影からの報告が」
「さすがだな槍使い」
仇敵の鷹衆と情報の共有を図るのは嫌々だとばかりな様相をしていた青羽だが、それには口を挟むまい。
寝袋を畳む。寝起きながら干し肉を食らい、竹筒を傾けてお茶を飲み込んだ。
これくらいがさつでなければ繰り返しの旅路を過ごせない。
「我々は戦闘に参加できない理由から、敵の動きを見張る以上のことはできませぬが」
「おう」
「小競り合いが本格的な会戦へと至るのはいつになるのか、所詮影の身には見通せません。しかし攻め手の何かを待っているような動きは不気味です」
「……」
「最後に総大将の言伝を」
冒険王からの言葉を聞く前に出立の準備を終えて立ち上がる。
答えを知っているとばかりに影を見下ろした。
「サムライの判断に期待する、と」
「食えないイケメン野郎だ」
「い、イケ」
「いやなんでもない」
「食えないだんなさまじゃ。わらわからウンシンを引き離そうとするとは」
荷馬車で寝ていたはずの金髪姫がいつの間にか鎧を身にまとって近くで立っていた。
話を聞いたらしい。
「サムライの登場を待っているのは味方だけではなく敵も、ということだろう。感性のおかしな女しか虜にできないおかしな男は、同性には区別なく人気じゃな」
うれしくないと思ったが、それは先駆けすることの了承を得たと捉えて頷いておく。
「エヴやメイ、ミヤも戦場で待っていよう。わらわもそのうち名誉の責務を全うして駆けつける。それまでの別れだ」
頬に触れたジュディッタ姫の唇の感触に仰天したが、懸命な影は無言を守っていた。
これは極秘事項だと告げる彼女の男顔の微笑みに一礼を返す。
このことは鳥頭ゆえすぐ忘れるだろう。
夢はまだ続いている。




